第270話 福徳の印判と遠江支配のこと
今川氏真が正室・春姫とともに大平城を拠点とし、駿河の奪還に執念を燃やしているのと同じ頃。
家康は三河国渥美郡細谷の百姓中に野々山四郎右衛門への年貢納入を命じる書状を記していた。そんな家康の文机には真新しい印判がひと際目を引く。
「殿、それが新たな印判にございますな」
「おお、与七郎。その通りじゃ。これを初めて朱で押捺するところであった」
「左様にございましたか」
家老・石川与七郎数正が見守る中、家康は新たな印判を記したばかりの細谷百姓中宛に押捺し、朱印状が初めて完成される。
「見よ、渾身の出来であろうが」
「なるほど。印判にあしらわれておる文字は為政者が功徳をもたらすとの意味を持つ『福徳』にございますか」
「その通りじゃ。わしの名字の一字も含まれておるゆえ、これにしようと決めたのじゃ」
「さすがは殿にございます。これならば当家の威厳も感じられ、何より誰の領国となったのか、民に知らしめることも叶いましょう」
やはり石川与七郎は並々ならぬ観察眼を持っていた。その類い稀な観察眼でもって家康の真意を読み解いていく。
「他にも遠江の者らへ本知を安堵する旨の朱印状には漏れなくこの印判を捺印するつもりじゃ」
「左様にございましたか。されど、先月申し上げたことが早くも実現しておりましたとは、この与七郎、感服いたしましたぞ」
「ははは、世辞は良い。じゃが、もうまもなくで遠江での戦後処理も一段落するであろうし、今月下旬には三河へ帰国するつもりでおる。与七郎には戦後処理の残りを任せることといたすが、構わぬか」
「はっ、謹んで拝命いたしまする」
残務を委ねると伝えられた石川与七郎数正は深々と一礼し、その役目を引き受けた。そうしたところへ、同じく家老の酒井左衛門尉忠次と石川日向守家成の両名が到着した。
「うむ、これで全員が揃うたか」
家康に懸川城の広間へ呼び寄せられていたのはこの三家老であった。家老の中でもひときわ存在感を放つ三名が呼び寄せられた時点で、家康が話す内容が重大であることを物語っており、三名ともいささか普段よりも緊張で表情が強張っている様子であった。
「三名ともよくぞ参った。当家がこうして遠江を手中に収められたことは三名の活躍によるところも大きい。改めて感謝いたす」
「と、殿……!」
涙もろい酒井左衛門尉がぼろぼろと涙をこぼし、それを見て石川日向守と石川与七郎が苦笑する。
「そこでじゃ、わしは今月下旬にも三河へ帰国することとしたが、以後の遠江支配についてこの一ヵ月思案したことがあるゆえ、そなたらにも相談したい」
「はっ、この左衛門尉でよろしければ、何なりと」
「日向守も左衛門尉殿に同じく」
「某も同じ気持ちにございますれば、遠慮のう申してくださいませ」
重臣三名の頼りになる返答に家康は心の底から感謝しながら以後の支配体制について相談をしていく。
「これまで戦の折には西三河衆は日向守を旗頭とし、東三河衆は左衛門尉を旗頭としてきた。これを変更しようというのが相談したいことの第一じゃ」
「なるほど、某には殿が仰りたいことが読めましたぞ」
そう自信ありげに言い切ったのは石川与七郎でも酒井左衛門尉でもなく、意外にも寡黙な石川日向守であった。
「ほう、日向守はわしが申したいことが分かったと申すか」
「はっ!旗頭を変更するとの件ですが、それは某のことでしょう」
「……ほう、何故そう思ったのか、申してみよ」
「至極簡単なことにございます。某はこれまで西三河衆の旗頭として戦に従軍して参りました。されど、某は目下、この懸川城の城主を仰せつかっております。これでは西三河衆を束ねるのには甚だ不都合。何せ、遠江の東と三河の西とでは距離が離れておりますれば……」
家康は石川日向守の申す通りであったため、首肯する。石川日向守の発言を聞く中でそういうことであったかと石川与七郎も酒井左衛門尉も膝を打ち、納得がいったという風であった。
「何より、この懸川城は遠江の要衝じゃ。家老であり、わしの母方の従兄にあたる日向守に守らせるのが適しておると判断して任せた。それは日向守がこの懸川城に詰めておれば、信玄とて容易に攻め落とせまいと考えてのことじゃ。何より、当家の一門であり家老でもあるそなたが詰めておれば、武田もいささか警戒しよう」
「なるほど、それが殿のお考えにございましたか。そう聞かされましては、武田からの攻撃に何が何でも耐えねばなりませぬな」
「そう気負わずとも、この懸川城の固さは我らが身に沁みてよく分かっておるではないか」
家康の言葉に石川日向守だけでなく、酒井左衛門尉も石川与七郎も大きく頷いた。
徳川軍が昨年十二月下旬に包囲を開始し、力攻めでは落とせず、あちこちに付城を築き、補給路を断ったうえで、最終的には五月中旬に和睦交渉でもってようやく開城させた堅城なのである。
いかに武田信玄率いる武田軍であっても、容易に落とせる城ではないことは実際に城を攻めた徳川軍の誰もが知るところである。
「されど、某が西三河衆の旗頭でなくなるとすれば、その後任は――」
そこまで言いかけて石川日向守は何かを察したのか、視線を隣に座る甥っ子・石川与七郎へ向けた。突如として向けられた叔父からの視線に驚きながら、石川与七郎は主君と視線を合わせ、答えを待った。
「さすがは日向守。西三河衆の旗頭は与七郎に命じるものとする」
「そ、某に務まりましょうか?」
「務まる。わしはそれだけの器量があると見込んだゆえ、そなたに任せると申しておる。決して、前任である日向守の甥だからなどと贔屓しての人選ではない」
ここにいる石川日向守は家康の母方の従兄、酒井左衛門尉は家康の叔母婿であることから誰も旗頭となっても不服を申さないと踏んでの人選であった。
されど、石川与七郎は前任者である石川日向守の甥であるというだけで、主君との姻戚関係は何もない。精々、三河一向一揆前後の一時、生母が主君の側室となっていたというだけで、その母も東条松平甚太郎家忠を後見する松井左近忠次へ再嫁している。
そんな主君の血縁もない自分が西三河衆の旗頭となって、松平一族が割拠する西三河衆を束ねられるかどうか、不平不満が出たりはしまいかと不安に思っているのが、石川与七郎の表情に顕在化する。だが、それを家康は鼻で笑った。
「案ずるな。そなたは並の一門よりも功績を上げて来ておることは周知の事実。何より、そなたは七之助とともに我が嫡男竹千代の後見役であろう。さすがに七之助では西三河衆を束ねることは難しく、反発する者も出るであろうが、与七郎ならば問題ない」
そう、石川与七郎は家康の嫡男・竹千代を平岩七之助親吉とともに後見する立場にある。ともすれば、西三河衆を束ねていても何ら不思議はないのである。
「ゆくゆくは竹千代に岡崎城を任せるつもりでもおるのじゃ。後見役であるそなたが西三河衆をまとめてくれておる方が安心というものぞ」
「西三河衆の旗頭となるお役目、この石川与七郎数正、謹んで拝命いたしまする!」
「それでよい。良い機会じゃ、箔をつけるためにも与七郎も伯耆守に改めるがよい。以後は石川伯耆守数正として西三河衆をまとめ上げ、しかと竹千代を後見せよ」
「ははっ!お任せくださいませ!」
石川与七郎数正改め、石川伯耆守数正が西三河衆の旗頭の役目を受けたことに家康が安堵したのも束の間、その石川伯耆守から鋭い指摘を受けることとなる。
「殿、今しがた岡崎城を竹千代様に任せるつもりであると仰せになられましたが、これはいかなることにございましょうか」
石川伯耆守は家康の言葉を一言一句聞き漏らしてなどいなかった。そんな彼の指摘に家康が肩を小さく跳ねさせ、酒井左衛門尉と石川日向守も言われてみればそうだと主君・家康を注視する。
「ふう、そこまで言われては致し方ない。岡崎からでは日向守のおる懸川城は遠すぎる。三河一国であれば岡崎城を居城とすることに不便はなかったが、遠江も領国となったことで拠点を改める必要があると思ったのじゃ。それこそ、織田殿のようにのぅ」
「なるほど。して、新たに居城となされるのは何処にとお考えに?」
「かつて遠江国府や守護所が置かれた遠江府中、見附が相応しかろうと考えておる」
――見附。
懸川城へ向かう際に久野三郎左衛門宗能に命じて架橋させた天竜川を越えた先の地であり、武田軍の秋山伯耆守虎繁が越年した因縁の地である。
家康が新たな本拠として見附をと考えていると聞き、石川伯耆守に代わり酒井左衛門尉が口を開く。
「然らば、秋山勢が拠点としていた見附の古城にございましょうか」
「あそこは遠州忩劇で上総介殿へ反旗を翻した堀越氏が拠点としていた見附端城であったが、さすがにあそこは手狭であろうと考えておる」
「然らば、新たに居城を築かれるおつもりでしょうや」
「その通りじゃ。見附の南西にある磐田原台地にしようと考えておる。地の者は城之崎とも呼んでおる」
家康は周辺の地理を書き写した一枚の紙を懐から取り出し、三家老にも見えるように広げて見せる。そこには黒筆で細やかに情報が記されていた。
「ほう、これはなかなか……!」
酒井左衛門尉は周囲の地形を見やり、感嘆の声を漏らす。石川伯耆守と石川日向守の両名も顔を見合わせ、絶妙な立地であると大きく頷いてみせる。
「北側は東海道沿いの見附宿に面しており、東海道の往来を監視するには良い立地じゃ。加えて、この台地はまるで舌のような形をしており、西から南にかけては今之浦の入江、そのほか南から東側は沼地が広がっておる。北は街道に面し、そのほかの三方位は入江と沼地に囲まれた台地上に位置する要衝じゃ」
「なるほど、これならば敵の攻め口は北に限定されましょうな。今之浦からは攻められず、沼地を進もうものなら鉄砲と弓矢で狙い撃ちにできまする」
「城を構成するのは東西五十間、南北六十間の本曲輪と二ノ曲輪、三ノ曲輪、東曲輪となる。本曲輪は四方を土塁と空堀で囲み、そのほかの曲輪は外側の三方にのみ土塁を巡らせるつもりでおる。井戸は本曲輪に一ヶ所のみしかないのは難点じゃが、目をつむっても良かろう。本曲輪は土橋で二ノ曲輪と東曲輪へ連結しておる」
「あっ、殿!この本曲輪には西側の今之浦の方にも虎口が開かれておりますが、これは……?」
驚く石川伯耆守を制し、家康は絵図を指さし、説明を補足していく。
「この虎口は万が一にも城が持たぬとなった折に今之浦から逃げ落ちるためのものじゃ。この虎口から今之浦までは急斜面となっており、今之浦からの敵が上陸したとしても易々と登れるものではないが、念には念を入れて斜面と今之浦の間には空堀を巡らせるつもりじゃ」
家康の説明に三家老とも感嘆したのか、声を漏らしながら大きく頷いている。
この城之崎城は西に遠州灘へ繋がる今之浦があることから水運の拠点とすることができ、南から東海道を見下ろす立地でもあることから、水陸交通を掌握するうえでは有利な地である。
「いやはや、さすがは殿じゃ。されど、このような大掛かりな城、すぐにも築城を開始せねば武田が攻めて来る方が早いやもしれませぬぞ」
「ははは、まさにその通りじゃ。ゆえに、再来月の七月朔日より築城を開始したいと考えておる。その準備もあるゆえ、わしは一度三河へ帰国するのよ」
ここで家康が三河へ帰国する理由が判明したことで、これまた三家老は合点がいったと言わんばかりに膝を叩く。
「殿、これまた人手から材木や巨石を集めることを思えば大忙しとなりましょう」
「うむ。じゃが、武田との戦を想定すれば、このくらいの城でなければ到底持ちこたえられまい。今しばらくは武田の目が北条へ向こうが、織田殿の仲介で上杉との和睦が成せるとの報せも受けておる。急がねばなるまい」
家康も将軍・足利義昭と織田弾正忠信長の仲介によって、宿敵同士である武田信玄と上杉弾正少弼輝虎が和睦するとの報せを受けており、そうなれば武田の敵は北条家に絞られることとなる。
北条家を破って駿河を手中に収めたならば、そのまま徳川領の遠江へ侵攻してくることも有り得る。家康が危惧しているのはまさにそこであった。
「信玄が攻めて来るまでに遠江支配を盤石なものとしておかねば、当家は危うい……!」
先に信玄に喧嘩を売ったのは徳川の方ではあったが、こうなった以上、徳川は武田軍の侵攻という最悪の場合を想定して動かざるを得なかった。
そんな家康の焦る気持ちを背景に、新たな居城・城之崎城の築城は可及的速やかに進められていくこととなる。




