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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第268話 茶碗を投げれば綿にて受けよ

 永禄十二年五月十五日に家康が北条相模守氏康・左京大夫氏政父子と和睦したうえで丁重に今川氏真夫妻の身柄を引き渡したことは五月下旬にも甲府に帰還して次の軍事作戦を練る武田信玄の知るところとなった。


「なにっ!蔵人佐めが氏真めの身柄を北条へ引き渡したと!?」


「はっ!興津城の左衛門大夫様からの報せにございますれば、まず間違いはなかろうかと」


 信玄へそのことを告げたのは奥近習六人衆の一人・土屋右衛門尉昌続。頼りにしている側近から告げられた報告は、そもそも駿河に残留している娘婿・穴山左衛門大夫信君からのものであると聞かされ、信玄はそれが真実であることを悟った。


「蔵人佐め、北条と和睦することが何を意味するのか、分かっておるのか……!」


 信玄は赤鬼のように顔を朱に染めて憤怒の色を露わにする。武田家と敵対している北条家と和睦することは手を結ぶことを意味し、起請文を交わした武田家への背信行為に相違なかった。


「御屋形様、徳川は当家と敵対するつもりでしょうか?」


「徳川は織田に従属しているだけに過ぎぬ。すなわち、これが弾正忠殿からの指示であったならば、織田が当家と敵対するつもりであると解釈できよう。すぐにも織田一族の津田国千世と弾正忠殿の右筆である武井夕庵(せきあん)へ書状を送る!紙と筆と硯を用意いたせ!」


「ははっ!ただちに!」


 土屋右衛門尉昌続が信玄の求めに応じて書状をしたためるのに必要な一式を取りに走っている間に、信玄はいかなる文面にするかを考えていく。


 通常時であれば武田家との取次を務める津田掃部助(かもんのすけ)忠寛《ただひろ》に宛てて書状を書くところであるが、彼は信玄と協議することがあり、甲府に滞在しているため、その子である津田国千世に宛てて信玄は書状を書くことを定めたのである。


「御屋形様、一式お持ちいたしました!」


「大儀であった。今より書状を書くゆえ、しばらく誰も近づけるでない」


「ははっ!承知いたしました!」


 そう土屋右衛門尉に告げると、まだ齢二十五と若い彼は正直に退出し、誰も近づけないという命令を忠実に全うしようとする。


 そんな空間の中で、信玄はいよいよ筆を取り、書状をしたためていく。取次を通じて、織田信長へ徳川家康の不実を詰っていく文面は怒りに任せて仕上がっていき、普段以上の長文となってしまったことは言うまでもない。


 信玄は改めて書状の文面を見直すと、外で待機する土屋右衛門尉を呼び寄せ、これを使者・木下源左衛門尉に持たせて先月下旬に京都から帰国したという信長のもとへ届けるように指示。


 信玄の激しい怒気を帯びた書状は五月末にも取次の両名を通じて織田弾正忠信長へ披露されることとなったのである。


「殿、甲府の信玄殿より書状が届きましてございます」


「で、あるか。されど、国千世も夕庵もいかがしたというのじゃ?随分と元気がないではないか」


「はっ、実は……」


 しどろもどろになる津田国千世と武井夕庵の様子に、織田信長は信玄からの書状にそうなってしまうほどの何か重大なことが記されているのだと察知した。


「書状を見せよ。そなたらの口から聞くよりも書状を読んだ方が早そうじゃ」


「はっ、こちらになりまする……!」


 津田国千世・武井夕庵から書状を受け取った信長は、その書状を読み、大きく目を見開いた。


 態令啓候、懸川之地落居、今河氏真駿州河東被退之由候、抑去年信玄駿州へ出張候処、氏真没落、遠州悉属当手、懸河一ヶ所相残候キ、経十余日、号信長先衆、家康出陣如先約、遠州之人質等可請取之旨候間、任于所望候、其已後、北条氏政為可救氏真、駿州薩埵山へ出勢、則信玄対陣、因茲、向于懸河数ヶ所築取出之地候故、懸川落城候上者、氏真如生害候歟、不然者、三・尾両国之間へ可相送候之処ニ、小田原衆・岡崎衆於于半途遂相面、号和与、懸河籠城之者共、無恙駿州へ通候事、存外之次第候、既氏真・氏康父子へ不可有和睦之旨、家康誓詞明鏡候、此所如何信長御分別候哉、仍過去之儀者不及了簡候、せめて此上氏真・氏康父子へ露敵対之色候様、従信長急度御催促肝要候、委曲可在木下源左衛門尉口上候間、不能具候、恐々謹言

 五月廿三日 信玄(花押)

 津田国千世殿

 夕庵


「で、あるか。信玄殿は三州の不実を詰って来ておるが……」


 書状に目を通した信長はそっと書状を床に置き、内容を吟味していく。まずもって冒頭の信玄が駿河に出兵したので氏真は没落したことは真実であるが、遠江が悉く武田の手に属し、懸川城を残すのみとなっていたことは偽りであった。


「殿、遠江が悉く武田の手に落ちたことは虚偽でございましょう」


「夕庵、そのようなことは分かっておる。さしづめ、武田も遠州経略を進めていたことを誇張しておるのであろう」


 まったく冒頭から虚偽の記載をしてくるとは、信玄殿は何を考えているのか。そう思い、信長は書状を読み進めたのであるが、まず初めに引っかかったのは次に記されている『家康が信長の先衆と称して出陣してきた』という点である。


「三河守殿は殿の同盟相手にございますれば、先衆として派遣できようはずがありませぬ!一体、信玄殿は何を考えて先衆などと仰せなのか……」


「それならば見当が付いておる。おれ自ら家康支援のために出陣することを信玄殿へ伝えておったゆえ、それゆえに三州は織田の先衆などと信玄殿は思っておるのであろう。だが、それならば三州に直接抗議せず、おれに書状を送ってきた腹の内も読めようぞ」


「そ、それはいかなるわけに?」


「簡単なことよ、夕庵。この文面から察するに信玄殿は三州は織田に従属する国衆だとの認識なのであろう。そうなれば、従属国衆がしでかしたことは従属先である当家の責任だと伝えたいのであろう」


「そんな理不尽な!下らぬ勘違いで当家に責任だのなんだのと申されても……!」


「うむ、おれから三州に命令などすることができようものか。つまり、おれが対応する必要はないわけだ」


 対応できないのだから対応する必要などない、というのが信長の考えであった。それからしばらくは事実に相違ない内容が続くが、氏真を助けた事への憤りが見え始めたあたりから信玄の怒りが垣間見える。


「殿、信玄殿は今川氏真を捕縛したら切腹させるつもりであったようですな」


「そうであろう。それゆえに、三州が氏真の身柄を北条に引き渡したことに納得がいかず、怒っておるのだ」


「そのことも書かれておりますな。起請文にあった和睦しないとの条項を反故にしたことも含まれておりますが、これは何とも……」


「ふっ、夕庵も気づいたか。このような真似をした三州を放置しておいても良いのか、というのが信玄殿の言い分なのであろう」


「悉く殿の責任だと抜かしてきておりますな……」


 家康がしてきた約定違反の数々をあげつらい、それは従属させている織田家の責任だと圧力をかけている信玄の書状に、信長も読んでいて呆れたと言った様子であった。


「加えて、最後には過去は水に流すから三州へ今川や北条と断交するよう指導するべきだとも書かれておる。まったく、三州も見くびられたものよ」


「信玄殿も事実に相違することで殿を責め立てるような物言い、納得がいきませぬ!」


「よい、誤解を与えるような伝え方をしたおれにも問題があるのだ。されど、対処を求められたとて対処できることではない」


「そうですな……。さりとて、対応しなければ信玄殿は殿のことをさぞかし恨みましょうな」


 家康の約定破りが当人ではなく、信長へ追及されようとは家康すら分からないことであったろう。


 とはいえ、この問題の対応は信長にとっても難しい事柄であった。同盟相手の軍事や外交に介入することはできないので指導もくそもあったものではない。だが、何も対応しなかったのでは、武田信玄の怒りの矛先が家康だけでなく、信長にも向いてしまう。


 かつてないほどの難問に直面してしまった信長は以後も信玄から幾度となく家康への怒りを滲ませながら対応を求められていくが、どうにもならないまま時間だけが過ぎていくこととなる。


「そうです、殿。公方様からお命じになられた甲越和与にございますが、要件が整いつつあるとのことでしたか」


「その通りよ。信玄殿に泣きつかれたとあっては、公方様もおれも動かぬわけには参らぬ。幾度と上杉弾正少弼殿へ要請し、ようやく首を縦に振った事情もあるゆえ、信玄殿は怒っていても当家と敵対することはできぬ。でなくば、文字通り四面楚歌と成り果てるゆえな」


 そう、信玄は文面で怒ってこそいるが、信長に上杉弾正少弼輝虎との和睦の仲介を依頼し、将軍である足利義昭の命令ということで武田と上杉の和睦を今年に入ってから進め、五月下旬になってようやく前進したばかりなのである。


 ここで信玄が怒りに任せて織田と敵対すれば、まとまりかけていた上杉家との和睦も吹き飛んでしまう。そうなれば、西に織田、北に上杉、東から南にかけて北条、同じく南に徳川を敵に抱えることとなり、最悪の武田包囲網が形成されてしまうのである。


 それが理解できない信玄ではないと踏んだうえで、信長は信玄が開戦に踏み切ることはないと見通していた。


「そういえば、追而書には公方様の上使である瑞林院と佐々伊豆守殿を越後へ通したことと武田との談合に向かった掃部助殿が甲府へ到着したとも記されておりました」


「で、あるか。されど、わざわざ追而書に記すほど我らのことを尊重している……否、尊重せざるを得ないということであろう」


 甲越和与のためにも、それを仲介してくれている信長と将軍足利義昭に気を遣わなければならないが、徳川家康のことにいら立ちを募らせているというのが信玄の状況なのである。そのことを追而書からも察した信長は不意に笑みをこぼした。


「されど、三州には信玄からこういった書状が届いておることくらいは知らせておいた方が良さそうじゃ。今ならまだ懸川城に留まっているであろうから、すぐにも早馬を出し、報せてやるがよい」


「はっ、そういたしまする!事情の説明は某から使者となる者へ伝えておきまする!」


 信長からそう言われた津田国千世であったが、徳川家の担当取次ではないため、家康の本国三河に所縁のある西尾小左衛門義次に武田信玄からの書状の写しを託し、急ぎ遠州へと向かわせたのであった。


 明けて閏五月上旬。順調に東海道を進んだ織田家臣・西尾小左衛門は武田信玄から織田家へ発された書状の内容を伝えるべく、懸川城へ駆け込んだ。


「殿!」


「与七郎、いかがした?」


「はっ、岐阜城より早馬到着!使者は西尾小左衛門義次殿にございます!」


「なんと!すぐにもこれへ通せ!」


「ははっ!ただちに!」


 西尾小左衛門義次は父の代に、今は酒井雅楽助政家が城主を務めている西尾城にほど近い三河国幡豆郡西尾村に移住して西尾氏を称し、現在は織田家臣となっている者である。


「三河守様、お初にお目にかかります。西尾小左衛門義次にございまする。此度は主君の命で駆けつけました次第に」


 ひとしきり口上を述べると、西尾小左衛門は津田国千世から預かった武田信玄書状の写しを家康へ献上する。


「うむ、拝読いたす」


 信長がわざわざ届けよと言うほどなのだから、よほどのことが書かれているのだろうと思って書状を開いた家康はおかしくて笑いがこみ上げて来てしまう内容であった。


「ははは、信玄殿は当家のしたことの責任の所在が織田家にあると勘違いし、このような書状を送りつけて参ったのですな」


「はい。さりとて、当家と三河守様は同盟関係にあり、指導などはもってのほかであると主は仰せで。されど、何もしなかったのでは武田からいらざる恨みを買う恐れもあるとのことで、すぐにも対応に動いたことだけは示しておきたいとのことで」


「それはお手数をおかけいたしました。然らば、ご迷惑をおかけした事、某が謝っておったと、岐阜の弾正忠殿へお伝え願いたい」


「ははっ!然らばこれにて失礼いたしまする!」


 織田家からの使者・西尾小左衛門はすぐに戻らねばならぬといって歓待を断り、すぐにも岐阜までの道を引き返していったのである。


「殿、武田とのこと一度織田家とも話を付けておく必要があろうかと」


「うむ、そうじゃな。できれば直に会って話せる機会があれば良いのじゃが……」


 そこまで言うと家康は目の前に山積する書状の山へと視線を移す。


 戦功のあった家臣たちへの知行宛行状、新たに従属した国衆・土豪たちへの知行安堵状、寺社へ宛てた書状などが乱雑に積み重ねられている。


 信長と話し合いたくとも、遠江での戦後処理を終わらせねば身動きすら取れぬ。そんな家康なのであった。

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