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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第263話 第一次駿河侵攻の終わり

 家康が四月十二日に湖の領主として徳川方の補給路を脅かし続けた堀江城主・大澤左衛門佐基胤を降伏させ、残す城は懸川城のみとなった。


 このことはそれから四、五日が経過した頃に遠江で徳川方の動きを探っていた草の者や歩き巫女から駿河国興津に在陣する武田信玄のもとへ情報がもたらされていた。


「……遠江はこれにて松平のものか」


 集まってくる情報を照合させていくうちに、堀江城が陥落したことが真実なのだと信玄は悟らされた。


 それを傍らで聞いていた秋山伯耆守虎繁は苦々しく舌打ちする。己へ合戦も辞さない覚悟で強気な交渉を持ちかけてきた徳川が今や遠江一国を領有しようとしているのだから、こればかりは遠江へ駐屯していた秋山伯耆守だからこそ苛立つ報せであった。


「御屋形様、このまま松平を好きにさせてよろしいのですか!?あやつら、卑劣にも当家の足元を見て起請文を再度交換させたにもかかわらず、今川と和睦するなどやりたい放題にございまする!」


「落ち着け、伯耆守。儂とて同じ気持ちじゃ。国衆あがりの分際で新羅三郎義光を祖とする当家を侮る行いばかりしよる。この報いは必ず受けさせるが、今は何分にも形勢不利。弾正忠殿からの返答も期待できる内容ではなかったゆえな」


「織田家からは今月末にも援軍をと申してきたのでしたな。されど、市川十郎右衛門尉殿からは未だ織田軍は畿内を離れられる状況ではないと申し送って来ておると」


「その通りじゃ。さらには薩埵山一帯に陣取る北条軍とも幾度と交戦しておるが、勝敗が付かぬ。こうまで戦局が悪いとあっては一度甲斐へ退くよりほかはない」


 信玄として甲斐への一時撤退は苦渋の決断であった。


 侵攻開始から七日で駿府を占領するという目覚ましい戦果を上げながら、結局富士郡や駿東郡は北条軍の領有を許し、甲斐と駿河を結ぶ街道である中道往還と未だ富士信忠が抵抗を続ける大宮城が位置する富士大宮が近接している駿州往還といった甲斐との補給路が今川・北条方に抑えられたままとなっているのが大きな痛手であった。


「されど、長尾弾正少弼輝虎との甲越和与は京におられる公方様と弾正忠殿の尽力の甲斐あって前進しておるのだ。それだけは唯一の光明と言えよう」


「それならば、当家は上杉に上野や北信濃を攻められる心配もなくなりますれば、その防衛に割いている兵力を駿河へ回すこともできまする」


「その通りよ。動員できる兵力を増やしたうえで次こそ駿河を手に入れてみせようぞ」


 秋山伯耆守に向けて野望を語る信玄。奇しくも一度目となってしまった駿河侵攻の幕引きを考える信玄は、すでに二度目の駿河侵攻を目論み頭を働かせていた。


「中河内川と樽川沿いに切り拓いております新道については隼人佐殿が陣頭指揮を執っておりますが、未だ北条方に悟られることなく、順調に開削が進んでおるとのこと」


「そのことは儂も存じておる。薩埵峠の婿殿をはじめ、北条軍の目は目下改修を進めておる興津城と久能城に釘付けなのであろう。すでに城へは多数の軍勢と兵粮を収めてもおるゆえ、籠城して儂が再び駿河へ侵攻するまでの間は持ちこたえられよう」


 すでに今いる興津城へは次女の婿である穴山左衛門大夫信君、久能城へは信玄の傅役であった板垣信方の娘婿である板垣左京亮信安を配備することを取り決め、彼らには残留する際の心構えを懇ろに説き聞かせてあった。


「興津城へ左衛門大夫殿を入れられるのは、対峙する薩埵峠の北条家の当主殿が梅姫様の婿だからにございますか」


「ははは、伯耆守はそう解釈したか。じゃが、言われてみれば確かにそうよのぅ。攻め寄せる長女の婿、守り固めるは次女の婿。婿対決とも言えようか」


 そう、北条家当主・左京大夫氏政の正室は信玄の長女・梅姫であり、甲相同盟が破棄された後も離縁することなく小田原城に留められているのである。それほど夫婦仲が良いことの証左であるが、それだけに信玄はどこか氏政と決戦に及ぶのが忍びなかった。


 それにしても、信玄が何気なく発した婿対決などという言葉に秋山伯耆守の表情は笑みで崩れてしまう。到底笑えない状況ではあるのだが、信玄が厳めしい顔つきでそんなことを口にしたのが、どこか可笑しかったのである。


「御屋形様、笑ってしまい申し訳ございませぬ」


「良い、いつも張り詰めておってはいざという時にまるで役に立たぬ。緊張の糸を適度に緩めることも肝要じゃ」


「さすがは御屋形様。まこと勉強になりまする」


「なに、儂とてこの年になっても学ぶことばかりじゃ。小生意気な駿府の甥っ子に積年の恨みをぶつけたまでは良かったが、今度は密約を結んだ三河の小童に裏切られようとは想定もしておらなんだ。まったく幾つになっても戦というものは読み切れぬ」


 初陣以来三十三年もの長きにわたり数多の戦場で采配を取ってきた主君・信玄ですら戦は何歳になっても読み切れない何かが起こる、ということは秋山伯耆守にとっても心に残る、教訓めいた何かがあった。


 そうして信玄は着々と駿河から甲斐へと撤退する仕組みを水面下で進め、迎えた四月二十四日早朝。


「皆の衆!此度の駿河在陣、まこと大儀であった!奇しくも一度甲斐へ撤退することとなったが、この屈辱は必ずや晴らす!そのための撤退である!ここ、興津城には穴山左衛門大夫信君を、久能城には板垣左京亮信安を残し、残る軍勢は甲斐へ向かう!通る道は原隼人佐昌胤が陣頭指揮を執って開削した新道である!ここからは隠密行動を心掛け、決して今川や北条に撤退を悟られてはならぬぞ!」


 早朝の興津城に信玄の声が響く。すでに足腰を悪くし、輿に乗る信玄は腰の上から将兵らへ決して敗走ではないことを演説し、撤退にかかったのである。


 道中を原隼人佐をはじめとする警固衆が固める中を武田菱の旗を靡かせる一団が駆け抜けていく。


 駿河へ侵掠すること火の如く、北条軍と対峙すること徐かなること林の如く、動かざること山の如し。そして今、撤退すること風の如く、実に速やかに興津から甲斐へ退却を開始したのである。


「御屋形様、次なる一手はいかがなされまするか」


「美濃守か。まずは北条を黙らせるところから始めるべきであろうとは考えておる」


「なんと……!然らば上野あたりから攻めまするか」


「その通りよ。今頃小田原城の相模守は儂が再び駿河を狙うと踏み、富士郡と駿東郡の旧今川領と駿豆国境の防備を固める動きに出るであろう」


「なるほど。某にも御屋形様の仰りたいことが分かって参りましたぞ。敵が駿河から伊豆にかけての守りを固めるならば、その意表を突き、上野あたりを攻めるおつもりでは?」


「いかにも。さすがは美濃守よ。その上野が危ういとなれば、北条軍は駿豆から主力を上野へ転じる。そこを狙って駿河へ攻め入るのが良いであろう」


 甲駿国境の樽峠を越える中、馬を寄せてきた譜代家老衆の馬場美濃守信春と今後の軍事作戦について意見を交換する信玄。


 今回の戦いでは主導権を今川・北条の連合軍に奪われ、駿河から一時撤退することとなったが、そこから戦局を好転させる術をすでに信玄は見極めていた。


 敵が主力を集める駿河へ堂々と真正面からぶつかっていったのでは、北条家のご隠居・相模守氏康の術中に嵌ることは容易に想像できる。


 ならば、越後の上杉と和睦したこともあって最も手薄となり、緊張も緩んでいる上野国を攻める陽動作戦を実施し、そのうえで矛先を駿河へ転じることで北条軍の主力を駿河から撤退させることを考えていたのである。


 この実に見事な作戦に馬場美濃守は驚嘆しながら、馬上でぴしゃりと一つ膝を打った。この作戦が上手くいけば、真正面から北条の主力と決戦するよりも少ない犠牲で駿河を得るという目的を達することができると思ったからである。


 そんな信玄は次なる軍事作戦を脳裏で描きながら四日後の二十八日、無事に甲府へ帰還することが叶ったのである。


 そして、この信玄撤退の動きを薩埵峠一帯に布陣していた北条軍はまったく察知できず、信玄をみすみす取り逃がしてしまう事態となってしまったのである。


 見事北条の目を欺き、甲府へと撤退した信玄であったが、懸念事項がなかったわけではない。北条家の動きもさることながら、遠江経略を順調に進めている徳川氏が懸川城を攻略した後に駿河へと手を伸ばすことであった。


 家康と信玄の間で交わされた起請文において、大井川を川切とする目安はあったものの、双方が約定を破っている以上、効力はないに等しかった。


 何より、自力次第で今川領国を切り取っても構わないという約束でもあるのだから、武田軍が撤退した後に遠江のほとんどを平定した家康が大井川を越えて駿河に攻め寄せる可能性は十分にあった。これが信玄が駿河から撤退する際に抱いていた懸念事項であった。


 それもあり、信玄は興津城を出る前に残留する武田一門・穴山左衛門大夫信君に対して、徳川家へ書状を送り、しっかり釘を刺しておくよう命じていた。


 そんな穴山左衛門大夫からの書状が酒井左衛門尉忠次のもとへ届いたのは武田軍の撤退から数日した後のことであった。


『当表之儀本意不可有程候、畢竟家康御覚悟、当口可任信玄存分候、此旨可然様可有御披露候』との文言が記された書状を受け取った酒井左衛門尉はすぐにもその書状を天王山砦の家康のもとへ持参したのである。


「殿、どうやら武田軍が甲斐へと撤退したのは間違いないようで、甲賀衆から幾つも報せが届いておりますれば」


「そうであったか。然らば、開城交渉についてとやかく言われる心配は遠のいたか」


「はい。駿河よりも甲斐の方が遠江の情報が伝わるのに時を要しまするゆえ。されど、お早い方が良いことだけは間違いございませぬ」


 信玄が駿河国興津から撤退したことに今川氏真や北条氏政よりも安堵していたのは他ならぬ家康であった。甲斐の虎が駿河に留まったままでは大っぴらにすることのできなかった今川氏真との和睦交渉を大っぴらに行うことができるからでもある。


 そんな中で興津城に在城する穴山左衛門大夫からの書状が酒井左衛門尉を介して家康のもとへ届けられたのは、さすがの家康も予想外であった。


「駿河のことが武田の思う通りになるのにそう時はかからぬであろう。つまるところ、駿河口のことは信玄殿の考えに任せて欲しいとのことか」


「はい。しかも、このことをしかと殿へ伝えるように申してきてもおります。おそらく、駿河に残留しておる武田方が恐れているのは当家が懸川城を開城させた後の駿河侵攻ではなかろうかと」


「うむ、左衛門尉の申す通りであろう。当家の遠江領有は認めるから、その代わりに駿河には手を出すなと言いたいのであろう」


 穴山左衛門大夫からの書状は信玄の意向を伝えるものであり、文面から察するに酒井左衛門尉の言う通りなのだろうということは家康も完全に同意するところであった。


「して、殿はまことに駿河へ侵攻するご意思はあるのでございましょうか」


 酒井左衛門尉からの問いかけに対し、家康は笑みをこぼした。自分からの返事がどのようなものか、分かったうえであえて尋ねているのだと分かったからである。


「ないと言えば嘘になる。じゃが、今川と和睦することともなれば北条との戦いも避けられよう。すでに懸川の今川方へは申し入れたが、北条とも協力の上で駿河が再び今川のものとなるよう尽力することもやぶさかでないと考えておる。つまり、左衛門尉からの問いに回答するならば、当家単独での駿河侵攻はしないということじゃ」


 まったく駿河侵攻を考えていないわけではない。だが、単独で武田に挑めないとしても、駿府へ今川氏真を戻すことを大義名分に北条軍と連携して武田を攻めることは検討の余地があったのである。


「なるほど、さすがは殿じゃ。これで当家単独となっても駿河へ侵攻すると仰るならば、何が何でも御停めせねばと思っておったのです。当家は一躍広大な遠江の所領を手にしました。まずは遠江の足場を固める必要がありますゆえ」


「左衛門尉の申す通りじゃ。我らの所領は三河一国から遠江も加えた二ヵ国となった支配体制も当然見直さなければならぬ点が数多ある。やらねばならぬことが山積しておる状態じゃ。まずは足場固めという点ではわしも考えておることは同じぞ」


 そう、今川との和睦を進める傍ら、家康も信玄に負けず劣らず次なる一手を考えていた。武田への牽制として北条や上杉と結ぶ策、そして領国統治の体制の見直しなどである。


「まだまだこれからじゃ……!」


 そう独り言ち、そびえ立つ懸川城を見つめる家康なのであった――

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