第261話 堀江城の降伏開城をめぐって
徳川軍によって城の周囲の麦を収穫前に刈り取られてしまった齢四十四の遠江国堀江城主・大澤左衛門佐基胤からの永禄十二年四月四日付の書状は二日後には懸川城にて籠城を続ける今川上総介氏真のもとへと届けられた。
「御屋形様、堀江城の大澤左衛門佐よりの書状が届いておりまする」
そう言って堀江城からの使者より受け取った書状を氏真のもとまで運んできたのは齢二十三の若き今川家臣・朝比奈弥太郎泰勝であった。
朝比奈弥太郎から受け取った大澤左衛門佐の書状を落ち着き払った様子で開く氏真は、静かに書状へ視線を落とし、書状を読み進めていく。しかし、書状を読み進めていくうちに驚きに目を見開いていく。
「御屋形様、いかがなされましたか。左衛門佐殿の書状に何ぞ無礼な点でもありましたでしょうや」
「いや、無礼なことなどあろうはずもない。じゃが、良い知らせでないことだけが確かじゃ」
一体どんなことが書状に記されているのかと朝比奈弥太郎は氏真が読み終えた書状を読み進める。するとそこには、驚くべき内容が記されていたのである。
「なんと!収穫前の麦を徳川勢に刈られ、城の兵粮があと二月しか持たぬと!?」
「そのようじゃ。おそらく、残りの兵粮米とまもなく収穫となる麦を合わせて稲刈りまで食いつなぐ算段であったのだろう」
「されど、その麦が刈られてしまい、稲刈りまでに兵粮が持たぬと……」
あと二ヵ月分の兵粮しかない。それは堀江城で籠城して頑強に徳川軍に抵抗し続ける大澤左衛門佐の意地でどうにかなるものではない。
二ヵ月後に兵糧が尽きたが最後、次から次へと家臣や領民が飢えてなくなってしまう。どれだけ大澤左衛門佐が籠城を続けると言い張ったところで、家臣や領民が納得しなければ城など簡単に落城してしまうのだ。
だからこそ、大澤左衛門佐は兵粮のことを伝えるとともに、徳川方より降伏勧告がなされていることを明らかにしている。それに付け加えて、降伏する意思はなく、今まさに降伏条件を吊り上げているところで落着する見通しは低いだろうとも述べている。
「御屋形様、後半の文意はいかなることにございましょう」
「ふむ。一見すると、徳川方からの降伏勧告に応じるつもりはなく、条件を吊り上げていると意気軒高な様と見受けられるが、おそらく予に降伏する旨を認めてほしいのであろう」
「なるほど、そう仰られるとそうとも捉えられる文面にございますな」
朝比奈弥太郎は氏真が示した文意を念頭において書状を読み返してみると、大澤左衛門佐は強がっているだけで、暗に降伏しても良いかの決断を促す内容とも取れる。
「されど、あれほど徳川に頑強に抵抗を続けておられた大澤左衛門佐からも、かような書状が届くとは」
「二月末には宇津山城、三月末には堀川城も落ちた今、左衛門佐殿の有する浜名湖水運も徳川方に奪われておりましょうし、それが応えたのやもしれませぬ」
「うむ。そうであろうな。されど、宇津山城代の肥前守は駿河国の花沢城へ入って武田軍との戦いを継続しておる。左衛門佐もこちらへ参ってくれれば、大いに助かるのじゃが……」
「肥前守殿は城代にございませぬが、左衛門佐殿は城主。それが城を捨てて落ちることを許されぬのでしょう」
「それもそうであるな」
大原肥前守資良はあくまでも城代として宇津山城へ在番していただけ。だが、大澤左衛門佐は城主として領民たちを守る責務があり、それを放り出して自分だけが逃げるわけにはいかない。そう言っている姿が氏真にも思い浮かぶようであった。
「して、返書はいかがなされますか」
「うむ、しばらく考えることとする。我らも徳川との和睦交渉を進めておるところゆえ、我らが降伏開城するのに大澤左衛門佐には何としても城を守り抜けと命じるのも違う気がしてならぬ」
自分たちは徳川と和睦交渉して降伏開城の条件をすり合わせているところであるのに、大澤左衛門佐には降伏勧告を受けるなと命じるわけにもいかなかった。
そんな良心の呵責に苛まれる氏真はひとまず、大澤左衛門佐宛ての返書をしたためるのは時を置くこととし、朝比奈備中守泰朝たち重臣とも協議したうえで決めることとしたのである。
懸川城内で氏真が大澤左衛門佐への返書について考えている頃、堀江城を囲む酒井左衛門尉忠次から家康のもとへ、幾度と降伏勧告の使者を入れているが話が進展しないことの報告と相談が記された書状が届けられていた。
「殿、左衛門尉殿からはなんと?」
「与七郎か。うむ、左衛門尉は堀江城へ降伏勧告の使者を派遣したが、一向に条件がまとまらず、交渉が難航しておると」
「なるほど、大澤左衛門佐も随分と強情にございますな」
「ゆえに、与七郎。そなたも堀江城へ行き、左衛門尉とともに交渉を進めてはもらえぬか」
「某も向かって良いと?」
「交渉事は与七郎、そなたの方が得意であろう。駿府から竹千代を取り戻すための交渉を成し遂げた時のように、堀江城の降伏開城の交渉をまとめ上げてはくれぬか」
酒井左衛門尉から堀江城の降伏勧告が突っ撥ねられて難儀していると相談を受けた家康が白羽の矢を立てたのは、これまでも幾度となく困難な交渉を見事成し遂げてきた頼れる家老・石川与七郎数正であった。
「殿にそこまで仰られては向かわぬわけには参りませぬな。この石川与七郎、必ずや堀江城の大澤左衛門佐を説き伏せ、降伏開城させてご覧に入れまする!」
「頼んだぞ、与七郎。交渉で何か動きがあれば、すぐにわしに知らせよ」
「ははっ!承知いたしました!然らば、某はただちに堀江城へ向かいたく存じまする」
「うむ。気を付けて行って参るのじゃぞ」
家康より酒井左衛門尉が苦戦する堀江城を降伏開城させるための補佐役として、石川与七郎を派遣した。
その一方で、四月八日には武田方に通じながらも氏真とも連絡を取り合っていた犬居城主・天野宮内右衛門尉藤秀に起請文を与え、知行を安堵することと人質の身柄を保証することを書き送った。
加えて、天野氏と行動を共にしている奥山兵部・左近らにも本領を安堵することを伝え、去就が不安定であった北遠江の天野氏と奥山兵部・左近兄弟の徳川への従属を確定させるなど、家康の遠江経略はさらなる進展を見せ、確実に支配領域を拡大させていたのである。
そうして家康が天野宮内右衛門尉へ知行安堵を伝える起請文を送った日から三日後の四月十一日。
家康率いる徳川軍と降伏開城の交渉を続けながらも、依然として小競り合いは続けている懸川城内の今川方は氏真から招集された重臣が集合し、堀江城の降伏を認めるか否かの議論が続けられていたが、それもようやく決着しようとしていた。
「然らば御一同、堀江城の降伏開城を認めるということでよろしゅうござるか」
この懸川城の城主であり、この議論のまとめ役を担う朝比奈備中守の声に、同席する三浦次郎左衛門氏満や岡部五郎兵衛元信といった重臣一同も頷いてみせる。
当初は懸川城の開城交渉が上手く運んでいなかったこともあり、『堀江城の降伏を認めた後、もし戦を継続することとなれば徳川が総力を挙げて懸川城攻めを行うこととなるから、何としても堀江城には持ちこたえてもらわねばならぬ』と頑なだった朝比奈備中守もころりと態度を変えていた。
「それにしても、堀江城はよう持ちこたえた」
ぽつりと独り言ちたのは他ならぬ当主・今川氏真その人であった。
侵攻開始から今の今まで、満四ヵ月にわたって決して大きくない堀江城で寡兵でもって幾度となく徳川軍の攻撃をはじき返していたのである。氏真としてはそのことに感嘆しきりであった。
「まことに。薩埵峠で御屋形様を見限り武田に与した一門衆や譜代の重臣どもよりも遥かに忠義に溢れる御仁じゃ。譜代の重臣である我らもあの忠義の心は見習わねばならぬ」
「そうですな。肥前守殿も宇津山城を落とされてなお、駿河へ戻って花沢城にて武田軍と対峙しておる。あの方も譜代の重臣ではございませぬが、見上げた忠義者にございますれば」
今川譜代の重臣たちが譜代でないにもかかわらず懸命に徳川や武田に抗う姿勢を褒めちぎる。そんな状況に今川氏真は皆に改まった様子で頭を下げる。
「予がここまで籠城戦を継続することが出来たのは、ここにおるそなたらのおかげじゃ。予が不甲斐ないばかりに駿河、遠江、三河の大大名であった当家も遠江ではこの懸川城のみとなり、駿河の山西地域のいくつかの城を保持するのみとなってしまった。このままでは父上をはじめ、父祖に合わせる顔がない。ゆえに、このままで終わるつもりはないゆえ、どうかこれからも力を貸してはくれまいか」
当主としての姿勢がこれまでとは違う。父に劣っていないこと、父より引き継いだ領地を減らしてなるものかと焦るあまり、裏切り者を容赦なく粛清するなど、威厳をもって家臣たちに接してきた氏真。
実に多くのものを失い、身一つとまではいかずとも、かなり追い詰められる経験をしたことで一皮むけたのである。
そのことはずっと籠城戦の中、側で見てきた重臣たちにも十二分に伝わっていた。だからこそ、朝比奈備中守、三浦次郎左衛門、岡部五郎兵衛といった重臣たちは今にもこぼれそうになる涙を堪えながら、さらなる成長を遂げた当主を見やった。
「御屋形様、我らはどこまでもお供いたしまするぞ」
代表して発言した岡部五郎兵衛の言葉がすべてを物語っていた。そんな当主として大切なことに気づき、成長を遂げた氏真の意向を記した朝比奈備中守らの四月十一日付の書状はその日の夜遅くに堀江城の大澤左衛門佐へと届けられたのである。
「殿!懸川より書状が届きましたぞ!」
「おお、兵部少輔か!どれ、見せてみよ!」
一族の中安兵部少輔種豊が懸川からの使者より受け取った朝比奈備中守らの書状。これを受け取った城主・大澤左衛門佐はすぐにも書状を開封し、中身を確認した。
書状を出してから幾日も返信がなかったこともあり、無事に懸川へ届いたのかすらも危ぶんでいたほどだったのである。
そんな大澤左衛門佐の視界に飛び込んできたのは今川氏真からのこれまでの忠節に感謝しているといった旨の文章であった。これまで今川家への忠誠心一つで意地の抵抗を見せてきた大澤左衛門佐にとってこれほど奮励努力が報われる瞬間はなかった。
「殿、懸川からの書状には何と?」
「我らの今日までの忠節に感謝するとともに、我らの徳川方への降伏開城を認めると御屋形様は仰せだそうな」
「なんと!てっきり、降伏は許さぬとの返答が届くと思っておりましたが……」
「某も同じにござる。よもやお許しが出るとは思わなんだ」
そう、大澤左衛門佐も中安兵部少輔も氏真からの返答は降伏開城は認めないと思っていた。しかし、それが降伏開城を認めるどころか、これまでの忠節に感謝していると感謝の言葉まで書き添えられているのであるのだから、驚くのも無理はなかった。
「殿、然らば城外の徳川方へは降伏勧告に応じる旨の使者を派遣してもよろしゅうござるか」
「うむ、構わぬ。御屋形様もお認めになられたのだからな」
「はっ!では、ただちに使者を派遣いたしまする!」
正式に主君・今川氏真から降伏しても構わないとの許可を得た堀江城・大澤左衛門佐はすぐに城を包囲している徳川陣営へ使者を派遣し、降伏開城の意志を伝えたのである。
「殿、これで城兵らも皆助かりましょうぞ」
「うむ。誰も飢え死にさせずに戦を終えられること、某も嬉しく思う。されど、さすがに所領はこのままとはなるまい」
「城も所領を召し上げられるということにはなりますまいが、今より半分くらいに知行が減らされることは覚悟しておかねばなりますまい」
「それも致し方なきこと。これもまた乱世の宿命というやつじゃ」
自らの領地が減る。そのことを懸念する大澤左衛門佐であったが、彼はそれ以上にこれ以上戦で家臣や領民が死なずに済むこと。このまま包囲が続いて、二ヵ月後に迎えるであろう兵粮の枯渇が現実のものとなる前に降伏が叶ったのである。
大澤左衛門佐は領主として何よりもそのことに安堵していた。兵糧が枯渇して飢えているところへ、徳川軍の総攻撃を受ける事態もあり得たが、そのようなこと想像するだけで見も毛もよだつ思いであった。
「兵部少輔、足軽や領民らの戦はこれにて終いとなるが、我ら武士の戦はまだこれからじゃ」
「そうですな。徳川との交渉が待っておりますれば、くれぐれもご油断なさいますな」
兵刃を交える戦は終わりを告げた堀江城。しかし、次は降伏開城にあたっての折衝という第二の戦が幕を開けようとしていたのである――




