第259話 甲斐の虎、懸川での開城交渉を耳にする
永禄十二年三月八日、懸川城を攻めあぐねた家康は籠城している今川上総介氏真へ和睦を申し入れた。
徳川と和睦し、徳川、今川、北条の三者で共同戦線を張り、武田を駿河から追い出す方が得策と考えた氏真もこれに応じる意思を示し、和睦条件の調整などで早くも半月が過ぎた三月二十三日。
この交渉を最も知られてはいけなかった駿河に在陣中の武田信玄の耳に入ってしまったのである。
「なにっ!蔵人佐めが今川へ和睦を持ちかけたと!?」
「はっ!旅の商人が申していたとのことで、足軽どもの間で噂になっておりまする」
その日、一門衆の穴山左衛門大夫信君から陣中の足軽らの間で話題になっている『徳川が今川へ和睦を持ちかけた。まもなく遠州での戦は終わるらしい』との噂を報告された武田信玄は激怒し、あまりの怒りように手の震えが止まらなかった。
「今さら遠州が松平のものとなることに儂も異論はない。じゃが、今川との和睦に踏み切るとは先月の起請文でも誓約した事項を無視するに等しい蛮行ぞ!」
「御屋形様の仰る通りにございまする!されど、噂に不審な内容も混じっており……」
「なんじゃ、不審な内容とは!ええい、左衛門大夫!申せ、申さぬか!」
「はっ!なんでも、両者の和睦を仲介しているのは織田弾正忠信長である、と」
「なにっ、松平と今川の和睦を仲介しているのは織田じゃと!?」
穴山左衛門大夫からの突拍子もない内容に、さすがの信玄も仰天した。家康と氏真の和睦の仲介人として信長が乗り出してきているなど、夢にも思わなかったからである。
「して、織田が仲介人であるとは確かなことか」
「そればかりは何とも。歩き巫女からの便りでは松平と今川とで和睦が行われていることは確かだと掴めてはおりますが、織田が仲介しているかどうかまでは判明しておりませぬ……!」
「これは在京の市川十郎右衛門尉に書状にて問いただす必要があろうか」
「その方が確実にございましょう。虚偽であったといたせば、ただ単に松平が今川に和睦を申し入れただけのこととなります。されど、偽りでなかったとすれば……」
「織田が松平と今川の和睦を仲立ちしておる、ということとなる。ともすれば、当家を織田はたばかったということとなり、我らの立場は一層危ういものとなるか……」
――もし信長に見放されたら、信玄は滅亡するしかない。
そんな弱音を吐きたくなるほどに追い詰められている信玄なのだ。もし、織田が今川との和睦の仲立ちをしているのであれば、その見放された状況に該当する事態であり、まさしく信玄は滅亡するしかない。
「こうなれば致し方ない。急ぎ書状をしたため、京の市川十郎右衛門尉へ届けるとしよう」
そう言って信玄はすぐにも筆を取り、己の心中をぶちまけるように筆を走らせていく。
――今川氏真が没落し、遠江が悉く家康の手中に入ることについて異議はないが、今川氏真と家康の和睦の仲介を信長が行っているというのは不審としか言いようがなく、信長の考えを聞かせてもらいたい。
穴山左衛門大夫にも漏らした本音をありのまま書状へ書き記し、そのことを市川十郎右衛門尉に織田信長へ事実関係を確かめるよう命じ、薩埵峠の北条軍と決戦をするつもりでいるとの覚悟も書き記したうえで京へと送ったのである。
「御屋形様、懸川の徳川へも和睦の即時中止を求める使者を派遣いたしましょうか」
「うむ、そういたそう。そなたから徳川へ今川との和睦を中止するよう求めておいてはくれまいか」
「はっ!承知いたしました!」
かくして徳川と今川が和睦しようとしているとの風説を耳にした武田陣営は慌ただしく動いた。京の織田信長へは和睦を仲介していることの事実関係を確認し、その一方で今川との和睦交渉をしている徳川へはただちに和睦を中止するよう求める動きを取ったのである。
そんな駿河在陣中の武田信玄から和睦中止を求められた家康本陣では、武田への積もりに積もった不信感が大爆発を引き起こしていた。
「なんじゃ、この要請は!」
開口一番に書状を机代わりに配置している木楯の上へ叩きつけたのは大久保党を束ねる大久保七郎右衛門忠世であった。齢は三十八となり、若かりし頃と比べれば血の気も少なくなったが、それでも怒りを抑えきれないといった様子であった。
そんな大久保七郎右衛門に同意するとばかりに本多平八郎忠勝、榊原小平太康政、鳥居彦右衛門尉元忠、阿部善九郎正勝、天野三郎兵衛康景、渡辺半蔵守綱、本多三弥正重といった二十代前半から三十代前半にかけての若武者どもが頷き合い、今すぐにでも武田へ宣戦布告して攻めかかろうと言い出していた。
「よ、与左衛門はいかが思うか」
最も温和な高力与左衛門清長へと救いを求めるように家康が言葉をかけるが、仏高力とまで呼ばれる男でさえもしかめっ面をして、武田を弁護することは決してなかった。
高力与左衛門の隣に着座し、普段は冷静に家康を諫める側の石川与七郎数正、石川日向守家成の両家老も今川との和睦を中止するよう求めるというよりも、今川との和睦を中止せよと命令せんばかりの文言が並ぶ書状を睨みつけて黙り込んでいた。
「殿、いかがなされまするか」
「作左衛門はいかが返答すべきじゃと思うか」
「返答するまでもござらぬ。おのれらは安倍一揆衆と和睦を勧めておきながら、当家が今川との和睦を進め始めたら中止を求めてくるような輩の言葉など無視するのがよろしいかと」
「それもそうじゃな。うむ、わしもそれが良いと思う。仮に和睦を取りやめたとしても城攻めが続くだけ。死傷するのは武田の者でなく、当家の者らじゃ。懸川城攻めを他人事のように考えておるから和睦するななどと偉そうに申してくるのだ!わしも一度収まった怒りが沸々と煮えたぎってきたわ!」
本多作左衛門重次とやり取りしているうちに武田からの要請など無視するので良い。そう結論を出した家康だったが、今まで堪忍してきた武田への怒りが溢れ出してきそうな気分であった。
「殿」
「おお、叔父上。何ぞ、武田のことで意見があるので」
「うむ。今表で待たせておる使者じゃが、無視するのでは哀れ故、耳と鼻を削ぎ落して駿河へ送り返してやってはどうかと」
「そうした気持ちはわしにも分かるが、それをしてしまっては即時開戦じゃ。上手いこと言って此度はお引き取り願うとしようぞ」
誰よりも過激な意見を述べた叔父・水野惣兵衛忠重を宥めつつ、家康は武田からの使者に明確な返答をすることなく帰らせた。
それから幾日経っても返事を寄こさない徳川方の対応を受けて、駿河国興津へ在陣中の武田信玄はある一つの決断をすることとなる。
「皆集まったか」
信玄が興津城の広間へ招集した面々を見やると、錚々たる顔ぶれが揃っていた。
武田御一門衆からは齢二十九となった穴山左衛門大夫信君だけであったが、重臣は不死身の鬼美濃こと齢五十五の老将・馬場美濃守信春、齢四十一の譜代家老衆・山県三郎兵衛尉昌景、伊那衆を率いて遠江へ在陣していた齢四十三となった猛将・秋山伯耆守虎繁、此度の駿河侵攻で先陣を務めた譜代家老衆・小山田左兵衛尉信茂、同じく先鋒を担った齢三十三の真田左衛門尉信綱、真田左衛門尉の六ツ下の弟・真田兵部少輔昌輝、信玄側近・原隼人佐昌胤、板垣家の名跡を継承した板垣左京亮信安といった面々が集っていた。
優秀極まりない武田家臣団が揃い踏みと言わんばかりの集結ぶりに、重臣らも驚いているようであったが、その驚きを打ち払う鶴の一声ならぬ虎の一声が放たれる。
「皆も存じておろうが、裏切り者の松平めが今川との和睦交渉を進めておるとのことじゃ。それが成せた暁には、今川と北条の敵は我らのみに絞られる。ともすれば、形勢不利となることは目に見えておる」
信玄は己の不利を悟っていた。だからこそ、こうして重臣一同を集めて己の意向を伝える場を設けたのである。
「然らば、御屋形様はいかがなされるご所存で」
ずいっ、と膝を進めたのは伊那郡代・秋山伯耆守であった。徳川に苦杯をなめさせられ、駿河へ対陣する羽目に追いやられたことを根に持っている彼は、徳川への不信感を募らせながら主君へ問いかける。
「うむ、良き問いじゃ。儂はかくなるうえは甲斐へ撤退すべきじゃと考えておる」
信玄の口から飛び出した『撤退』の一言に一同はざわつくかに思われたが、百戦錬磨の強者たちはそれしきのことでは動じなかった。きっと主君・信玄にも何か考えがあるはずだとじっと主君が次の言葉を発するのを待っている。
「撤退するとは申せ、退路は薩埵峠へ布陣した北条軍によって閉ざされておるゆえ、来た道を使って戻ることは叶わぬ。さればこそ、撤退するための道を切り開くところから始めたい」
ここへきて、さすがに重臣たちも意外だとばかりに若手を中心にざわついた。北条軍に退路を塞がれているため、これ以上戦況が悪化しないうちに戦を挑んで勝利した後、撤退する者だとばかり考えていたからで、そう驚くのは無理もなかった。
「然らば御屋形様、新たに道を切り開くと仰せですが、一体何処に道をと」
あくまでも冷静に問いかけたのは最年長の馬場美濃守であった。落ち着き払った長老の一言に他の者は押し黙り、主君からの回答を静かに待つ。
「良き問いじゃ。この城の付近を流れる興津川の上流、中河内川と樽川に沿って新道を切り拓く。これが成せれば、甲斐への退路が確保でき、一時帰還も叶おう」
「一時と申されましたが、すなわち今一度駿河へ攻め入るお考えなのですな」
「無論じゃ。ここまで来て駿河を諦めるわけがなかろう。じゃが、新道を切り拓くこと決して敵方に知られてはならぬ。あくまでも隠密に進めねばならぬ」
信玄の言うことは最もであった。もし、薩埵峠に展開している北条左京大夫氏政率いる北条軍に知られれば、それを妨害する行為に出るは必定。それゆえに、道を切り開くのも隠密行動を心がけねばならなかった。
「隼人佐、前へ」
「ははっ!」
信玄へ呼び出されたのは朱印状奏者としての活動も多くみられる側近・原隼人佐。一体、信玄はどうして原隼人佐を呼び出したのか、他の重臣らが推測する中、信玄は退路を確保するために最も重要なことを命じたのである。
「隼人佐に新道開削の陣頭指揮を命じることとする」
「な、なんと!某に新道開削の陣頭指揮をと……!」
「案ずるな、そなたならばやり遂げると儂は見ておる。それゆえに託したのじゃが、無理であったか?」
「いえ、必ずややり遂げてご覧にいれまする!」
信玄はあえて意地悪な聞き方をした。そのような言われ方をしては、原隼人佐としても否とは申せなかった。だが、甲斐へ撤退する上で最重要と言っても過言ではない任務である。それゆえにやると言った以上は命に代えてもやり遂げねばならなかった。
「じゃが、案ずるな。新道開削だけをしておったならば敵もすぐに気づいてしまうであろう。ゆえに、別のことをして敵の注意を引きつけておこうぞ」
そこまで言うと信玄は獰猛な虎のような笑みを浮かべる。そんな虎が重臣らとの間に広げる絵図のうえで指さしたのは今表情を開いている興津城と、興津城の南であり駿府館の東に位置する久能城であった。
「次なる駿河侵攻の布石として興津城と久能城の改修を執り行う。敵の目を南へ引き付けている間に、隼人佐は甲斐へ通じる道を切り開くことに専念いたせ!良いな!」
「ははっ!」
決して信玄は原隼人佐に無理難題を吹っかけたのではなかった。難しいことであることに変わりないが、それが実現するよう、しっかり支援することを惜しまない、そんな傑物であった。
「改修後の興津城へは左衛門大夫、久能城へは左京亮を配備する」
名を呼ばれた穴山左衛門大夫、板垣左京亮は一礼して信玄からの在番命令を拝受する。この両名が与えられた役割も難儀であった。
主力が撤退した後の駿河へ残留し、東の北条と西の今川方へ目を光らせておかねばならないのだから。
「左衛門大夫も左京亮も城のことは任せたが、敵が攻めて来ようとも打って出てはならぬ。ひたすらに籠城で耐え、儂が再び駿河へ侵攻するまで耐え忍ぶのが務めじゃ。血気に逸って打って出ぬそなたらだからこそ託せることじゃ。頼まれてくれような?」
「はっ!この穴山左衛門大夫、御屋形様のご期待に沿える働きをしてご覧に入れまする!」
「板垣左京亮、右に同じく!」
穴山左衛門大夫・板垣左京亮の返答に満足したのか、信玄は大きく頷くと各将に城の改修の支度にかかるよう命じ、いよいよ駿河から甲斐へ撤退する準備を開始したのである。




