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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第256話 宇津山城、陥落す

 永禄十二年二月二十八日、遠江国宇津山城。


 家老・増田団右衛門が討ち死にして以後も懸命に城を守り抜いてきた大原肥前守資良であったが、酒井左衛門尉忠次率いる徳川軍の猛攻により城壁は至る所が損壊し、城として要害堅固とは言い難い有り様となっていた。


「殿、またもや足軽どもが逃亡を……」


「ちっ、連中め。見せしめにしてなお、足軽の脱走は止まらぬか……」


 宇津山城の広間にて力なく項垂れるのは顔中血と汗と泥にまみれた城代・大原肥前守であった。昨年十二月に徳川軍が遠江へ侵攻してきた折は、城外へ出陣して本坂道を監視する徳川勢に戦を仕掛けるほど士気の高かったのが周囲を見回せば嘘のようであった。


「足軽どもめ、蔵から兵粮や高く売れそうな鎧兜や刀槍を盗んでいきやがる……!」


「所詮、寄せ集めの足軽では役に立たぬか。して、兵糧や武器弾薬はいかほど持ちそうか」


「この調子ではあと半月かと」


「半月か……」


 武器弾薬が半月しか持たないというよりも、無ければ餓死に至る兵粮が半月分しかない。これが兵士らを絶望させ、次々に逃亡させている要因であった。


「昨日堀江城から届けられる予定であった兵粮や武器弾薬はいかがした」


「はっ、佐久城から出撃してきた徳川方の海賊衆によって焼き払われ、舟ごと湖の藻屑と化しましてございます……」


 家臣からの報告に胡坐をかく膝へ拳を振り下ろす大原肥前守。先月末に佐久城が落とされるまでは浜名湖中から物資の補給があった。


 しかし、酒井左衛門尉が佐久城を落として本坂から三ヶ日までの地域を平定し、宇津山城を包囲してから吉美や鷲津、新居といった浜名湖西岸部を次々に制圧したことで一気に流れが変わってしまった。


 二月上旬には四度五度に一度は物資を積載した船が沈没させられるようになり、それが三度に一度になり、今では二度に一度は沈められるようになっていた。これでは到底、籠城戦を続けていくことは不可能であった。


「かくなるうえは花沢城まで落ちるべきであろうか」


「は、花沢城とは駿河まで落ちるのでございますか?」


「そうじゃ、あそこは麓から高草山付近の丘陵のうえに築かれた要害じゃ。幅十六間、長さ三十六、七間ほどの本曲輪と、同じ大きさの二ノ曲輪があり、周囲の稜線にも腰曲輪や堀切を複数設けられておる。南北およそ四町の要害じゃ。徳川に降るくらいならば、花沢城へ落ちて武田軍ともう一戦交えてくれる!他にも山西地域では藤枝城や犬間城にも味方が籠城しておるし、駿府の北で蜂起した井川や安倍の一揆衆とも連携して戦える。ここで孤立無援となるよりはよかろう」


 常人ではありえない活力から発せられる闘志。これには家臣たちも驚かされるが、この大原肥前守資良という大将は昔からこうであった。こうと言ったら聞かない、今川家一筋の忠義者なのである。


「たとえ、戦う相手が徳川よりも強大な武田となるとしても、決意は変わられませぬか」


「当り前じゃ!この身が今あるのは亡き義元公のお引き立てによるものぞ!たとえ武田であろうとも、この命尽きるまで今川家の御為、戦い抜く所存じゃ!そなたらにまで無理について参れとは申さぬ!わしとともに今川家のため、武田と戦いたいと心に決めた者だけ付いて参るがよい」


 大原肥前守の言葉に家臣たちは膝を打って笑った。さては馬鹿にしているのかと大原肥前守が眉をひそめた次の瞬間、重臣の一人が口を開いた。


「やはり殿は殿じゃ!ご案じなさいますな、我らはどこまでも殿に付いて参りますぞ!」


「そうじゃそうじゃ!殿が義元公に引き立てられなければ今がないと仰るならば、義元公に引き立てられた殿に引き立てられねば、今わしらはここにはおらぬ!最後までお供いたしますぞ!」


「我らが忠義、日ノ本一であったと黄泉の国にて義元公からお褒めに預かりましょうぞ!」


「まったく、どいつもこいつも阿呆ばかりじゃ!わははははは……!」


 大原肥前守はそう言って笑うと、蔵を開放するよう命じた。


「皆の者!わしとともに花沢城へ参る者は舟に積み込めるだけ兵粮と武器弾薬を詰めよ!残りは付いて来ぬ者らで山分けせよ!」


 大原肥前守へ随従する者たちは急ぎ足で米俵や刀や槍、弓鉄砲に弾薬などを城に隣接する湊に停泊している舟へ積み込み、乗船していく。


「よし、城に残る皆に頼みたいことがある!まもなく陽が上り、敵方の城攻めが始まるであろう!脱出する前に、城中に残っている火薬を埋めておき、寄せ手が城へ突入するなり炸裂するよう仕掛けを施しておいてくれ。これがわしから徳川の者らへの置き土産とする!」


「お任せくだされ!さっ、城代様の仰せの通り、罠を仕掛けるぞ!時がない、急ぐのじゃ!」


 宇津山城に残ることを決めた今川兵らは城代からの最後の命令を快く聞き入れ、準備に取り掛かる。


 その姿を見届けると、自分を信じて遠く駿河国花沢城まで移ると言ってくれた家臣らの乗船する小早船へと乗り移る。


「よし、出航じゃ!目指すは駿河国花沢城!」


「おう!」


 大原肥前守一行が乗る船団は夜が明ける前の暗闇に乗じて宇津山城を出航。まずは浜名湖を出るべく、南へと進んでいく。そうして吉美、鷲津のすぐ東まで来た頃に新たな一日の始まりを告げる陽光が大地を照らす。


「殿、鬨の声が北より聞こえまするぞ」


「宇津山城攻めが始まったのであろう。罠は間に合わなんだか……」


 ――さすがに城中に火薬を仕掛けるのは間に合わなかったか。


 そう思い、北を見つめていた大原肥前守が視線を浜名湖の外、遠州灘へと移した刹那、浜名湖中に轟くような爆発音が幾度も空気を震わせた。


「殿!宇津山城から火の手が!」


「なにっ!?」


「どうやら仕掛けが間に合ったようにございますな!」


「おお……!やってくれたか!あとはあの者らが無事に逃げ落ちてくれたことを祈るばかりじゃ……!」


 そう言って船上で静かに合掌する大原肥前守に合わせ、手の空いている家臣数名も手を合わせる。


 そうして無事に浜名湖を出て大原肥前守一行が遠州灘を海路、駿河へ向かった頃。爆発が相次ぎ、櫓や蔵といった城内の施設へ引火した宇津山城へ、城攻めの大将・酒井左衛門尉が馬を乗り入れ、鎮火に当たっていた。


「急ぎ火を消し止めよ!手の空いている者は暫時城内の今川兵の掃討を!大原肥前守を探し、首を挙げよ!」


 消火活動にあたる隊、城内に残る今川兵と交戦しながら大原肥前守を探す隊に大まかに分かれながら、酒井左衛門尉率いる東三河衆は宇津山城へ雪崩れ込んだ。


 続々と今川兵を討ち取ったことや、消火活動が順調に進んでいることの報告が酒井左衛門尉へ寄せられるが、一向に大原肥前守を発見したとの報告は届けられなかった。


「左衛門尉殿!」


 船着き場の方から数名の徒歩武者を引き連れて駆けてくる騎馬武者は竹谷松平家当主・松平玄蕃允清宗であった。丸に一つ引両の旗を掲げて酒井左衛門尉のもとへやってきた齢三十二の竹谷松平の若き当主は汗を拭うことなく、急報を告げていく。


「先ほど某の隊が船着き場を調べたところ、停泊していたと思われる小早船が数艘出航した形跡がござった!よもや、舟で逃げたのでは……?」


「あり得る!諦めの悪い大原肥前守のことじゃ、どこかへ落ちて再起を図るつもりに相違ない!」


「よもや、堀江城の大澤勢と合力するつもりではありますまいか!」


「いや、大原肥前守であらば、我らがそう思うところまでを算段しておろう。思い切って遠州灘へ漕ぎだし、駿河へ向かったやもしれぬ!」


 大原肥前守のことを徳川勢で最もよく知っている酒井左衛門尉の考えは見事に的中していた。しかし、追いかけようにも肝心の船がない。徳川方の浜名湖の海賊衆へ依頼しようにも、大原肥前守追撃の命が届く頃には浜名湖の外へ出ているに違いなかった。


「万事休す、にございますか」


「やむを得ぬ。これは大原肥前守が城より逃亡することを想定しておらなかった某の落ち度じゃ。殿へは宇津山城を奪取したことと城代の大原肥前守を取り逃がしたことは報告しておく」


「はっ、承知いたした。して、この宇津山城はいかがしましょう。浜名湖水運を牛耳るうえで欠かせない要衝にござれば、然るべき将を配置するべきと心得まするが」


「某は玄蕃允殿、貴殿が相応しいと考えておる」


「な、なんと!某に宇津山城番をと!」


「正式な沙汰は殿から下されるであろうが、ひとまず竹谷松平勢に宇津山城を固めていただきたい。何か指示があれば、改めて伝達しますゆえ」


「うむ、承知いたしましたぞ!宇津山城がことはお任せくだされ!左衛門尉殿はこれより堀川城へ向かわれまするか!」


「いかにも。堀江城の前に堀川一揆を一兵残らず殲滅し、後顧の憂いを断った後に東三河衆の総力を挙げて堀江城攻めを行う所存」


 酒井左衛門尉から今後の動きについて承った松平玄蕃允は宇津山城の守備を固めるべく、家臣を招集して支度にかかる。その一方で、酒井左衛門尉は宇津山城を仮の本陣と定めたうえで今後の流れについての評定を開くとともに、懸川の家康へと早馬を飛ばした。


 午の刻に宇津山城を発した早馬が天竜川を渡河し、天王山砦の家康のもとへ到着したのはその日の夜、戌の刻に入った頃であった。


「おお、宇津山城が落ちたか!」


「ははっ!されど、城制圧まで成せたものの城代である大原肥前守を取り逃がしてしまい……」


「構わぬ!大儀であったと左衛門尉らに伝えよ!」


「ははっ!」


 ――発破をかけたとはいえ、本当に二月中に宇津山城を落としてしまうとは。


 こればかりはいい意味で家康も予想を裏切られる結果であった。たとえ、大原肥前守を取り逃がしてしまったとしても、宇津山城を陥落させたことに意味があるのだ。


「して、左衛門尉は堀川一揆鎮圧に向かうと申しておったか」


「はい!そのための評定を開くと申しておりました」


「まずは兵馬を休ませよと伝えよ。兵馬が疲れておっては落とせる城も落とせぬゆえな」


「承知に!」


「それと、吉美や鷲津、新居といった湖西地域をくまなく平定することを堀川一揆鎮圧の前に済ませておくように申し付けておくのじゃ。湖西地域の平定を成した後、堀川一揆鎮圧じゃ」


「ははっ!承知いたしました!然らば、その旨、左衛門尉様に伝えておきまする!」


 酒井左衛門尉からの早馬が休むことなく、昼夜兼行で本陣を発ったのは亥の刻。これならば明日の明朝卯の刻には宇津山城へ帰着すると家康は踏んでいた。


「殿、左衛門尉殿に負けてはおれませぬ。我らも急ぎ懸川城攻めを!」


「ははは、落ち着け、平八郎。焦っても落とせる城ならば、とっくの昔に懸川城は落ちておる」


 酒井左衛門尉が要衝・宇津山城を落としたことに対抗意識を燃やしているのか、本多平八郎忠勝はいきり立ち、すぐにも城攻めをと言い出したのである。これを家康は笑って止めながら、一向に落城の色を見せない懸川城の絵図と睨み合う。


「殿、久しく城方との交戦もございませぬ。城方も油断しておりましょうゆえ、隙を突いて強襲してみてはいかがでござろう」


「ほう、珍しく平八郎と意見が合ったわ。わしも同意見であった」


「では、今すぐにも強襲を!」


「いや、今しばらく待つ」


 敵が油断を衝いて一気に襲い掛かる。それは本多平八郎に言われる前に家康も思いつき、実行に移したいと常々考えていたところであった。だが、本多平八郎の言うように、今すぐにというわけにはいかない。


「何故今すぐ仕掛けられぬのですか」


「今少し時を置き、城方を油断させるためじゃ。そうじゃな、あと五日、六日ほどおとなしくしておれば敵もさぞかし油断することであろう」


「然らば、来月四日か五日あたりに強襲なされるおつもりで?」


「その通りじゃ。来月になれば寒さも和らぐであろう。そこが攻め時じゃと思うておる」


 家康の考えを聞き、猪武者・本多平八郎も下にも道理と頷いた。まだまだ城の周囲も雪が薄っすらと積もり、寒さが無駄に体力を奪っていく。


 そんな中で無理に戦を仕掛けるのではなく、雪解けするであろう三月に入ってから戦を仕掛ける方が兵たちの動きも機敏になる。それを家康は見越して強襲の時期を定めていた。


「では、それまで殿は何をなされるおつもりで」


「これまで通り、新たに従った者らへの知行安堵状、武功のある者らへ知行宛行状を発給するのみぞ」


「然らば、某は強襲が決行されるまで、槍を磨いて待っておりまする」


「うむ、平八郎の武勇を頼みにしておるぞ」


 家康から頼みにしていると言われた本多平八郎は喜色満面で本陣を去り、家康は筆と硯を引き寄せ、書状と向き合う日々を継続するのであった――

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