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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
254/322

第254話 三越交渉の始まりと武田の約定違反

 永禄十二年二月十六日、武田信玄と再度起請文を交換した家康。


 信玄との関係悪化が目立つ中で届けられた上杉弾正少弼輝虎からの返書をいかにするか、じっくり考え抜いた末、武田との起請文交換から二日後の十八日に家康は上杉家重臣・河田豊前守長親に宛てて返書をしたためていた。


 自輝虎御尋本望至候、抑駿・甲被逮相鉾楯之刻、家康向于遠州出馬候処、存知之外彼国之諸士令降参、懸川一城敵対候、彼城今河氏真被楯籠之間、詰寄在陣候、是又可落居相定候、様子染筆之外無異議候、随御家中逆意族出来候処、早速御成敗之故、治国之由被仰越尤存候、此旨具可被仰入事所希候、恐々謹言

 二月十八日 家康(花押)

 河田豊前守殿


「日向守、わしがしたためた書状はこのようになっておる」


「なるほど、武田との共同で今川領へ攻め込んだことは明記して良いのですな」


「うむ。正直なところを伝えるべきであろうが、残すところは懸川城だけという点だけは誇張して伝えておる」


「承知いたしました。この『御家中逆意族』と申すは、北越後の本庄繁長がことにございましょうか」


「その通りよ。聞くところによれば、本庄繫長の乱も鎮まり、越後国が平穏を取り戻したとのことゆえ、これを祝する文章も加筆しておる」


「承知いたしました。これと内容はほとんど同じ副状を作成いたし、完成次第すぐにも越後へ届けさせまする」


 越後へ書状を出すにあたり、主君・家康の書状と家老・石川日向守家成とで書状に記す内容に大きな差があってはいけない。そのため、こうして陣中で打ち合わせたうえで、書状を石川日向守へ託したのであった。


「加えて、上杉家の当家への取次は河田豊前守殿。当家の上杉家への取次は日向守に任せることとしたいが構わぬか」


「問題ございませぬ。とにもかくにも遠州での様子を上杉家に伝えれば良いのですな」


「そうじゃ。こちらの様子が詳細に伝われば伝わるほど、上杉弾正少弼輝虎殿も動きやすいであろうゆえな」


「承知しました。上杉家との取次という大役、見事に果たして見せまするぞ」


 気合十分、といった様子の家老・石川日向守に上杉家との取次を任せた家康が従属した者への知行安堵状や功績のあった家臣へ知行を宛がう旨の書状を発給するべく筆を取る。懸川城攻めの采配だけでなく、こうした書状を記すことも当主としての大事な務めであった。


 そうしたところへ、浜名湖水運の奪取を命じた酒井左衛門尉が戦況の報告と今後の方針の相談のため、家康の本陣を訪ねてきたのである。


「殿、お久しゅうございます。酒井左衛門尉忠次、只今戻りましてございます」


「左衛門尉、よくぞ戻って参った。佐久城のことは耳にしておる。本坂から三ケ日にかけての地域を平定したとのこと、見事であった」


「ははっ、お褒めに預かり恐悦至極に存じます。されど、宇津山城攻めと堀江城攻めは難儀しており、落城する気配が見られませぬ」


「そのようじゃな。宇津山城代の大原肥前守は吉田城代であった頃に幾度と手を焼いた名将じゃ。加えて、大澤左衛門佐も今川家への忠節は譜代の重臣らを超える無二の今川方。その者らが守る城を落とそうと思えば、これだけ苦戦するのはやむを得まい」


 家康も城代・大原肥前守資良の守る宇津山城と湖の領主と謳われる大澤左衛門佐基胤の守る堀江城の攻略も難航するのは百も承知であった。それでも落とさねばならない以上、最も適任なのは酒井左衛門尉忠次だと見込んで、周辺地域の制圧を命じているのである。


「して、一揆勢が籠城しておる堀川城はいかがなっておる」


「堀川城はさしたる動きはございませぬ。されど、地元の者らから話を聞く限り、堀川城は潮が満ちてくると舟で往来する以外に方法がなく、潮が退いている時でも出入口は一カ所のみで誠に要害堅固であると申しておりました」


「ふむ、堀川城もなかなか守りの堅そうな城じゃな」


「されど、数がそれほど多くないことから、宇津山城が落とせた暁には、某が主力を率いて一挙に制圧してしまうつもりでおります」


 いかに城が要害堅固でも籠城しているのは地侍や百姓の寄せ集め集団。ましてや少数だというのならば、宇津山城を陥落させた後に堀川城を先に陥落させ、その上で堀江城攻めを全軍で行った方が良いのではないか、というのが酒井左衛門尉の考えであった。


「ふむ、その方が良さそうじゃな。して、宇津山城は落とせそうか」


「それが家老の増田団右衛門を討ち取る戦果は挙げましたが、城攻めは難航しておりまする。我らが思っていた以上に城代の大原肥前守の抵抗が激しく、幾度と退却させられております」


「桶狭間合戦以後、一度は奪われながらも五年の長きにわたって吉田城を堅守しただけのことはあるか」


「はい。某も吉田城を引き渡される時に直に会っておりますが、さすがは亡き義元公に見込まれて吉田城を託された傑物であると感心いたしました」


「それゆえに息子を三浦氏の傍流に養子入りさせることを認められたわけじゃが、その息子の三浦右衛門大夫真明は高天神小笠原氏に討たれておるからの」


「父の優秀さが発端となり、息子が辿った悲惨な末路、といったところにございましょう」


 もちろん、氏真の側近として権勢を振るった三浦右衛門大夫真明個人が買った恨みなども大きかったが、そんな三浦右衛門大夫の首を見た時、家康は複雑な想いであった。


 そして、息子の最期を知ってなお、大原肥前守資良という今川家の忠臣は宇津山城代の任を全うするべく決死の抵抗をしているのである。


「佐久城から水軍を出して包囲することはできぬのか」


「堀江城が目と鼻の先にございますれば、妨害を受けて頓挫しております」


「それは逆もまた然り、といったところか」


 宇津山城を包囲するべく水軍を出せば堀江城から出てきた水軍に妨害され、逆に堀江城を水軍でも包囲しようとすれば宇津山城から出撃してきた水軍に妨害されてしまう。かといって、二つの城を同時に包囲できるほど水軍を動員できない。


 これこそが、宇津山城と堀江城を攻めるにあたって決定打に欠く根底にあるものであった。浜名湖水運を奪取するために両城を落としたいが、両城を落とすには浜名湖水運を奪取することが欠かせない。


「ともあれ、このことは一度日を改めて評議することといたそうぞ。わしや左衛門尉では考えが煮詰まっておっても、与七郎に聞けばすんなり解決策が出る、ということもあり得るゆえな」


「まさしく。某も殿や城攻めに関わっていない者たちの知恵を拝借したい思いから帰陣したのでございます」


 まだまだ続く厳冬の中、熱く語り合った家康と酒井左衛門尉は日を改めて軍議をすることとし、その日は別れた。


 懸川城に籠城する今川勢の攻勢が落ち着いているうちに宇津山城と堀江城をいかにして攻め落とすべきか、話し合う軍議の場を別日にもうけた家康であったが、五日経っても良い策は出なかった。


 そんな二月二十三日。武田方の使者として下条志摩守が懸川の徳川方の陣所を訪れ、各所に砦が築かれていることを視察しに来たのである。


 そんな下条志摩守の対応をしたのは家老・酒井左衛門尉忠次と本多百助忠政の両名であった。物見遊山しに来たかのような下条志摩守とは対照的に、酒井左衛門尉と本多百助の表情は強張ったままであった。


「付城の構築は順調なようでございますな」


「いかにも。遠州の諸士らも材木の運搬から普請まで手伝ってくれますゆえ、殊の外順調に進んでおります」


 遠江諸士は徳川に靡いているので武田方に靡く余地はありませんぞ、と言外に釘を刺す酒井左衛門尉の一言に、さすがの下条志摩守の表情も引きつる。


 起請文を交換し、武田の一門衆である穴山左衛門大夫信君から『これで双方がますます懇意となることを望んでおります』と書状を送られた酒井左衛門尉であったが、すでに武田への信用は正から負へと振り切れており、言動も妙に刺々しかった。


 視察に来た下条志摩守への案内が一通り済むと、酒井左衛門尉は自身が守備する長谷砦へと案内し、協議の場を設けた。そう、武田からの使者・下条志摩守が来訪した頃合いで言っておかねばならない事案が新たに発生していたからである。


「して、左衛門尉殿。某と協議したきことがあると仰せでしたが、一体何事にございましょう」


 用意された床几に腰かけて早々、協議のことについて触れたのは下条志摩守の方であった。それを待っていたと言わんばかりに、酒井左衛門尉は本多百助と目を合わせて頷き、口を開いた。


「漏れ聞くところによれば、安倍郡の一揆衆と人質替を伴う和睦をなされたとか」


「なっ……!」


「何故そのことを知っておられるのかと仰りたいのでしょうが、当家にも優秀な忍びがおりますれば、この程度の情報は筒抜けにございますぞ。このこと、すでに我が主三河守の耳にも入っておりまする」


「はっ、はは……そのことにつきましては――」


 笑ってはぐらかそうとする下条志摩守の姿勢に、机代わりに用いられている木楯がひっくり返らんばかりの勢いで叩いて起立したのは他でもない、家老の酒井左衛門尉であった。


「笑ってごまかして良いことではござらぬ!我らが主君と甲州屋形とで取り交わした起請文には『徳川氏も武田氏も相互の合意なく今川方と無断で和睦すべからざること』と記してござる!此度の安倍郡の一揆衆との人質替を伴う和睦は起請文の内容に抵触するものであろうが!」


「そ、それにつきましては当方にも事情というものがございますれば……」


「事情じゃと!事情があれば取り決めた約定を破っても良いと言わっしゃるか!然らば、当家も事情があったならば武田家との約定を反故にしても良いと、かように解釈してもよろしゅうござるな!」


「そ、それは困りまする!交わした約定は守っていただかねば……!」


「なんじゃと!おのれらは破ったくせに、我らには約定を遵守せよと!どの口が申しておるか!秋山伯耆守がことに続き、かように約定を反故にするつもりというならば、当家にも考えというものがござる!このこと、ただちに立ち返って協議なされるべし!」


 顔を真っ赤にして激怒する酒井左衛門尉と、その傍らで殺意を帯びた眼を向ける本多百助を相手に、下条志摩守はそれ以上何も言うことができなかった。


 逃げ出すように下条志摩守が駿府の方面へと馬を走らせていくのを砦の櫓から見届けた酒井左衛門尉と本多百助は痛快だと笑いあった。


「左衛門尉は稀代の役者にござる!某も傍から見ていて震えが止まりませんでしたぞ!」


「ははは……!某も頭に血が上り、言いたい放題言ってしもうたが、あれで良かったのであろうか」


「あれでよいと某は思いますぞ。左衛門尉殿は何一つ間違ったことは申しておらなんだ。本日中にも下条志摩守めが武田重臣の誰かに事の次第を報告しましょうゆえ、近日中にも左衛門尉殿へ書状が届くのではござらぬか」


 本多百助の言う通り、駿府へ逃げ帰った下条志摩守は武田重臣・山県三郎兵衛尉昌景へと事の次第を説明している真っ最中であった。


「なにっ!安倍の一揆衆との和睦が徳川へ漏れていたと申すか!」


「はいっ……!そのことで某は詰問され、こうして戻った次第に」


 山県三郎兵衛尉は舌打ちした。虎視眈々と駿府奪回を狙う一揆方との交渉に当たっていたのは信玄の異母弟・武田上野介信友と朝比奈駿河守信置、小原伊豆守の三名であり、いずれも此度の駿河侵攻で武田家に従った者たちばかりであった。


 何よりまずかったのは、この人質替を伴う和睦交渉は武田信玄にも知らされず、担当者三名の独断で行われていたこと。


 信玄ですら、このことを知ったのは二日前の二十一日のこと。


 その日のうちに激怒した信玄の命令で武田上野介は出仕停止処分となり、朝比奈駿河守と小原伊豆守は武田に降ってまもないため、武田家中のやり方を知らなかったことを考慮して許されたが、両名とも恐懼して自ら謹慎している現状があった。


 激怒した信玄の胸中を推し量れる山県三郎兵衛尉だからこそ、徳川方に知られてしまったことが徳川との関係に気を揉む信玄の最も恐れていた事態であることを瞬時に悟った。


「せめて御屋形様へ報告されておれば、このことを徳川へ伝えて合意を得て、事前通告の上で和睦交渉したゆえ起請文の内容に抵触しておらぬと言い張れたものを……」


 想定していた中で最悪の事態となってしまったことを受け、さしもの猛将・山県三郎兵衛尉も焦った。とにかく弁明する必要があると、怒っていた張本人・酒井左衛門尉忠次に宛てて書状をしたためるべく筆を取るのであった――

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