第253話 再度の起請文交換と上杉輝虎とのこと
永禄十二年も二月も中旬に差しかかろうかという頃。堀江城攻めの苦戦。そして、井伊谷三人衆の一人・鈴木三郎大夫重時が討ち死にしたとの報せは、懸川城を攻めあぐねる家康のもとへただちに注進された。
「なんと!三郎大夫が討ち死にしたとな……!」
「はっ、近藤平右衛門様の隊とともに城門付近まで攻め寄せるも、敵の銃弾を多数受けてお亡くなりに……!」
「そうであったか。して、今は隊の指揮は陣代の者が務めておるのか」
「はい。ご嫡男の平三郎様は元服前にございますれば……」
「ふむ。されば、平三郎への家督継承を認めよう。されど元服するまでは出陣に際して陣代を立てることといたせ」
「ご配慮くださり、ありがとうございます!この旨、ただちに堀江城攻めに加わっておる者らへ報せに戻りまする……!では、ご免!」
鈴木三郎大夫の家臣からの火急の報せ。長篠菅沼家当主・菅沼貞景の戦死から数日が経って、今度は堀江城攻めに加わっていた鈴木三郎大夫重時の戦死。
凶事は重なるとはよく聞くが、本当に重なるものなのだということを家康は身をもって大観させられていた。
「殿」
「おお、これは叔父上」
「叔父上はやめてくだされ。この水野惣兵衛忠重、今は徳川三河守家康の一家臣にござれば」
「ははは、そうでしたな。して、また合戦でもありましたかな」
「はい。近ごろは今川勢から仕掛けてくることは少なくなりましたが、つい先ほど袋井口にて小競り合いがあった模様」
袋井口といえば包囲網の中でも西の方。これまでとは打って変わって西の方を狙ってきたのであれば、不意を突かれて味方が敗戦したのではと家康の頬を冷や汗が伝う。
「殿、ご案じなさいますな。迎撃した幡豆小笠原勢が見事に今川勢を打ち払ったとのことにございますれば」
「そうか。やはり摂津守は歴戦の強者。さしもの今川勢も打ち破れなかったか」
「齢五十九となられる御方にございますれば。我らが生まれた頃より戦をしておる御仁ですからな。また、その下で嫡男の丹波守安次殿、三男の喜三郎安勝殿も敵兵と直に槍を合わせる活躍をなされたそうな」
「そうであったか。小笠原父子には後ほど感状を発給しておくとしよう。されど、叔父上も戦が減っては成すこともなく、暇を持て余しておられるのでは」
「ははは、戦がないのは良いことじゃ。ここ数日、敵味方の屍も少なくなり、兵士らは生き生きしておる」
「そうじゃな、皆戦がない方が嬉しいのは同じか」
戦好きの武辺者に見えて、本心から戦を望んでいない水野惣兵衛の言葉に、家康は発した途端に空中で霧散してしまいそうな声量で本音を漏らす。
そんな気落ちしている甥・家康の様子を見て、水野惣兵衛はつい先ほど陣中で耳にしたことを耳打ちする。
「それと、先月二十六日のことじゃが、北条左京大夫氏政率いる本隊が薩埵峠に到着し、決戦の機運が高まっているそうにござる」
「ほう、いよいよ武田と北条が正面からぶつかるか」
「そう見ている者が多うござる。加えて、来月にもなれば信越国境の雪も解けるため、上杉軍が北信濃へ攻め入るのではないか、との風説も流れております」
「そうか、まもなく雪解けか。風説の通り、上杉が北信濃へ出兵すれば、信玄は絶体絶命であろう。これは見ものじゃ」
ついに上杉弾正少弼輝虎が武田領の信濃へ動く。もしそうなれば、駿河にて北条軍と対峙して身動きの取れない信玄は絶体絶命。駿河に関わっている場合ではなくなるのだ。
「じゃが、叔父上。この書状をご覧になられるがよい」
「これは……なんと!噂をすればなんとやら、ですな!」
「越後守護であり、関東管領でもある上杉弾正少弼輝虎殿からわしに宛てて出された書状じゃ。遠江での戦局はどうなっておるかと尋ねる文面じゃ」
「ははは、これは度肝を抜かれましたぞ。して、返書はお出しになられたので?」
「いや、まだじゃ。今返書の内容を考えておるところじゃ。無礼だと思われることがあってはならぬゆえな。ひとまず、重臣の河田豊前守長親殿へ宛てて返書を出すことと、家老である石川日向守家成に副状を出させることだけは決めておる」
「左様にございましたか」
武田家と協同して遠江へ侵攻しておきながら、これまでの武田方の対応に家康が不満を募らせているのは水野惣兵衛も存じていたとはいえ、武田と敵対する上杉と通信しようとしていたとは予想外であった。
そうして家康が上杉家への返書に頭を悩ませて数日が経った頃。今度は興津にて北条氏政の本隊も合流した北条軍と対峙する武田信玄から書状が届けられたのである。
「殿、興津の武田信玄より書状が届いたとは真にございますか」
「おう、日向守。上杉へ出す書状のことで呼び出したのに相済まぬ。先ほど、思いがけず武田から書状が届いての」
「それは良いのです。して、武田からはなんと?」
「なに、物騒なことではない。わしが遠江経略から武田を追い出したことへの不服を申し立てて参ったのかとひやひやしたが、信玄殿はわしと再度起請文を交換したいのだそうじゃ」
「ほう、起請文にございますか」
家康の従兄であり家老でもある石川日向守家成は家康から信玄の書状を受け取ると、ざっと目を通していく。
「起請文の交換とは、よほど武田は我らの機嫌を損ねて背後を衝かれることを恐れておるのですな」
「正面に北条家当主自らが率いる意気軒高な北条軍を抱えておるところへ、背後から当家に攻撃されるようなことにでもなれば、武田は終わる。恐らく、北条から当家へ調略が入っているのではと危惧してのことであろう」
「なるほど。さりとて、北条からの調略は入っておりませぬが、上杉からの調略は入っておりますからな」
「まあ、武田と敵対する者からの調略が入っておるという点では同じことか」
けらけらと笑う家康と石川日向守。両名はひとしきり笑った後、真面目な顔つきに戻り、新たに交わす起請文の案文についての協議に移った。
「武田からの起請文の案文は基本的には侵攻前に交わした密約と同じものにございますな」
「うむ。一点異なるとすれば、『今川領分割については川切を目安とするが、相互に自力次第とすること』が『今川領分割については自力次第ではあるが、遠江国はことごとく徳川のものとなったため、武田はそれを認め、川切は大井川とすること』と変更されておる」
「まことですな。おそらく、武田もこれが精一杯の譲歩なのでございましょう」
「じゃが、内容としては我らとしても異論はない。ひとまず、信玄殿へ送る起請文の案文はこのままでいくとしよう」
家康は石川日向守からの同意を得られたこともあり、起請文をすぐにも作成。その家康が記した起請文は二月十六日、駿河国興津に在陣中の武田信玄のもとへ届けられた。
「御屋形様、懸川に在陣中の徳川殿よりの使者が到着。先日御屋形様がお送りになった起請文を持参したとのことで、使者はいつぞやの植村与三郎と山岡半左衛門の両名にございまする」
「左衛門大夫、大儀じゃ。使者らを城の広間へ丁重にお通しせよ」
「ははっ!」
徳川からの使者の来訪を告げた穴山左衛門大夫信君は信玄が珍しく嬉々とした様子で、なおかつ家康の使者に対する対応が大きく変わっていることに驚きながら使者の植村与三郎と山岡半左衛門を先に広間へと導いた。
それからしばらくして鎧を解いた平服で姿を現した武田信玄は小姓を介して、家康から送られてきた起請文の内容に目を通してゆく。
一、以後も当家と武田氏は伝達を密にし、連携して今川攻めを継続すること。
一、当家も武田氏も相互の合意なく今川方と無断で和睦すべからざること。
一、当家も武田氏も相手を裏切ったり騙したりするような行為は今後一切しないこと。
一、甲三の同盟を確実なものとするため、当家が提出した人質は引き続き武田氏が預かりおくこと。
一、今川領分割については自力次第ではあるが、遠江国はことごとく徳川のものとなったため、武田はそれを認め、川切は大井川とすること。
もとより、信玄が送った案文通りの事柄に家康も同意しただけなのであるが、信玄はこの対応の早さを喜んでいる風であった。
「使者殿、儂が起請文を所望したところ、すぐにこれに応じてくれたことに感謝しておったと徳川殿にお伝えくだされ」
「ははっ!仰せの通り、主君へお伝えいたしまする!」
「うむ」
信玄は大きく頷き、筆と硯と紙を文机ごと引き寄せると、さらさらと武田から徳川へ渡す起請文をしたためていく。それが仕上がると、穴山左衛門大夫を介して、使者の植村与三郎と山岡半左衛門へ披露された。
「ご両名とも、起請文の内容はそれで間違いないかな?」
「はいっ!問題ございませぬ!」
使者の一人・山岡半左衛門からの返答に満足げに信玄がうなずくと、再び穴山左衛門大夫を介して信玄のもとへ起請文が戻される。
手元に戻ってきた起請文を見やると、信玄は脇差を三寸ばかり抜いて鞘を握っていた左手の親指を伸ばして刃に押し当てた。そうして血が出た親指を自らの名前の下に押し当てたのであった。
「使者の面前で血判を押すのは幾つになっても慣れぬものじゃ。然らば、この起請文を然るべく徳川殿へご披露くだされよ」
「ははっ!しかと主にお渡しいたしまする!此度も急な来訪となりましたが、かくも丁重にご対応いただき感謝申し上げまする!では、これにて我らは失礼いたしまする!」
使者の山岡半左衛門と植村与三郎は深々と頭を下げた後に作法通りに広間を退出し、馬に一鞭くれて懸川へと戻っていくのであった。
「ふう、徳川との起請文交換はこれにて成せたか」
「はい。まったくもって徳川に当家が譲歩せねばならぬとは、口惜しい限りにございます」
「そう申すな、左衛門大夫。そなたからも徳川の家老、酒井左衛門尉忠次へこの起請文交換について書状で知らせてやるがよい。これで双方がますます懇意となることを望む、とでも末尾を結んでおけばよかろう」
「はっ、然らばすぐにも書状をしたため、遠州へ使者を向かわせまする。して、御屋形様が京へ働きかけられております甲越和与はいかがなりましたか」
穴山左衛門大夫の口から飛び出した『甲越和与』の一言に武田信玄は眉をぴくりと動かした。東に関東の北条軍、西に意気軒高な今川方や一揆勢、北に越後の上杉家と、三方位を敵に囲まれる事態となった武田信玄は在京の家臣・市川十郎右衛門に命じて将軍足利義昭とそれを補佐する織田弾正忠信長へ働きかけ、宿敵・上杉弾正少弼輝虎との和睦へと舵を切ったのである。
穴山左衛門大夫もそんな主君の動きを知っており、それがどのような進捗となっているのかを訪ねたものらしかった。
「京におる市川十郎右衛門からは将軍足利義昭様が今月八日に長尾弾正少弼輝虎へ甲越和与を命じる御内書を発給なされ、まもなく織田弾正忠殿が副状を発給して、越後へ送られるようだとの
報せが届いておる」
「なるほど、それはようございました。将軍と織田弾正忠殿が動かれたのですな」
「うむ。元より義昭様は当家と長尾家が争っておることに心を痛めておられたと聞く。ましてや、織田家は当家とも長尾家とも同盟を結んでおるゆえ、仲立ちとあらば喜んで引き受けるだろうと見越して弾正忠殿へ依頼したのじゃが、将軍義昭様もこれに同意してさっそく動いてくれたようじゃ」
「幕府や朝廷、義を重んじる長尾弾正少弼のことです。将軍家から当家と和睦するよう御内書でもって命じられては、これに応じざるを得ますまい。そこに目を付けられるとは、さすが御屋形様にございます」
「じゃが、さすがに長年当家と争ってきた長尾弾正少弼ともあろう男が、すんなり応じるとも思われぬ。まだまだ楽観できる段階とは到底言えぬわ」
「されど、よもや北条も和睦した長尾家と当家も和睦しようとしているとは思いますまい。仮に長尾家が双方と和睦したならば全力で北条にぶつかれまするが、対する北条は東に里見や佐竹、宇都宮といった敵対大名を抱えてもおりますれば、たちまち音を上げましょう」
穴山左衛門大夫の目論見はあながち間違いではなかった。むしろ、信玄は現に房総の里見氏や常陸の佐竹氏、下野の宇都宮氏へ対北条の同盟を持ちかけており、締結も間近に迫っていたのだ。
「ひとまず長尾との和睦が成れば、北条は恐れるに足らず。ここは京の公方様や弾正忠殿の尽力に賭けるほかあるまい」
――これだけ各地の戦で勝利をおさめ、領土を拡大してきた自分が京の将軍や織田を命綱とする日が来ようとは。
そう述懐する信玄は遠く西の空を見上げ、良い便りが届くのをただ待つばかりであった――




