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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第251話 浜名湖水運をめぐって

 永禄十二年一月下旬。懸川城へ籠城する今川勢が城外の徳川軍へ戦を仕掛けて勝利した旨が記された朝比奈芳線の書状が堀江城の大澤左衛門佐基胤のもとへ届けられたのは翌日のことであった。


「兵部少輔!兵部少輔はおるか!」


 湖の領主こと堀江城主・大澤左衛門佐は大声で一族・中安兵部少輔種豊を呼ぶ。珍しく動揺している城主の姿に、中安兵部少輔は慌てた様子で駆け寄る。


「殿、いかがなされましたか!」


「これを見てみよ」


「これは懸川城へ籠城しておる朝比奈芳線殿からの書状……!」


 沈着冷静な大澤左衛門佐がこうも声を荒げて書状を渡してくるのであるから、ひょっとすると懸川城が落ちてしまったのではないか。そんな悪い想像を過ぎらせながら、中安兵部少輔は書状を開く。


「な、懸川の者らは何を考えておるので!?わざわざ城外へ打って出たと!?」


「そうじゃ。敵の大将を討ち取れれば戦は終わる。その考えは間違っておらぬが、ただでさえ兵数が少ない籠城側が取る戦術ではない。ただただ頑なに城を守ることこそ肝要であるというのに……!」


「これならば、殿が以前口にしておられた策の方が犠牲を最小限に留めたうえで勝利できるのでは!」


 大澤左衛門佐と同様、中安兵部少輔も懸川に籠城する今川勢が城から打って出て徳川軍と合戦に及ぶことの危うさを感じ、反対意見を述べていた。そして、一族の中安兵部少輔の発言から、大澤左衛門佐は自らが以前思いついた策を呼び起こしていた。


「近辺の百姓五百から六百名を動員し、三方原の通用を遮断する策じゃな」


「いかにも。我らが籠城を開始した当初はこれに呼応して堀川、気賀、刑部の地侍や百姓らが一揆を起こしてくれておりましたが、昨年末に野田菅沼勢によって気賀と刑部は奪回され、徳川方ともなっております。ともすれば、殿が仰る策を実行することで再び徳川方の補給路を遮断し、懸川へ在陣させられなくなりまする」


「兵粮や武具といったものが補給できないとなれば、いかに徳川三河守といえども懸川城を包囲してはおれなくなる。さすれば、必然的に懸川城の包囲も解けようもの」


「殿、ここは朝比奈芳線殿に宛てて連署状をしたため、この殿の策を実行に移してくださるよう、御屋形様へ取り次いでいただいてはいかがでしょうや」


「うむ、それもそうじゃな。このままでは懸川だけでなく、この堀江城とて戦局を打開することはできぬ。よし、兵部少輔のおかげで決心した!すぐにも書状をしたため、懸川へ送ろうぞ!」


 大澤左衛門佐は以前より思案していた堀江近辺の百姓を五百から六百人動員し、三方原の通用、すなわち本坂道や鳳来寺道といった曳馬城へ抜ける交通路を遮断することで敵の補給路を断つ策を提案する連署状を中安兵部少輔とともに作成。


 その実行部隊となる百姓たちを召し抱えられるだけの知行宛行の証文を発給して欲しいとの旨も書き添え、三河から懸川に送られる兵粮や武具などの物資輸送を遮断が叶えば徳川軍は補給が苦しくなり、懸川城攻撃のための在陣が困難になることは必定であるとも陳情したのである。


 そんな堀江城で健闘する大澤左衛門佐・中安兵部少輔の連署状は二日後には今川重臣・朝比奈芳線のもとへ届けられた。


「御屋形様、堀江城の大澤左衛門佐殿とその一族の中安兵部少輔より連署状が届きましてございます」


「ほう、左衛門佐からか」


 広間で書状をしたためている最中の氏真であったが、一度筆を置き、朝比奈芳線が持参した大澤左衛門佐・中安兵部少輔の連署状を開いた。


 先に開封して内容を知っている朝比奈芳線は読んで感じたことを氏真に今すぐ伝えたいのを我慢し、主君が書状を読み終えるのをただひたすら待つばかりであった。


「ふむ」


 書状を一読した氏真は期待していた内容と違ったのか、どこか落胆したような面持ちで書状を脇へ置いた。


「御屋形様はいかが思われましたか」


「左衛門佐の言わんとすることは分かる。されど、我らが城外へ打って出て徳川に戦を仕掛けて勝っていることを何故危ぶまれねばならぬのか」


「まこと、その通りにございます!所詮は戦を知らぬ田舎領主風情が御屋形様の方針に意見するなど、分不相応にもほどがありましょう」


「芳線、それはそなたの意見であろう。勝手に予の心を推測するでない」


「はっ、申し訳ございませぬ!」


 ――これは御屋形様の機嫌を損ねてしまったやもしれぬ。


 そう思い、青ざめた顔を上げる朝比奈芳線であったが、氏真は声音とは裏腹に、さほど怒ってはおらぬ様子であった。


「策としては三方原の路次を封鎖することで徳川方の補給路を断つという手は悪くない」


「では、献策を聞き入れられると?」


「いや、そのための知行宛行の証文を発給、これが曲者じゃ。百姓らへの知行宛行などもっての外、当家はそこまで落ちぶれてはおらぬし、路次の封鎖も今おる堀江城や堀川の一揆衆が動けばよかろう。何も新たに百姓を召し抱えてまですることではない、というのが予の見解である」


「では、受け入れられない旨の返書を左衛門佐殿へしたためておきまする」


「否、返書を出すに及ばず。返書を出せば、なまじ左衛門佐を期待させることとなろう。返書は出さず、静観しておればよい」


「承知いたしました。では、その通りにいたしまする!」


 かくして、朝比奈芳線を介しての大澤左衛門佐の献策が今川上総介氏真に採用されることはなかった。せっかく大澤左衛門佐らが徳川軍の弱点を見抜いていただけに、惜しい決断であった。


「あなた様、左衛門佐殿の策を実施なさらなかったのは民百姓を戦に巻き込みたくなかったからでしょう。あのように意地悪な物言いをせずとも……」


「ふっ、聞いておったのか、御前」


「はい。お食事の用意ができましたゆえ、一緒に食べませぬかとお声がけしようと参ったのでございます」


「そうであったか。いやなに、民百姓へ知行を宛行ってまで今川氏真という大名は抗ったのかと世の笑いものになりたくないだけの、愚かな夫の戯言よ」


「ふふふ、これまたご本心を隠されるのが上手ですこと」


 すでに時刻は正午。言われてみれば昼時であることを氏真も失念していた。正室・春姫に誘われるように離席し、昼食を囲んでの家族団らんを楽しむのであった。


 そうして今川氏真のもとへ、大澤左衛門佐から補給路を断つ旨の献策がなされているのと同じ頃。


 同じく三河からの補給路の脆弱性に頭を抱える家康は重臣・酒井左衛門尉忠次を呼び寄せ、新たな手を打とうとしていた。


「殿、隣におるのは豊後守殿の嫡男にござるか」


「そうじゃ。田原城を任せておる本多豊後守広孝の嫡子、本多彦次郎康重じゃ」


「たしか『康』の一字は殿の偏諱にございましたな」


 三河一統を成す折に田原城を任せられた本多豊後守広孝。その嫡男・彦次郎康重は体格に恵まれ、立派に鎧装束を着こなして家康の側に近侍している。


「うむ。今年で齢十六となり、この懸川城攻めが初陣となったわけじゃ」


「左様ですな。して、本日の話は彦次郎殿が同席しておってもよろしいので?」


「構わぬ。彦次郎も後学のためじゃ、しかと聞いておくがよい」


「はっ!ありがとう存じまする!」


 本多彦次郎を同席させたまま、家康は酒井左衛門尉との話へ移っていく。外は雪がちらちらと降り始め、相変わらず冬らしい寒さを維持したままである。


「左衛門尉、わしがそなたに相談したいのは三河からの補給路のことじゃ」


「井伊谷から鳳来寺道を経由して曳馬城へ至る道のほかに、吉田城から東海道を通って曳馬城へ至る道の二つにございましたな」


「その通りじゃが、東海道も今切の渡しが難所で大澤勢によって補給を阻止されることも多くて難儀しておる」


「ともすれば、やはり浜名湖水運を押さえる必要がありそうですな」


 酒井左衛門尉の言葉に首肯する家康。


 当初、遠江侵攻路と考えていた本坂道も浜名氏や後藤氏によって未だ封鎖されたままであり、さらには堀川一揆が堀川城へ籠城したこともあり、一層補給は見込めない。かといって、東海道経由の補給路も湖の領主・大澤左衛門佐と対岸の宇津山城代・大原肥前守資良が健在である限り、安定的な物資輸送は見込めたものではなかった。


 無難なのが家康率いる徳川本隊が使った陣座峠を越え、井伊谷を経由して曳馬城へ至る道となるが、こちらも山越えの難所続きであり、ここだけで徳川軍の補給を担うのは到底不可能であった。


「左衛門尉の申す通り、浜名湖水運を奪取せねばならぬ。それゆえに、浜名湖周辺の今川方の掃討をそなたに託したい」


「な、なんと!?」


「懸川城攻めの指揮はわしがおれば執れる。左衛門尉ならば卒なく指揮を執り、浜名湖周辺の今川方と一掃できると見込んでの頼みじゃ」


「殿にそこまで仰られては、この酒井左衛門尉忠次、引き受けないわけには参りませぬ!」


「もとより野田城の菅沼新八郎定盈、牛久保城の牧野新次郎、二連木城の戸田虎千代が残っておることからも、東三河衆の旗頭であるそなたに任せるが一番じゃとわしは判断したのじゃ。しかと頼むぞ」


「ははっ!」


 家康からの浜名湖周辺の今川方を駆逐するよう命を受けた酒井左衛門尉はただちに出陣するべく、本陣を離れようとするが、それを家康が呼び止めた。


「待て、左衛門尉」


「はっ、何でございましょう?」


「我が陣より植村庄右衛門正勝、大久保新十郎忠泰の両名も連れていけ」


「庄右衛門殿は歴戦の強者にござれば、ありがたく同伴させていただきまするが、新十郎殿は初陣も済んだおらぬのでは……?」


「だからこそ、そなたの下で働かせたいのじゃ。大久保党をまとめる大久保七郎右衛門忠世の嫡男なればこそ、立派に初陣を飾らせてやりたい。そなたの下で働けば、得るものも多かろうと思うての話じゃ」


「然らば、庄右衛門殿と新十郎殿を与力としてお借りいたしまする!」


 齢三十五とちょうど家康と酒井左衛門尉の間に位置する齢の植村庄右衛門正勝。三河一向一揆の折には浄土真宗であったのを、浄土宗に宗旨替えしてまで家康に味方した忠義者である。


 そして、大久保新十郎忠泰は大久保党を取りまとめる大久保七郎右衛門忠世の嫡男。齢十七の少年なれど、本多彦次郎とは違い、初陣をまだ済ませられていないことから酒井左衛門尉の下で初陣させるのが安全との家康の考えで同行することとなったのである。


 そのほかにも、多くの与力を預かった酒井左衛門尉は東三河衆を引き連れて懸川城を離れ、堂々と軍勢を引き連れて堀川一揆の籠城する堀川城を悠然と通過し、浜名肥前守頼広の籠もる浜名城を包囲したのである。


「義兄上!いかにして城を攻められますか!」


 そういってどっしりと本陣を構え、床几に腰かける酒井左衛門尉の前に現れたのは共に懸川城攻囲に加わっていた齢三十七となった西郷孫九郎清員であった。彼の妻は酒井左衛門尉の妹であるため、二人は義兄弟の間柄でもあるのだ。


 そんな西郷孫九郎は八年前となる永禄四年に父と兄を堀江城の大澤左衛門佐と当時の宇津山城代・朝比奈紀伊守泰長によって討たれた彼は、此度の作戦に憎たらしいことこの上ない宇津山城と堀江城の制圧が含まれているだけに、この場にいる東三河衆の誰よりもやる気に満ちていた。


「そうじゃな、まずは手頃な佐久城の浜名氏からと思うて布陣したわけじゃが、この程度の小城、大した策は必要なかろう。これだけの数がおれば、容易く制圧も成せよう」


「然らば、西郷勢に先鋒をお命じくだされ!必ずや、敵将の首を挙げてご覧にいれまする!」


「よし、ならば先鋒を任せるとしよう。我ら徳川を敵に回したこと、あの世で後悔させてやれ」


「ははっ!承知いたしました!」


 酒井左衛門尉から先鋒を仰せつかると、甥・西郷孫太郎の陣代として采配を振るう西郷孫九郎の号令で西郷勢が鬨の声を上げて攻めかかる。


 降伏勧告の使者を入れることなく攻め寄せる徳川の軍勢に佐久城の城兵はひどく動揺した。


「殿!足軽どもが門扉を蹴破り一目散に城外へ逃げ出しております!」


「なんじゃと!数名を見せしめにしても構わぬと足軽大将へ命じよ!」


「そ、その足軽大将も率先して逃げ出しておりまする……」


 佐久城主・浜名肥前守頼広は絶望のどん底に突き落とされた気分であった。徳川勢が攻めて来るまでは意気軒高だった城兵が、いざ敵に攻められるなり一目散に城から退散していくのだから抵抗のしようがなかった。


「やむを得ぬ!舟で駿府におる信玄殿のもとへ逃げる!志ある者は付いて参れ!」


 そう吐き捨てて城主・浜名肥前守は武田氏を頼って逃亡。佐久城はその日のうちに陥落となり、徳川方の城となったのである。

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