第249話 大敵と見て恐れず小敵と見て侮らず
一月も下旬に差しかかろうかという頃。
正月早々に信長不在の隙を突いた三好三人衆と斎藤龍興ら浪人衆が共謀して足利義昭の仮御所である六条本圀寺を襲撃したとの報せを受け、信長は正月十日に岐阜から京都へ舞い戻り、十四日には殿中御掟九カ条を定め、二日後の十六日には七カ条を追加するなど繫忙を極めていた。
さらには三好三人衆らの襲撃もあり、足利義昭の居所をより堅固にする必要があると痛感した信長は新たに二条の地に新御所を築こうとしていたのである。
新たに築くといっても、永禄八年に足利義輝を襲撃した三好氏によって焼き払われた二条御所の跡地に築くのであり、二条御所を再興するという意味合いが大きかった。
それを受けて、洛中・洛外から鍛冶、番匠、杣といった人々を招集したり、隣国からも名木や名石だと言われるものが取り寄せられるなど、洛中は再び賑やかになっていきそうな躍動感に包まれていた。
そうした事情もあり、京で忙殺される織田弾正忠信長のもとへ、遠く駿河国興津の陣より発せられた書状が武田家臣・市川十郎右衛門尉によって届けられ、それを宿老・佐久間右衛門尉信盛が信長のもとへ持参したところであった。
「右衛門尉、いかがした。おれは見ての通り、御所造営の手配などで忙しいのだ」
「お忙しいのは重々承知いたしております。こちら、武田家臣の市川十郎右衛門殿より預かりし信玄殿よりの書状にございます。口上もお預かりしておりますれば、それも側にいた者に書き写させ、某の懐に閉まってございます」
「ほう、信玄殿からの書状か。見せよ」
信長は佐久間右衛門尉から書状を奪い取ると、すぐにも目を通さんと見開いて書状を急ぎ読み進めていく。
先日者、以使者申し候之砌、種々御入魂、殊悃答祝着候、抑不図当国ヘ出馬候処、不及一戦今川氏真敗北、至于懸河籠城、即取詰彼地、雖可付是非候、三州衆出張如何様之分候哉、当方疑心之様候間、以其遠慮、于今当府滞留、此等之赴為可申述、市川十郎右衛門尉指越候、仍今附与彼口上候之旨、以御同意可為本懐候、恐々謹言
正月九日 信玄(花押)
織田弾正忠殿
信玄からの書状を読み終えた信長はそっと書状を佐久間右衛門尉の前へ放り投げ、ほうっとため息を一つ。
「と、殿?」
「何事かと思えば、噓を並べ立てた書状ではないか」
「い、偽りと!?」
信長から放り投げられ、空中を優雅に舞いながら落下した書状を拾い上げると、その内容を頭に入れるべく読み始める。
「今川氏真が一戦も交えることなく敗北して懸川へ籠城したとのことは三州よりの書状で知っておる。そこを付城を築いて包囲しておることも三州から年始に改年の祝儀の鯉とともに書状が届いておるゆえ存じておる。おそらく、口上にも徳川勢の非をおれに認めさせようという文面ではないか」
佐久間右衛門尉は慌てて懐に閉まっていた武田家臣・市川十郎右衛門尉からの口上を記録した紙を取り出し、それを見直すとまさしくその通りのことが書かれていた。
遠州を独占しようとする家康との交渉の末、遠州に在陣させていた武田軍を駿河へ撤収させなければならなかったこと。
徳川から遠州を奪おうとしているとの疑念を抱かれているため、未だに駿河から遠江へ入れずにいることなど、いかにも家康が悪いと言いたげなのがありありと伝わってくる文面であった。
「ほら吹き入道は三州に疑いを持たれたから遠江に入れぬのではなく、背後を北条に攻められ、土豪らの一揆や今川家臣らが西駿河で激しく抵抗しており動けぬのだ」
「それは三河守殿からの書状に?」
「そうじゃ。加えて、おれも草の者を派遣して動向は探らせておるが、三州の書状に記されておった通りであった。それを思えば、武田はおれが戦場におらぬのをいいことに噓八百の書状を送りつけてきたのじゃ。おれも舐められたものよ」
「で、では、返書はいかがなされまするか?」
「おれも暇ではない。手が空いたら疑念を晴らすには起請文を交換するよりないのではないかと提案する旨の返書をしたためておく」
「なるほど、起請文を改めて交換することで疑念を晴らせばよい、とはさすがは殿、考えられましたな」
「で、ある。これならば角も立つまい」
今川領を経略するにあたっての合意事項を武田は遵守しているのに、徳川に疑念を持たれたせいで思うように進んでいない。遠江を経略することは何ら甲三同盟に違反していない。それを信長に認めさせることで家康の説得材料にしようという武田の目論見は外れた。
いや、武田よりも徳川を深く信用している信長が武田の言い分よりも徳川の報告内容を信じるのは至極当然とも言えた。
「右衛門尉」
「はっ、いかがなされましたか」
「うむ、堺のことよ。矢銭の支払いには応じたか」
「只今会合衆へ問い合わせておるところにございます。堺北荘、堺南荘にあった幕府御料所の代官を務めてきた堺の商人の今井宗久も内側より尽力していただいておるところにございますれば」
「で、あるか。ならば、来月には堺の支配は始められよう」
上洛した際に足利義昭から褒賞として弾正忠への正式な叙任、足利家の家紋である桐紋と二引両の使用許可とともに受け取った直轄地の一つ・堺の支配を行おうとしていた信長。
正直、畿内のことへの対応で手一杯な状況であり、東のことへ構ってもいられないというのが本音であった。
そんな状況にあるとは遠国の信玄が察することはできず、信長からの返書は二月に入ってから信玄のもとへ届けられることとなる。
そうして信玄が自らに対する不満を信長へ怒りを滲ませた書状を送りつけているなどとは露知らず、家康は懸川城すぐ北の天王山砦へ着陣し、城攻めの指揮を執っていたが、一月下旬より徳川・今川両軍による戦闘は激しさを増し、勝敗が目まぐるしく変わるほどであった。
「殿、面目次第もございませぬ。敵の激しい抵抗に遭い……」
「良いのじゃ、作左衛門。こうなることは読めておった」
「はっ……!」
外した兜を抱え、陣中を側近らと見て回る家康の目に映るのはすでに絶命して上から藁をかけられた死体の列、弓鉄砲や槍刀で受けた傷から発せられる痛みに苦しみのたうち回る者。戸板に乗せられて本陣まで運ばれてくる者は虚ろな目で冬の晴天を見つめている――
そんな陣中に満ちる血と汗と泥が入り混じったような匂いも加わり、慣れない者は吐き気を催すのは間違いなかった。
「殿はお強くなられましたな。初陣の頃はそれはもう勇ましゅうございましたが、帰陣してお味方の亡骸を見たときは顔面蒼白でございましたのに」
「西加茂郡での戦のことを申しておるであろうが、あれから十年以上、数え切れぬほどの戦場に赴いて参ったゆえな」
「ですから強くなられたものだと、この作左衛門は思うのでございます」
「作左衛門のたわけが、強くなったのではない。人の死に鈍くなっただけじゃ……」
――強くなったのではなく、人の死に鈍感になっただけ。
これまで多くの家臣や兵らの死を経験してきたことで、十年前の頃よりも人の死ということに慣れ、すっかり鈍くなってしまったのだ。そのことが家康の口から発されたことに、本多作左衛門は口をつぐんだ。
「殿、先ほどの発言、撤回させていただきまする」
「良い、そなたに悪意があっての発言ではないこと、この家康も理解しておる。それよりも、こうも小競り合いが続くばかりで決定打に欠ける状況は良いとは言えぬ。何か策はないであろうか」
「某も敵がここまで意気軒高だとは想定しておりませなんだ。囲んで攻勢をかければ容易く落ちるものだとばかり」
「そなたもそうであったか。これは我らの見立てが甘かったのやもしれぬ」
多くの一門や重臣に見放された今川上総介氏真が籠もる懸川城などそう時をかけずに落城させられる。徳川軍の誰しもがそう見くびっていたことは間違いない。
ここまでの道中、宇津山城や堀江城を除けば、頑強に抵抗してくる城など一つとしてなかったのだから、そのように認識するのは仕方のないことではあった。
だが、この懸川城へ籠っているのは今川家への忠誠心に溢れ、ここまで氏真を見捨てることなく随従してきた者たちや氏真を慕って入城した者たちばかりなのである。それこそが籠城側の士気が高いことの根底にあるものであった。
そうして迎えた一月二十日。家康が本陣を構える天王山砦へ今川勢が大挙して押し寄せ、一日の幕が上がった。
「怯むなっ!今日こそ徳川三河守が首級を挙げるのじゃ!進めっ!」
今川家臣・安藤九右衛門の号令で鬨の声を上げて家康の本陣麓に並べられた柵を引き倒して雪崩れ込もうとする今川兵へ、柵の内側から容赦なく弓鉄砲が浴びせられる。
「よしっ、敵の隊列が崩れたぞ!槍隊、押し出せっ!」
大久保喜六郎忠豊の号令で一斉に大久保党をはじめとする徳川兵が今川兵に突きかかり、たちまち白兵戦となる。
「喜六郎殿!加勢に参ったぞ!」
「おお、仁右衛門殿!小栗党に加勢いただければ百人力じゃ!一気に敵を押し戻してしまおうぞ!」
「おう、任せておけ!小栗党、前へ出るぞ!大久保党とともに敵に目にもの見せてやれっ!」
齢二十七の大久保喜六郎の苦戦を見て、齢四十三となった小栗仁右衛門吉忠が小栗党を率いて合流し、懸命に今川方の猛攻を防がんと応じる。
数の上では大差なかったが、敵本陣を前にした今川軍、主君を守らんとする徳川軍、双方ともに高い指揮を維持したままぶつかり合ったため、激しい戦となった。
両軍一歩も譲らぬ激戦に、双方から応援が加わり、規模が拡大に拡大を重ねたためにこの日の死傷者は包囲開始以来最高を記録する事態となる。
「敵将とお見受けいたす!覚悟っ!」
「しまった!」
乱戦の中、敵兵の一人を突き伏せた横から斬りかかられ、絶体絶命の大久保喜六郎であったが、斬りかかった武士は次の瞬間には喉元に矢を受けて絶命していた。
「喜六郎、大事ないか!」
「これは甚一郎殿!助太刀、感謝いたしまする!さすがの弓の腕前にございましたぞ!」
「ははは、褒めるでないわ。案ずるな、殿の旗本衆もかけ下って来ておる!もうしばらくの辛抱じゃ!」
「これはありがたい!然らば、もうひと踏ん張りすることといたしましょうぞ!」
松平家中でも指折りの弓の名手・内藤甚一郎正成の加勢に救われた大久保喜六郎はまだまだ味方の援軍が到着すると知って戦意を高揚させ、得意の槍を振り回して敵中へ臆することなく飛び込んでいく。
その背を追いかけるように内藤甚一郎も新たに矢を番え、敵後方で指揮を執る鎧武者だけに狙いを絞って矢を射ていく。
そして、そんな内藤甚一郎を追い越して渡辺半蔵守綱や榊原隼之助忠政、長坂信宅に服部半蔵正成といった気鋭の若武者たちが手柄欲しさに敵中へ飛び込んでいき、命の駆け引きを繰り広げる。
文字通りの乱戦模様となった頃、本多三弥左衛門正重が得意の鉄砲で今川方の騎馬武者を狙撃して落馬させるなどの活躍を見せ、ようやく今川勢もこれ以上の力攻めでの強行突破は困難と判断して退却を開始。
これに渡辺半蔵や本多三弥左衛門などの血の気の多い若武者が追いすがり、多くの首級を挙げたが、家康の命を受けて追い討ちは無用であるとの旨を告げに来た高力与左衛門の呼びかけに応じて追い討ちを途中で中断。
再び徳川軍も天王山砦の柵の内へ退き、天王山砦を落とせぬと踏んで今川勢も退いたが、双方ともに何とか隙ができないものかと祈りたい気持ちであった。
また、その日の天王山砦の合戦で戦功のあった安藤九右衛門へ、今川氏真はしっかり感状を発給するなど、戦に手柄を立てた家臣を労うことを氏真は怠らなかった。
「御屋形様、此度の天王山砦攻めも撤退に追いやられましたな」
「うむ、備中守の申す通り、さすがは敵の本陣じゃ。なかなか抜くことができぬ」
そう言う氏真は安藤九右衛門以外の者へ発給する感状をしたためていたが、その筆を置き、鎧甲冑を身に着けたまま広間へやってきた朝比奈備中守泰朝へと向き直った。
「御屋形様、おそらく敵は明日にも今日のお返しとばかりに天王小路へ進んできましょう。これを迎撃する指揮を某にお任せ願いませんでしょうか」
「撃退できるか。徳川勢を」
「お任せくだされ。この懸川は幼き頃より過ごした庭のようなもの。徳川に後れを取ることなど断じてございませぬ」
「然らば、明日の戦の指揮は備中守へ任せよう。必ずや、敵を撃退してみせよ!」
「承知!」
今川譜代の重臣・朝比奈備中守はそう吼えると、起立して明日の戦支度に取りかかっていく。今川軍と徳川軍の小競り合いはまだまだ終わる気配を見せなかった――




