第248話 そうは問屋が卸さぬ、と思いきや
正月二日付で家康が武田信玄に宛てて発した抗議書は植村与三郎、山岡半左衛門によって数日後には駿府で越年した信玄のもとへ届けられていた。
家康からの抗議書を受け取った信玄はひとまず使者の植村与三郎、山岡半左衛門を別室で歓待させている間、娘婿・穴山左衛門大夫信君や異母弟の武田上野介信友といった一門や馬場美濃守信春、山県三郎兵衛尉昌景といった重臣らを招集し、いかに対処すべきかを話し合うこととした。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。今宵話し合いたいのはこれじゃ」
信玄が懐から取り出した一通の書状がばさっと音を立てて床へ放り出される。その差出人が徳川三河守家康であることはその場にいる誰もが瞬時に理解することが出来た。
「御屋形様、三河守からはなんと?」
「曰く、遠州を競望していると申してきておる。要するに遠江での伯耆守の行動に対する抗議ともいえよう」
「ふっ、遠江を奪い取ろうとしていると申し入れてこようとは、三河守は身の程を弁えておりませぬな」
そう言って笑ったのは齢五十五の重臣で、不死身の鬼美濃と畏怖される馬場美濃守であった。
「そう言ってやるな、美濃守。伯耆守の行動にも非はある」
「なんと、伯耆守に非があると?」
「まず、松平方の軍勢と交戦したのだそうな。他にも、松平へ帰属すると申した遠江衆に攻め込んだりしたそうじゃ。伯耆守としては一刻も早く既成事実を作っておきたいと焦ったのであろうが、それが不興を買った要因であろう」
「ふむ、それが起請文にあった『表裏・抜公事すべからず』の条文に違反しておると申してきたわけですな」
察しの良い馬場美濃守は書状の箇所を指さしながら、考え込む素振りをする。さすがの馬場美濃守も秋山伯耆守虎繁のしでかしたことは庇い切れないと思ったらしかった。
そんな馬場美濃守が読んでいる家康の書状を覗き見た齢四十一の山県三郎兵衛尉が続けざまに発言する。
「御屋形様、かくなるうえは遠州に在陣中の伊那衆には陣を払い、こちらへ合流させるべきかと存じまする」
「ほう、松平の言い分を聞けと申すか」
「いかにも。下手をすれば、伯耆守殿と徳川で大規模な合戦となるやもしれませぬ。そうなれば、当家は援軍を送ることすら敵いませぬ。徳川の要求を呑むことにはなりまするが、伯耆守殿を見殺しにするわけには参りませぬ」
山県三郎兵衛尉の申し分は最もであった。決して家康の言い分を聞くわけではないが、聞かなければ遠州において孤立無援となった秋山勢は徳川から攻撃され、見殺しにするしかなくなる。
駿河西部では未だ今川方が健在であり、東から北条の大軍に睨まれている以上、下手に軍勢を動かすわけにもいかなかったのだ。
「三郎兵衛尉の申す通りか。ともすれば、家康へ返書をしたためると同時に秋山勢を遠江から撤収させねばならぬな」
「いかにも。さすがの徳川も駿河へ向かう秋山勢を襲撃することはいたしますまい。加えて、秋山勢をこちらへ合流させれば、北条と対峙する我らにとって味方が増えることとなりまする」
「それもそうか。遠州に取り残すよりも、駿河で活躍してもらう方が有意義であろう。三郎兵衛尉、よくぞ申してくれた。さすがは赤備えを率いる武士ぞ」
「はっ、お褒めに預かり、恐悦至極に存じます」
赤備えの大将・山県三郎兵衛尉の進言もあり、家康からの言い分を渋々ではあるが受諾することとした信玄。しかし、そこへ穴山左衛門大夫が新たな解決策を示そうと発言する。
「御屋形様、ここは徳川の同盟者である織田弾正忠殿へも書状を送り、三河守殿に意見するよう依頼してみてはいかがでしょう」
「ほう、織田を使えと申すか」
「はい。三河守殿は弾正忠殿の意見をよく聞くと、御屋形様も先年申されておったではありませぬか。今こそ織田を利用するべきではなかろうかと」
齢二十九と若いながらも穴山左衛門大夫の意見は最も的確なところを突いていた。穴山左衛門大夫の進言を聞きながら、その手があったかと思い至った信玄はすぐにもそれを採用することとした。
「うむ、左衛門大夫は実に良いことを申した。然らば、後ほど弾正忠殿へ書状を出すとする。されど、今は徳川への対応が先であろう。上野介、参れ」
「ははっ、これに」
「そなたは今のうちに駿府奪還を目論む井川や安倍の一揆を鎮める手立てを考えよ。そうでなくば、全力で北条にぶつかることができぬ」
「承知しております。目下、朝比奈駿河守殿、小原伊豆守殿とともに対応を協議しておるところにございますれば、吉報をお待ちくださいませ」
信玄から駿府の北で蠢動する井川・安倍一揆への対応を求められた駿河武田家当主・武田上野介は同じく今川氏真を裏切り、武田へ従うことを選択した朝比奈駿河守信置、小原伊豆守と対策を講じるべく、その場を離れていく。
それを見届けると、信玄は小姓に命じて家康から派遣された徳川家臣の植村与三郎、山岡半左衛門の両名を広間へ通すよう命じ、自らも穴山左衛門大夫、馬場美濃守、山県三郎兵衛尉といった一門譜代を伴い、広間へと移動を開始する。
そうして信玄が巌のように上座に座してまもなく、小姓に導かれて植村与三郎、山岡半左衛門の両名が広間へ到着した。
「ご両名ともお待たせしてしまったな。何ぞ不都合なことなどなかったか」
「はっ、ございませぬ!かような過分な御計らい、感謝の念に堪えませぬ!」
「そうか、それならばよい。して、そなたらの主君よりの書状は拝見仕った。この信玄には三河守殿が申されるように遠州を競望意志など毛頭ござらぬ。そのあたりの疑念が払拭されるよう、ご両名からも申し上げてくれ」
「ははっ、その旨しかと立ち返って主に申し伝えまする!」
「仔細は書状にしたためてご両名へお渡しいたすゆえ、書状を書き上げるまで、今しばらくお待ちいただきたい」
信玄は自らの考えについて植村与三郎、山岡半左衛門の両名に申し含めると、一度下がらせて二日ほど待たせたうえで、八日付の書状を徳川からの使者へ託したのであった。
そして、それよりも二日ほど早く見附在陣中の秋山伯耆守宛の書状も別途用意し、遠州在陣を中止したうえで駿河に転進し、自分たちと合流するように記したものをなるべく早く届けるよう指示。
家康宛の返書を使者に託した翌日には徳川との共通の同盟者・織田弾正忠信長に宛てた書状も準備し、使者を立てたのであった。
かくして家康からの抗議に対する信玄の返書が見附の家康本陣へ届けられたのは三日後の十一日のこととなったが、その頃の見附の家康本陣はなぜだか慌ただしかった。
「殿、こちら駿府にて信玄殿より預かりし書状にございます」
「おお、信玄殿からの書状か。どれ、見せてみよ」
今度預使者祝着候、然者信玄存分附与山岡口上候キ、不能重説候、如聞者、秋山伯耆守以下之信州衆、其表在陣、因茲遠州可為競望之様、御疑心之由候、所詮早々為始松山、下伊那衆可招当陣候、猶急度掛川可被付落居候、肝要候、恐々謹言
正月八日 信玄 判
徳河殿
「ほう、これは……!」
「殿、何ぞ無礼な文言でも……!?」
「いや、違うのだ。つい二日ほど前に見附ノ砦屋敷に駐屯していた秋山勢が忽然と姿を消したのじゃ。それゆえ、何処に向かったのかと斥候を放ち、動向を探らせておったのじゃが、この書状を読んで案ずることはないと悟った」
どうして植村与三郎・山岡半左衛門が帰着した際、家康本陣が慌ただしかったのか。それは見附古城に駐屯していた秋山勢が突如陣払いをしたからであった。
てっきり家康は遠江のどこかへ移動して味方を襲うつもりではないのかと疑い、四方へ斥候を放ち、秋山勢が何処へ消えたのか、消息を探らせていたところであったために陣中が慌ただしかったのである。
しかし、植村与三郎と山岡半左衛門が預かってきた信玄直筆の書状には、家康の疑いを晴らすために秋山伯耆守をはじめとする下伊那衆へ迅速に駿河の本隊へ合流するよう命じたと明記されていたのである。
つまり、突如として陣を払って姿を消した秋山勢は遠江の何処かに出現して、徳川方の城や砦を急襲しようとしているのではなく、ただ主君・信玄の命を受けて駿河の本隊に合流するべく撤退したのだということがつまびらかにされたのだ。
それが分かっただけで家康は緊張から解放され、肺の中に留めていた呼気を一挙に吐き出し、床几から崩れ落ちた。
「殿!」
「おお、左衛門尉か」
「かようなお姿、一体いかがなされたので……!」
「ははは、この信玄殿からの書状を読んで安堵した途端に力が抜けてしまっただけじゃ」
家康は酒井左衛門尉忠次へ書状を渡すと、同じく酒井左衛門尉も地面に膝から崩れ落ちたのである。それだけに、秋山勢が味方を襲撃するのではないかと連日連夜警戒を怠らなかったことの表れでもあった。
「されど、しかと懸川が落城するように手配することこそ肝要、と書状に記しておるあたり、武田軍は懸川には来ぬと申してきておるようなもの」
「まあ、遠江に入られては困ると抗議したのはわしなのじゃ。そこまで言うなら懸川は徳川の独力で落とせ、と信玄の立場からすれば言いたくもなろう。まあ、もとよりそのつもりではおったが」
「まさしく。然らば、殿は懸川へ戻られるとあらば、この左衛門尉もお供いたしますぞ!」
「うむ、然らば共に参ろうぞ」
「ははっ!」
かくして見附に駐屯していた武田軍という邪魔者が消えた今、心置きなく懸川城攻めへと舵を切れるようになったのである。この戦況の変化は実に大きなものであった。
家康はそれから数日の間は見附へ留まったままであったが、同月十七日には凍えるような寒さの中、見附へ移動する前に本陣としていた懸川城すぐ北の天王山砦へと入城したのである。
この思いがけない家康の天王山砦入りは懸川城に籠城する今川方を大いに驚かせることとなった。
「御屋形様に申し上げます!」
「いかがした、五郎兵衛。また何処かで徳川方と小競り合いでもあったか」
「いえ、違いまする!先月二十八日に三河守が離れた西郷之構に、再び馬印が翻っておりまする!明らかに兵の数も増えておりまするゆえ、戻ってきたものと思われまする!」
重臣・岡部五郎兵衛元信からの報せに今川上総介氏真は目を見開いた。半月以上が経過した今、どうして家康が天王山砦へ戻ってきたのか。籠城しているため、どうしても情報が遮断されてしまいがちな状況も相まって、様々な悪い想像が広がる。
「五郎兵衛、さては三河守が浜名湖水運を奪取したのではなかろうな」
「それはございますまい。先日も堀江城の左衛門佐殿から問題なく籠城を続けておる旨の書状が届いたと備中守殿も申しておりました」
「それならば良い。宇津山城の肥前守からの書状にも宇津山城は健在で、徳川方は恐れをなして攻め寄せる気配すらないと報じてきたが……」
「それは事実にございましょう。肥前守殿は戦果を誇張するような御仁ではありませぬゆえ、宇津山城には攻撃すらなかったのでしょう」
氏真も岡部五郎兵衛もお互いの思うところを口にしてみて、どうして家康が天王山砦を離れ、今また戻ってきたのか。まったくもって謎であった。
「浜名湖水運を奪取するべく砦を離れた、というのが某の推測にございましたが、それがそもそもの間違いであったのやもしれませぬ」
「ふむ、それならば浜名湖水運を奪取してもおらぬのに西郷之構に戻って参ったのは腑に落ちる。されど、ならばなぜ先月末に陣を払ったのかが皆目見当もつかぬ」
「浜名湖水運を奪取しに動いてないのだとすれば、何故西へ向かったのか……」
幾ら言葉を交わしたとて、氏真も岡部五郎兵衛も家康の不可解な動きに説明がつかなかった。それは同席している三浦次郎左衛門氏満、懸川城主・朝比奈備中守泰朝も同じであり、家康の不可解な動きに皆一様に首をかしげていた。
「御屋形様」
「おお、備中守。何か三河守の不可解な動きについて分かったか」
「いえ、そうではなく。この際、三河守が離れた理由はさておき、今西郷之構へ戻って参ったということはいよいよこの城を攻め落とすつもりなのではなかろうかと」
「そうか、自ら采配を取って城攻めを行おうとしておることだけは確実か」
「いかにも。三河守の動き云々はさておき、今は城の守りを固めることの方が優先であろうかと」
朝比奈備中守の申すことは至極当然のことであった。
何故家康が天王山砦を離れ、また戻ってきたのかと議論を交わすより、焦眉の急は城の守りを固めることであるというのだから。
氏真はその意見を容れ、ただちに守りを固めるよう各将に下知するのであった。




