第245話 世間は張り物
十二月二十二日より懸川城への攻撃を開始するべく、付城を築きながら今川勢との小競り合いを続ける家康率いる徳川勢。
今川勢との小競り合いを継続する中で確実に付城を築き、今川勢の補給路を一つ、一つと断っていく家康は二十七日、不入斗へ布陣し、冬場の野営で凍える思いをしながら情勢を睨んでいた。
「殿。与左衛門殿が久野三郎左衛門宗能殿、その嫡男の千菊丸殿を連れて参られました」
「おお、藤蔵か。うむ、これへ通せ」
「はっ!」
取次を務めたのは家康が三河一向一揆を平定した頃から近侍している菅沼藤蔵定政。もともと彼は美濃土岐氏庶流・明智氏の一族で、明知一族が離散した際に母の実家で今は家康に従属している奥三河の田峯菅沼家を頼って三河へ落ち延びた者であった。
その母も今では作手奥平道紋の継室となり、菅沼藤蔵も母方の叔父・菅沼常陸介定仙の養子となり、家康に近侍している。齢は十八と若いが、なかなか思慮深く見目麗しい少年であったことから、家康に重用されていた。
そんな菅沼藤蔵は家康の許可を得て、高力与左衛門清長と久野三郎左衛門・千菊丸父子を伴って家康のもとへ戻ってきたのである。
「殿、金丸山砦の久野三郎左衛門殿より正式に殿へ帰属を申し入れたいと申しておりましたゆえ、本陣へお連れいたしました」
「そうであったか。久野三郎左衛門、久野千菊丸、前へ出られよ。わしが藤原朝臣徳川三河守家康である」
取次役・高力与左衛門が側で見守る中、久野父子は恐る恐る家康のもとへすり足で近づく。一体、目の前にいる若大将がどのような人物なのかを推し量ろうとしているのが久野父子の表情からも窺い知れる。
「徳川三河守様、某は久野城主の久野三郎左衛門宗能にございまする。こちらは嫡男の千菊丸にございまする。此度は当家の帰属を受け入れていただき、ありがとう存じまする」
「……大儀」
「ははっ!我が嫡男、千菊丸は臣従の証の人質として陣中へ留め置いてくださればと存じます」
「うむ、そうさせていただくとする。じゃが、三郎左衛門の天竜川架橋、天王山砦と金丸山砦の普請と誰よりも働いてくれてもおるし、その仕事ぶりだけで十二分にわしは三郎左衛門を信じておるということ、心に留めておいていただきたい」
「ははあっ!」
久野三郎左衛門は齢二十七と若いながらも三河・遠江の二ヵ国に跨る所領を持つ大名はこれほどまでの覇気を身に纏う者なのかと感服していると、その若大将が座る方角から笑い声が漏れ出す。
「み、三河守様?」
「堅苦しい挨拶はこれまでとしようぞ。わしは堅苦しい挨拶は好かぬ。さて、三郎左衛門。そなたの兄、元宗殿は存じておる」
「あ、兄のことを存じておられましたか」
「うむ。そなたの兄はわしと同じく、亡き義元公より『元』の一字を与えられた者。加えて、そなたの兄は八年前の桶狭間合戦にて先鋒を務め、戦死した立派な武士であった。それを記憶しておるからこそ、そなたが従属を願い出てきた折、わしは嬉しかったのじゃ」
よもや八年前に戦死した兄の話が飛び出すとは思いもよらなかった久野三郎左衛門は今は亡き兄のことを思い出し、不意に泣きそうになった。
「さらにはわしへの従属に反対する叔父である久野淡路守宗益を切腹させたとも耳にしておる。身内に腹を斬らせてでも、わしへの従属を願ったのじゃ、決して無下にはせぬゆえ、案ずることはないぞ」
「ははっ、ありがとう存じます!」
――攻め込んできた秋山伯耆守の誘いに乗らず、家康へ従属して良かった。
本心からそう思い、胸をなでおろす久野三郎左衛門との対面中、家康本陣へ野田菅沼家臣が駆け込んできたのである。
「三河守様に申し上げます!野田菅沼家臣の者にございます!」
野田菅沼家臣からの急報。家康は『さては、浜名湖北部の本坂道を守る味方に何かあったか!』と思い、血相を変えて床几より立ち上がる。そんな家康へ、野田菅沼家臣が報じた内容は家康が考えていたものとは大きく異なっていた。
「先日、井伊谷三人衆の皆さまが掻揚砦に籠もる小野但馬守らを駆逐して井伊谷領を制圧しましたことは本陣へも届いておりましょうか」
「うむ、そのことは三人衆連署の書状が届けられており、存じておる。それがいかがした」
「その知らせを受けた我が主は二連木衆を率いる戸田虎千代殿、牛久保衆を率いる牧野新次郎殿に本坂道の後藤や浜名の監視を任せ、井伊谷の南の気賀、刑部へ急行!ここに在陣する今川方の敗走させましてございまする!」
井伊谷から曳馬城へ抜けるにあたり、気賀と刑部は重要な地。ここの今川方を菅沼新八郎定盈が一挙に掃討したとの報せは大変喜ばしいものであった。
「そうであったか!さすがは新八郎!でかした!」
「そのお言葉を聞けば、我が主も喜びまする。そして、我が主は三河守様が順調に遠江経略を進めておられることは浜名湖周辺にも伝わり、後藤や浜名といった敵方は大いに動揺しておりますゆえ、懸川が一段落しましたら軍勢の一部を回していただきたいと申しておりました」
「ほう、やはりそうか」
「特に今川家の親類衆ともいえる高天神小笠原家を従属させたことが伝わって以来、敵の動揺が顕著であるとも申しておりました」
「よかろう。まもなく懸川の包囲も完了することゆえ、来年早々にも平定に動くとしよう。このこと、立ち返ってそなたの主にも伝えておくように」
「ははっ!承知いたしました!」
野田菅沼家臣が西へととんぼ返りしていくのを見送ると、家康は再び床几に腰かける。敗報かと思って焦ったが、思いがけない勝報であったので安心した、といった風であった。
「殿、新八郎殿は流石にございまするな。殿がお命じになられる前に、いかに動くべきかを分かっておられる」
「いやはや、此度の遠江侵攻では新八郎に救われてばかりじゃ。褒美を弾ませねば、こちらが申し訳なくなってくるわ」
懐紙で額を流れる汗をぬぐいながら高力与左衛門とやり取りする家康。しかし、そこへ再び使者が来訪する。しかも、今度は西からではなく、東からであった。
「殿、三郎右衛門にございまする」
そう言って家康のもとへやってきたのは戸田三郎右衛門忠次。家康の継母・田原御前の従兄弟にあたる者で、三河一向一揆の鎮圧においても大いに活躍した武士であった。
そんな戸田三郎右衛門が手にしているのは一通の書状。どうやらそれを家康へ見せるべく、不入斗の陣中を訪ねてきたものらしかった。
「先ほど、甲斐出身の使僧なる者がこちらを殿へ渡すようにと」
「なにっ、甲斐じゃと……?」
甲斐と聞き、家康は嫌な予感がした。同盟こそ結んでいるが、まったく信用できない大名家からの書状ではなかろうか。そう察知したのである。そして、その書状にはこう記されていた。
其以来申遠意外候、抑今度向于当国出馬候処ニ、為手合急速御出張本望満足候、即遠州ヘ雖可罷立候、当国諸士仕置等申付候故、一両日之間延引、三日之内ニ可令越山候、早々懸川ヘ詰陣尤存候、寔可遂面談条、大慶不可過之候、恐々謹言
十二月廿三日 信玄(花押)
徳河殿
「殿、一体誰からの書状にございましたか」
「与左衛門、聞いて驚くでないぞ。信玄殿からじゃ」
「なっ、なんと!家臣でなく使僧であったのは……」
「今川方が意気軒高な駿河西部を抜けるには武士よりも僧侶の方が安全であり、確実と踏んだからであろう」
甲信の大大名・武田信玄からの書状と聞き、高力与左衛門はもちろん、菅沼藤蔵も戸田三郎右衛門も仰天していた。そして何より、武田の名を聞き、久野三郎左衛門の表情は一変して強張っていた。
「出兵の連絡を取り合って以来音沙汰なしであったことを意外に思っているとの文言に始まり、武田の駿河出兵に合わせて急ぎ遠江へ侵攻されたことを大変満足に思っていること、すぐにも遠州へ出陣したいが駿河諸士への仕置きなどに忙殺されており延期していること、三日のうちに遠江に向かおうと思っていること、懸川にて対面できることはめでたいことこの上ない、といったことが記されておるわ」
「そういえば、武田とは侵攻日時の伝達があって以来、やり取りをしておりませんでしたな」
「こちらも遠江衆への調略に忙殺されておったゆえ、それどころではなかったのもある」
家康は高力与左衛門とやり取りしながらも手元の信玄の書状から視線を動かさなかった。そこに記されている文言は丁重ではあるが、どこか見下しているようにも取れる内容であり、複雑なものであった。
「されど、この書状には嘘偽りの多いことよ」
「いかにも。駿河に潜らせた甲賀衆からの報せでは駿河諸士への仕置きを武田はすでに済ませておりますれば」
「その通りよ。であるのに動くことが出来ないのは駿河西部の今川方の鎮圧に手こずっているところへ、北条軍に補給路もろとも退路を断たれたからじゃ」
「まさしく。加えて北条軍との対峙は決定打にかけておるため長期化しておるとも」
「そうじゃ。なんとも苦しい言い訳を並べておるのが笑えてくるではないか」
信玄の書状に記されたことが偽りであることは徳川勢は誰もが聞けば分かることであった。それゆえに、家康本陣にいる者たちは緊張も吹き飛び、くすくす笑いに満ちていた。
「懸川へ三日以内に来るとのことじゃが、書状を書いた日付からして昨日のうちに駿河を発っておらねばなるまいが、武田が動いたとの報せは入っておらぬ」
「さしづめ、我らに駿河西部へ手出しせぬよう、釘を刺しておきたいのでございましょう」
「そうであろうな。じゃが、懸川へ信玄殿がお越しになられるよりも、我らが駿府まで出向いてやる方がまだ現実的であろう」
「ははは、まことにそうですな」
家康も高力与左衛門もちゃんちゃらおかしい信玄の物言いに大いに笑った。そして、武田軍が苦しんでいることは情報として把握していた家康であったが、この書状を見て家康は武田軍の苦戦は想像以上であったと確信に変わっていた。
「見附に在陣している秋山伯耆守率いる伊那衆がことを武田へ交渉するならば今この時やもしれぬ」
「……と申されますと?」
「見附に武田軍がいるのは懸川城を攻めるにあたり、背後にいつ噛みついてくるとも知れぬ虎を放置しておくのはあまりにも危険じゃ。加えて、武田にも警戒せねばならぬとあっては、手勢を無駄に割かねばならず、いつまで経っても浜名湖へ軍勢を派遣することができぬ」
「まさしく、殿の仰られる通りかと」
家康は良い悪だくみを思いついた少年のような笑みを浮かべながら、一つの決断を下した。
「よし、まずは本陣を天王山砦へ移す」
「て、天王山砦にございますか?武田への対応はいかがなされますか」
「まずは懸川城の今川方へ威嚇してからじゃ」
一体家康が何を考えているのか、この段階では側近の高力与左衛門にも推し量れないものがあった。しかし、家康の命である。本陣はただちに不入斗から懸川城を北から望むことのできる天王山砦へと移ることとした。
続々と家康本隊は天王山を登って天王山砦へ入り、家康の馬印をこれ見よがしに立てたのである。
「殿、長坂信宅にございます」
「おお、血鑓九郎ではないか」
「何故、本陣を天王山砦へ移されたのか、ご存念を伺いおきたく」
「それは懸川城へ一番の攻勢を仕掛けるためよ」
そこまで言い終えると譜代家臣・長坂信宅に笑いかけると、家康は旗本衆へ懸川城下へ攻め込むよう命じたのである。
「よし、殿からの命じゃ!城下へ突き進めっ!」
重臣・本多作左衛門重次の采配で旗本衆は懸川城下へ攻め入っていく。
「服部半蔵正成、見参!今川の者共、いざ尋常に勝負!」
「渡辺半蔵守綱も参るぞ!」
「両半蔵には負けられぬ!榊原隼之助忠政も参る!」
服部半蔵に渡辺半蔵、榊原隼之助といった二十代の若武者たちが先を争って駆け出し、それを追い越して今川家の武士に組み付き首を挙げたのは本多三弥左衛門正重であった。
「一番槍は槍の三弥が貰った!」
「なにをっ!この槍半蔵を差し置いて何をぬかすか!」
「なんじゃと!それはそなたがのろまなだけであろうが!」
「おのれ!言わせておけば!」
敵地で取っ組み合いの喧嘩を始める本多三弥と渡辺半蔵を嘆息しながら後方で見つめるのは齢四十を超えた老練な本多作左衛門と内藤甚一郎正成であった。
「作左衛門殿、いかがなされる」
「放っておけ。そのうち、戦いに戻る。それよりもまずは殿からの下知に従い、城下へ押し入ることぞ」
その日の徳川軍の攻勢は本多作左衛門の采配もあり順調に進むかに見えたが、城を打って出た今川勢と激しい戦となり、徳川軍が撃退されることとなったのである。




