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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第243話 江馬弥三と高天神小笠原家の帰属

 今川氏真たち今川勢が籠城する懸川城へ酒井左衛門尉忠次たちが陣を進め始めた永禄十一年十二月二十一日。いよいよ曳馬城を出陣しようとする家康は、駿府から逃げてきたという一行を庇護することとなっていた。


「若様!よくぞご無事で!」


 そう言って家康の面前であることも忘れて元服前の主君に抱き着いたのは、江馬加賀守時茂の家臣・小野田彦右衛門であった。


「宮地三郎右衛門殿、よくぞ若様を駿府から逃がしてくれた!礼を申すぞ!」


「家臣として当然の務めにございますれば。それに武田軍が乱入してきたことで駿府も混乱しておりましたゆえ、こうして脱出できたのでございます。されど、亡き殿のご生母様は途中ではぐれてしまい、行方が分からぬのです」


「そうであったか。じゃが、若君さえ無事なだけでも良しとしようぞ!」


 宮地三郎右衛門と言葉を交わす小野田彦右衛門が抱擁している少年こそ江馬時茂の遺児・弥三であった。武田軍の駿府乱入から八日もの間、身を隠しながら江馬弥三らは曳馬城へと帰還したのである。


 武田軍にも今川方の勢力にも見つからず、駿府から曳馬城までの約十九里半に及ぶ険しい道のりを踏破してきたのであるから、今川氏真以上の逃避行を成し遂げてきたのであった。


「ごほん、主従の再会に水を差すようで悪いが、そこにおられる少年が江馬時茂の遺児、江馬弥三殿であるな」


 小さな咳ばらいを一つした後に、家康は江馬加賀守の遺臣である小野田彦右衛門へと語りかけ、小野田彦右衛門はこれまたすぐに返答してみせた。


「はっ!いかにも!若様、こちらにおられるのが徳川三河守様じゃ」


「と、徳川三河守様。お初にお目にかかりまする、江馬弥三にございまする」


 小野田彦右衛門に袖をひかれ、駿府からの逃避行にも付き従った宮地三郎右衛門に見守られながら江馬時茂の遺児・弥三は礼儀正しく、目の前で床几に腰かける家康へと挨拶した。その礼儀正しい少年に心打たれたのか、家康は爽やかな笑みを浮かべながら、対面を慶んだ。


「そなたの父、加賀守の最期は実に無念であった」


「はい。道中、城中で起こったことは耳にいたしました」


「そうか、すでに存じておったか。ここで涙は見せられぬであろうが、屋敷へ戻ったならば心の内に抱えているもののすべてを吐き出してしまわれるがよかろう」


「はっ、はい!お心遣いに感謝いたしまする」


「ははは、そう畏まらずとも良い。わしも八ツの折に父を病で失ったが、その頃は尾張の熱田で織田家の人質となっておったゆえ、父の死に目に会えなんだ。それゆえに、少しばかりは弥三殿の無念も汲み取れるというもの。幸いにも忠臣らがおることゆえ、彼らを頼りに再起を図られればよい」


「そう、いたしまする」


 眼の前で床几に腰かけ、鎧甲冑で身を固めた青年も自分と同じく父親の死に目に会えなかったのだ。そのことは少年・江馬弥三の心に深く刺さる何かを残した。


「弥三殿へ与える知行安堵状じゃが、正式に文書発給するのは来年のこととなろうが、それでも構わぬか」


 武士にとっては命の次に大事な知行安堵状の発給。今すぐにでも欲しいものであるが、どうすべきか分からない江馬弥三は両脇に控える家臣、小野田彦右衛門と宮地三郎右衛門へいかにするがよいか諮った。


「それでよろしゅうございます。何卒、よろしくお願いいたしまする」


「そうか、迷惑をかけてすまぬが、必ず発給するゆえしばし待たれよ。それと戦のことじゃが、弥三殿は未だ元服前じゃ。ゆえに出陣を要請した折には陣代を立てていただければよろしゅうござる」


「度重なるお心遣い、恐縮の至りにございます」


「うむ。それとな、弥三殿はこれにおる本多平八郎忠勝の組下とする」


 江馬弥三は家康の傍らで二丈近い長さの槍を地面から垂直に立てて屹屹と近侍している青年を見やった。


「ここにおる平八郎は齢二十一と若いが、槍を扱わせれば当家でも指折りの猛者。のう、平八郎」


「はっ、これまでの戦においてかすり傷一つ負ったことはござらぬ」


「このように口数も少なく不器用じゃが、悪い奴ではない。何かと頼りになるゆえ、良き兄を得たと思ってくれればよい」


 本多平八郎へ憧憬の眼差しを向けながら、江馬弥三は本多平八郎忠勝の組へ所属することを喜んで受け入れた。


 かくして、曳馬城を徳川へ引き渡すべく尽力して兄・江馬安芸守泰顕により殺害された江馬時茂の遺児・弥三も徳川へ従属する運びとなったのである。


 そうして家康も懸川城へ出陣すべく曳馬城を発とうとしているところへ、馬伏塚城へ調略に向かわせていた小笠原摂津守安元が帰還したのである。それも大層な手土産を持って、である。


「摂津守、戻ったか」


「はっ!」


「して、調略は首尾よく参ったか」


 家康からの問いかけに喜色満面で頷く齢五十八の老将・小笠原摂津守は背後を顧みて、一人の人物を招き寄せた。


「殿、これへ控えるが高天神城主の小笠原与八郎氏助にございます」


「徳川三河守様、お初に御意を得ます。高天神城主、小笠原与八郎氏助にございまする!」


 礼儀正しく家康へ挨拶した高天神城主・小笠原与八郎氏助は家康よりも若いとは思っていなかった家康は面食らった。しかし、わざわざ居城を離れてまで曳馬城の家康を訪ねてきたのは、従属の申し出に相違なく、調略は上手くいったのだと確信した家康は安堵していた。


「摂津守、いかにして与八郎殿を調略したのじゃ」


「はっ、それは……」


「与八郎殿、ここは某から説明させてくださいませ」


 家康から調略の子細を話すよう命じられた小笠原摂津守の言葉を遮ったのは他ならぬ小笠原与八郎であった。


 そんな小笠原与八郎はどのように調略を受け、曳馬城へ出仕するに及んだのか、包み隠さず、すべてを暴露していく。


「実は、摂津守殿と出会ったのは人質を伴って秋山伯耆守の陣所へ向かおうとしていた折にございました」


「なんと、武田からの調略を受けておったと!?」


「はい。そこで摂津守殿一行に出会い、秋山伯耆守へ出仕して人質を渡して帰属しようとしていたところだと申したのです。すると、摂津守殿が某とゆっくり話がしたいゆえ、一度城へ戻って話をしようと仰られたのでございます」


「なるほどそうであったか。さしづめ、そこで摂津守より当家に従うべきじゃと説得されたのであろう」


 家康が茶化すように発した問いかけに小笠原与八郎は笑みを浮かべながら首肯する。調略を受け持った小笠原摂津守は自分がしたことのすべてを暴露されたのが恥ずかしいのか、顔を赤らめながら俯いてしまっていた。


「摂津守殿と某は同族。その同族が取り計らってくれることに悪いことはなかろうと判断した次第。もとより、某の曽祖父は信濃守護の小笠原氏の出にございますれば、その信濃守護をしておった小笠原一族を駆逐したのは、他でもない武田家にございます。それに従うことを父ともども良しとしない風潮がありましたし、これ幸いと徳川様への従属を決めたのでございます」


「そうか、与八郎殿は曽祖父の代にまで遡れば信濃守護の小笠原氏に行きつくのであったな」


「はい。武田信玄に追われた信濃守護の小笠原長棟は曽祖父の弟にあたりまする」


 眼の前にいる小笠原与八郎と信濃守護・小笠原氏が結びついたという事実に家康自身も驚いた。しかし、それ以上に家康は高天神小笠原家が今川家で置かれている立場を考慮して、大きな達成感を感じていたのである。


「そうであったか。じゃが、よもや今川家親類衆である与八郎殿が我らに従属いただけるとは思っておらなんだ」


「はい。父方の祖母が今川御一家衆の出身にございますゆえ、今川氏一門に准じた扱いを受けております」


「それは与八郎殿や御父上の美作守殿の諱を見れば分かる。父子ともに『氏』の一字があるが、これは瀬名家や関口家といった今川御一家衆にしか許されておらぬ」


「さすが三河守様。やはり親類衆であらせられた御仁は違いまするな」


「ははは、わしも駿府で育った身じゃ。その『氏』の諱を賜ったことが大変な名誉であることは十二分に理解しておる」


 かつて今川家に従属し、今川御一家衆・関口伊豆守氏純の娘を娶って親類衆となっていたからこそ、高天神小笠原家の今川家中における地位の高さが実感を伴うのである。


「申し遅れましたが、父は年のためか足腰が不自由であるため、挨拶は控えさせていただいております」


「そうであったか。じゃが、美作守殿が馬伏塚城に残ってくれておればこそ、与八郎殿もこうして天竜川を渡河して曳馬城まで参れたのであろう」


「はい。父と某とでは踏んできた戦場の数が違いますれば、その父が所領に残るとあれば、領内は安泰にございます」


 小笠原与八郎の実父・美作守氏興は今年で齢四十。体が若い頃のように無茶できなくなってくる年頃でもあった。それゆえに、家康も出仕しなかったことを咎めるつもりは毛頭なかったが、他ならぬ小笠原与八郎は気にしている様子であった。


 そんな小笠原与八郎は持参した首桶を一つ、家康の御前にて披露したのである。


「こちら、父より預かって参ったものにございまする」


「こ、これは……!?」


 首桶なのだから中身は言うまでもなく、首であった。されど、家康が駿府時代に面識のなかった青年の首であったため、誰の首なのかまで家康には判明しなかった。しかし、小笠原与八郎から告げられた名は聞き覚えのあるものであった。


「こちら、今川上総介氏真の側近として桶狭間合戦以後に権勢を振るっておりました、三浦右衛門大夫真明が首にございます」


「おお、あの三浦右衛門大夫が首であったか……!して、何故こうして首がここにあるのじゃ」


 そう、首の正体は今川氏真の側近・三浦右衛門大夫真明であった。その父、大原肥前守資良とは吉田城をめぐる攻防戦で家康にも因縁のある人物である。しかし、家康には解せない点があった。何ゆえ、今川氏真の側近の首が高天神小笠原家の手元にあるのか、である。


「与八郎殿、これは大物の首級にござるが、何故三浦右衛門大夫の首が美作守殿の手元にあったのじゃ」


「某も父からの書状で知ったのですが、三浦右衛門大夫は氏真とともに駿府を脱出したのですが、駿遠国境で別れて懸川へ入らずに馬伏塚城の父を頼って参ったのだと」


「ほう。されど、何ゆえ三浦右衛門大夫は馬伏塚城へ参ったのじゃ」


「それは某の生母、すなわち父の妻が三浦氏の出身にございますれば。その縁もあり、懇意にしている間柄にございました」


 よもや高天神小笠原家と三浦家に姻戚関係があったとは、さすがの家康とて知り得なかった。それだけに、受けた衝撃は大きなものであった。


「じゃが、その頼ってきた三浦右衛門大夫を討ち取ったのは何故じゃ」


「父は武田へ従属するのか、徳川へ従属するのかまで定めてはおりませんでしたが、すでに今川に見切りをつけておりました。されど、今川の重臣である三浦右衛門大夫を匿っていることが知れれば、御家が滅ぶやもしれぬと考えたらしく、妻子ともども城中で誅殺したとのこと」


 悲しきかな、戦国の世。今川氏真の側近として権勢を振るっていた三浦右衛門大夫は懇意にしていた今川一門に準じる高天神小笠原家によって成敗されてしまったのである。しかし、それこそが家を守る当主として当然のやり方でもあった。


「されど、三浦右衛門大夫は何故懸川へ入らず、馬伏塚城へ来たのか。この家康には解せぬ」


「実はここだけの話、三浦右衛門大夫と懸川城主の朝比奈備中守は不仲なのでございます」


「そうであったか」


「元々大原肥前守は他国出身でありながら先代義元公の頃より重用され、その子である三浦右衛門大夫は筆頭重臣格の三浦家の傍流の一つを継承して三浦を名乗り、譜代の重臣と同じ役割を担ったことが、朝比奈備中守はじめ今川譜代の者らから反発を受けておったのです」


 主家に重用され、譜代家臣の家格を継いで権勢を振るったことが他の譜代家臣から反発されようとは、氏真も予想だにしていなかったことであろう。


「そうであったか。右衛門大夫もこうしてみれば哀れな者よ。与八郎殿は所領に戻られたら、すぐにも菩提を弔い、菩提寺へ寄進なりをなされるがよかろう」


「はっ、そういたしまする」


 何はともあれ、高天神小笠原家は武田ではなく、家康へ従属することを誓約した。今川一門に準じる家格であった高天神小笠原家を従属させたことを受け、遠江における徳川方の調略は一気に進展していくこととなるのである。

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