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不屈の葵  作者: ヌマサン
第6章 竜吟虎嘯の章
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第241話 懸川城を目指して

 永禄十一年十二月十八日。在城衆が昨日交わした約定に則り城門を開き、城を明け渡したことを受け、家康は馬首を進めて曳馬城へ入城した。


「殿」


「おう、百助か。そなたも懐かしいのではないか」


「はっ、いつぞやは援軍として曳馬城への援兵として在城しておりましたゆえ」


「あの折は江馬兄弟が今川へ再び従属してしまったゆえ、そなたは退去させられたが、見てみよ。こうして最終的には我が手に収まった」


「お見事にございまする。すべては殿の人徳の為せる技にございましょう」


 家康のすぐ隣へ駆け寄ったのはかつて家康から江馬兄弟への援兵として曳馬城へ派遣されたことのある豪傑・本多百助忠政であった。彼は徳川家中の誰よりも曳馬城を見知った武士だけに、この曳馬城が主家の手に収まったことは感無量といった様子である。


「三河守様、お久しゅうございます。江馬加賀守が家臣、小野田彦右衛門にございまする」


 入城する家康の前へ進み出て跪いたのは今は亡き江馬加賀守時茂の家臣であり、主君の仇・江馬安芸守泰顕を討ち果たした小野田彦右衛門であった。


「おお、江馬安芸守泰顕を討ち果たした小野田彦右衛門とはそちであったか。いつぞやは岡崎へ援軍を求める使者として参った者であったな」


「はっ、あの折は迅速に援兵を派遣していただけましたこと、亡き主も大層喜んでおりましたが、ご期待に沿えず申し訳ございませぬ」


「なに、それは時流の変化というもの。案ずることではない。今もこうして曳馬城は戦火で焼けることなく残っておるだけでも良しとしようではないか。唯一の心残りとしては、この光景を加賀守殿とともに眺められなんだことじゃ……」


「そのお言葉を三河守様よりお聞きできましたこと、亡き主君も泉下で喜んでおりましょう」


 本多百助を援兵として派遣することとなった折、岡崎城へ援軍要請の使者として江馬兄弟から派遣されたのが、この小野田彦右衛門であった。家康も顔を見るまではすっかり忘れていただけに、思いがけず見知った顔を見かけて表情をほころばせる。


 もちろん、表情をほころばせる余裕が生まれたのは曳馬城を接収したことで兵糧や武器弾薬の補給を井伊谷経由しかなかったのが、吉田城から東海道沿いに二川《ふたがわ》、白須賀《しらすか》、新居、今切の渡しを経て引馬へと至る道を確保できて安堵した気持ちも多分にあったのだが。


「三河守様に一つお尋ねしたきことがございます」


「ほう、申してみよ」


「はっ!ではお尋ねいたしまする。我が主、江馬加賀守が遺児弥三様と江馬加賀守が母は駿府へ人質に出しておるのですが、何ぞその後の消息などは入っておりませぬでしょうか」


「なんと、江馬加賀守の遺児と生母が駿府におると申すか。すまぬが、武田方からは何の消息も届いておらぬ。じゃが、心には留めておくゆえ、何ぞ消息を耳にしたらそなたに伝えることといたそう」


「感謝申し上げまする!」


 徳川方帰属を訴え続け、実の兄に斬り殺された江馬加賀守の遺児と実母が駿府へ残されているかもしれない。それを聞いては、家康としても行方を捜さないわけにはいかなかった。


 そうして確保した遠江の重要拠点・曳馬城での仕置きを済ませ、翌十九日には懸川に向けて出陣することを喧伝させた。同時に、すでに従属を誓っている久野城主・久野三郎左衛門宗能へ天竜川に舟橋を掛けるように命じたのである。


 折しも秋山伯耆守虎繁との交戦を終えていた久野三郎左衛門はこれに応じて東側から天竜川を渡河するための架橋を家康も驚くほどの速さで進め、翌二十日には渡河ができるまでの仕上がりとなっていたのであった。


「殿、久野三郎左衛門よりの使者が参り、天竜川の架橋が完了したとの報せがございました」


「与左衛門、ご苦労であった」


 久野家との取次を務め、細かにやり取りをしている側近・高力与左衛門清長を労う家康であったが、その側近の表情が曇ったままであることが気にかかり、問いただした。


「与左衛門、何かあったか」


「はっ、申し上げるのも恐ろしきことにございますが……」


「構わぬ。そこまで口にしたのならば申せ」


「然らば言上仕りまする。三郎左衛門殿が申されるには、殿から天竜川への架橋の命令が入る数刻前まで秋山伯耆守率いる武田軍と交戦していたとのこと」


「なにっ!?」


 高力与左衛門から聞かされた思いがけない報せ。それは自らに従属した久野三郎左衛門が盟約を結んでいる武田方の軍勢と交戦していたというのだから驚かずにはいられなかった。


 しかし、ここで大事なのは合戦へと至った経緯である。それ次第では、武田信玄から何を言われるか知れたものではなかった。


「して、何故三郎左衛門は秋山伯耆守と戦をするに至ったのじゃ」


「はっ、三郎左衛門は家中の反対派を粛清なされ、そのうえで当家へ帰属するから武田へは帰属せぬと秋山伯耆守へ使者を派遣して申し伝えたところ、いかなるわけか久野城へ侵攻してきたとのこと。それを迎え撃ち、合戦へと至ったとのこと」


「そのようなことがあったのに、よくぞ橋を架けることができたの。城が手薄になれば、それこそ攻められる恐れもあったであろうに」


「そのことですが、殿に救われたのだと三郎左衛門殿は申しております」


 久野城を救ったと言われ、家康はきょとんとする。まったく救うようなことをした覚えがないのだから、そうなるのは無理もなかった。


「与左衛門、わしが久野城を救ったとはいかなる仕儀じゃ。そのようなことをした覚えはないのじゃが……」


「殿が曳馬城を確保なさり、まもなく本隊を率いて懸川へ進軍を再開すると喧伝したことを受けて、武田軍は西へ撤兵したとのこと。現在は見附古城に駐留しておるのを久野家中の斥候が確認したとも」


「見附か」


 遠江府中にあたる重要拠点・見附に入ったところから察するに、武田軍は隙あらば遠江経略を進めるつもりなのだと家康にも理解できた。まったくもって同盟とは名ばかりで、油断ならない相手であった。


「やむを得ぬ。武田軍が見附古城へ駐屯しておると耳にしては油断できぬ。進軍予定を変更するほかない」


「よ、よもや懸川への進軍を延期なされるご所存で?」


「否、進軍は行うが、武田軍への警戒のため、一挙に全軍で懸川へ進軍するのを避けるというだけじゃ」


 当初の予定では、留守を守る兵を最低限残し、家康が三河から連れてきた軍勢のすべてですぐにも懸川城を包囲してしまうつもりであった。


 だがしかし、先に山家三方衆へ攻撃を仕掛け、久野城へも攻撃を仕掛けてきたという秋山伯耆守が懸川と曳馬城の間に座しているのは油断ならない。そのため、家康は大幅に作戦を変更することとした。


「与左衛門、すぐにも左衛門尉と与七郎、彦五郎の三家老と、七郎右衛門と彦右衛門尉、あとは大給松平の源次郎を呼んできてはくれぬか」


「はっ、承知いたしました!」


 真っ先に家康のもとへ参上したのは側近の鳥居彦右衛門尉元忠であった。出陣に向けて本陣の側で兵らの仕事ぶりを監督していたため、高力与左衛門から主君・家康に呼ばれていると真っ先に教えられ、慌てて参上したのである。


 そうして鳥居彦右衛門尉に続いて石川与七郎数正、大久保七郎右衛門忠世が到着し、西三河衆の旗頭・石川彦五郎家成と松平源次郎真乗が連れ立って参上し、最後に東三河衆の旗頭・酒井左衛門尉忠次が高力与左衛門とともに本陣へ到着したのであった。


「殿、我らをお呼びになられて何事にございましょうか」


 一番に開口したのは家老・石川与七郎であった。これだけの重臣を集めたのだから、家康はきっと何か重要なことを告げようとしているに違いない。そう勘を働かせたのである。


「うむ。実はな、天竜川の架橋を命じた久野三郎左衛門より橋を架け終わったとの報せを受けた」


「おお!ではいよいよ懸川へ進軍ですな!」


「七郎右衛門、それがそうもできぬことが起こった」


 家康はようやく懸川へ向かえると息巻く大久保七郎右衛門を制すると、高力与左衛門を介して久野三郎左衛門が伝えてきたことをその場にいる諸将へ伝達した。


 山家三方衆と激突した際も憤りを露わにしていた酒井左衛門尉はその時以上に眉間にしわを寄せ、拳を震わせる。他の重臣らも武田の好き勝手な振る舞いに我慢ならぬと顔に書いてあるかのような表情へ変貌し、陣中は怒気で満たされた。


「殿!秋山伯耆守めは見附におるのでしたな。我らにそれを攻め潰したうえで懸川へ向かえと仰せにございまするか!然らばその折には大久保党を先陣にしてくだされ!必ずや、憎き秋山伯耆守が首、挙げてご覧にいれまする!」


「落ち着かぬか!わしは武田と事を構えるのは時期尚早と考えておる。そなたらに命じたいのは先行して天竜川を渡河し、懸川城を目指してもらいたいからじゃ」


 主君・家康が命じたいのは秋山伯耆守ら伊那衆攻めではなく、あくまでも懸川城への進軍。それを聞いた重臣一同はひとまず武田への怒りの矛を収め、じっくり主君からの命令を待った。


「然らば、殿。我らは何処に布陣すればよろしゅうございますか」


「うむ、本日中に天竜川を渡河し、懸川城から一里ばかり離れて軍勢を展開させよ。懸川城の今川勢、見附の武田勢の動きを見極めた後、城へ陣を寄せていくのじゃ」


「なるほど、左様にございましたか。して、殿はいかがなされまする?」


「わしは今日明日は曳馬城に留まり、見附へ睨みを利かせておこうぞ」


 家康の声は何かを確信しているのか、自信に満ちていた。それを感じ取ったこともあり、酒井左衛門尉ら重臣一同は命に服し、ただちに出陣するべく支度を急いだ。そうして家康の周囲には高力与左衛門、鳥居彦右衛門尉の両名が残るばかりとなった。


「殿、何か確信があるとお見受けいたします。この彦右衛門尉にお教えいただけませぬか」


「確信とな。そうか、そなたらにはそう見えたか。確信というほどではないが、高力与左衛門が久野三郎左衛門伝手に聞いた秋山伯耆守の動きを耳にして引っかかったことがあったのじゃ」


「その引っかかったこと、と申されますと?」


「わしが懸川へ進軍すると聞くなり、慌ただしく久野城への侵攻を停止して引き揚げたことじゃ。さすがの秋山伯耆守も山家三方衆や久野城を攻められても、この家康は攻められぬということじゃ。まあ、それを致せばただちに同盟は破棄となるゆえ、それだけはできないということなのであろうが」


 そこまで聞けば、鳥居彦右衛門尉も高力与左衛門も主君の申したいことの意味が掴めた心地がした。つまるところ、家康は自らが秋山伯耆守の動きを封じ込める楔となることを悟った。それゆえに、自らが秋山伯耆守を牽制する役を担っているということなのであろう、と。


「殿のお考え、この彦右衛門尉にもよう分かり申した。然らば某も左衛門尉殿とともに出陣せねばなりませぬゆえ、支度にかかりまする。では、これにて失礼いたしまする!」


 何故主君が進軍予定を変えたのか。それが気がかりであったのか、その疑問が解消したのに満足したとばかりに軽やかな足取りで本陣を去っていく。


「殿、武田が行動はちと目に余りまする。ここは甲州屋形へ一つ、釘を刺しておかれた方がよいのでは?」


「時期尚早と申したであろう。今しばらく戦況を見てから判断することとしたい」


 家康が信玄に異議を申し立てるべきであるとの高力与左衛門の意見をまだ早いと却下しているところへ、幡豆小笠原家の小笠原摂津守安元が家康を訪ねてきたのである。


「殿、高天神小笠原家はいかがなされるおつもりでしょうや」


「ほう、高天神城の小笠原家とな。むろん、抗わぬと申すならば従属を認めるつもりでおるが、それがいかがしたか」


「はっ、当家と高天神小笠原家は同族にございますれば、お許しいただければ調略しに向かいたく存じまする」


「許す。ただちに向かうがよかろう。たしか父親の小笠原美作守氏興は馬伏塚城主、その子である小笠原与八郎氏助は高天神城主であったな」


「いかにも。懸川を攻めるうえでは要衝に位置しますゆえ、ここを押さえられれば懸川城の今川家へ打撃を与えられましょう」


 そう、高天神城が管轄する浜野湊が懸川城へ海上から物資を補給するうえで最も適しているため、ここが今川方となればいくらでも北条家の伊豆や相模から支援物資を供給することができてしまうのである。


 ゆえに、ここを味方にしておくことは重要な意味を持ってくる。そのことを重々承知している家康は進んで調略を買って出た小笠原摂津守安元に高天神小笠原家の調略を託したのであった。

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