第239話 霜を踏んで堅氷至る
井伊谷へ進軍し、二俣城に在城する鵜殿三郎氏長たちからの帰属申し入れを受け入れた家康率いる徳川軍は十二月十六日、次なる侵攻先をかつて飯尾家の居城で一度は帰属させることに成功していた曳馬城と定め、出陣しようと最終調整を行っているところであった。
「殿」
「作左衛門か。禁制の発給は進んでおるか」
「はっ、与左衛門殿も三郎兵衛殿も手際のよい方々にございますれば、滞りなく進んでございまする」
「それならば良い」
本多作左衛門重次、高力与左衛門清長、天野三郎兵衛康景の三名に命じておいた禁制の発給が命じてある通りに進んでいることの報告を受け、家康は安堵の色を見せる。
「それとな、作左衛門」
「ははっ、何でございましょう」
「先日菅沼新八郎を介して受け取った後藤覚蔵からの書状にあった通り、宇津山城と堀江城は籠城の支度を進めておった」
「やはりそうでしたか。宇津山城代の大原肥前守はかつて吉田城代として幾度となく当家の攻撃をはじき返してきた強者。おそらく此度も苦戦するのではございますまいか」
「そうなるであろう。じゃが、ひとまず東三河に残してきた留守居の者たちに睨みを利かせておくよう命じてもおるゆえ、後回しじゃ。それよりも警戒せねばならぬは、堀江城の大澤左衛門佐であろう」
「たしか湖の領主とか申す者もおりましたな」
本多作左衛門の発言に、家康は首肯する。浜名湖に張り出す庄内半島全域を支配し、多数の船舶を保有して浜名湖水運を掌握していることから、大澤氏は『湖の領主』と言う者もいた。
「加えて、大澤氏は今川家より村櫛と新居に舟関の設置と管理を委ねられており、湖上交通を統制する役も担っておる。そして、当家が浜名湖西岸から東岸へ物資を輸送しようとするならば、着岸する先のほとんどが大澤氏の所領じゃ。ここの調略が不首尾に終わったことは痛手であるぞ」
「殿の仰られる通りかと存じます。浜名湖の船舶と物資は舟関を必ず通りまするゆえ、大澤氏の統制下に置かれておると言っても過言ではござらぬ。さらに、浜名湖の西部にある宇津山城は今川氏の米穀が集積されている御蔵がございますが、これを守る城として吉美城があり、吉美城を含む湖西地域を統括しておるのが宇津山城代の大原肥前守。浜名湖の東西を今川方に抑えられておるは、当家に取って甚だ不都合」
現状、家康率いる徳川軍の兵粮補給経路は自分たちが通ってきた吉田城から陣座峠を越え、井伊谷まで運ぶ道しかない。万が一、ここが経たれたとあってはたちまち徳川軍は兵糧攻めにあってしまうのだ。
「作左衛門の申す通りじゃ。わしも浜名湖を抑えたいが、宇津山城も堀江城も易々と落とせる城ではない。ともすれば、浜名氏や後藤氏らに封鎖されておる本坂道を通行可能とするか、曳馬城を抑えて東海道を通じて物資を補給できるようにするか」
「されど、大澤氏を始めとする今川方の船舶から物資を運びながら今切の渡しを通過させるは厳しかろうかと」
「そうなのじゃ。ゆえに当家の補給路は脆弱も脆弱、急所を敵に握られたまま進もうとして折るようなもの」
「さりとて、ここで浜名湖周辺の制圧に時をかけていては駿河を平らげた武田軍に遠江をかっさらわれてもしまう、というわけですな」
実に悩ましいのは本多作左衛門の申した通り。早く先に進みたいが、補給路を確保するためにも浜名湖水運を抑えておきたいが、そこで手間取っては武田に遠江の大半を奪われてしまうから何としても先に進みたいというのが家康が葛藤し続けている問題であった。
そんな折、家老・酒井左衛門尉忠次が鎧と衣服とが擦れる音を発しながら陣幕を払って姿を現した。
「おう、作左衛門もおったか」
「なんじゃ、居ては悪いのか」
「いや、そのようなことはござらぬ。それよりも殿、東へ偵察に出ておった甲賀衆が戻り、このような報せを持ち帰って参りましてございます」
「おう、さすがは甲賀衆じゃ。して、持ち帰った報せとはいかなるものじゃ」
酒井左衛門尉は甲賀衆が集めてきた情報を一覧にまとめてきたものを懐から取り出すと、それを高らかに読み始める。
「報告は大別して三つございました。まず一つ、今月六日より駿河へ侵攻を開始した武田軍は去る十三日に駿府を占領」
「馬鹿なっ!侵攻開始から七日で駿府を陥落させたと申すか!」
まさに『侵掠すること火の如く』を体現するかのような武田信玄の手際の良さに家康だけでなく、傍らに控える重臣・本多作左衛門も仰天し目を丸くしていた。
「されど、富士郡の大宮城では富士信忠殿が武田軍相手に徹底抗戦しておるらしく、すべての国衆や土豪が武田に服しているようではない模様」
「そうであったか」
「また、これは余談にございまするが、殿が駿府におられた頃に交流のあられた岡部次郎右衛門尉正綱殿は安部大蔵尉元真殿とともに僅かな手勢で駿府に攻め込んできた武田軍を迎え撃つも敗退。両将とも行方知れずとのことにございました」
「そ、そうであったか……」
同い年であるということもあり、駿府時代に親しくしていた岡部次郎右衛門尉が武田軍に激しく抵抗したが戦死したわけではないと知り、家康は腹の底から安堵の息を漏らした。
「二つ目にございますが、駿府を辛くも脱出した駿州屋形は妻子や妹をはじめとする一族や重臣らとともに昨日遠州懸川城へ入城し、城主の朝比奈備中守とともに籠城の支度を進めており、それを聞きつけた西原善衛門、同じく源太、国本の土豪である原川讃岐入道、西郷の土豪の西郷監物丞信房といった遠江衆が懸川へ参上し、徹底抗戦の構えを取っておるとのこと」
「なっ、何故遠江に来てしまったのじゃ……!」
「東から武田軍が迫ってきたのですから、西へ逃れてくるは必定かと思われまするが……」
酒井左衛門尉はそう語尾を濁すが、家康が言いたかったのはそういうことではなかった。懸川城へ入ったとあらば、遠江を徳川の支配下に収めるためには徳川が今川氏真の籠る懸川城を攻め落とさなければならなくなったということ。
何より、亡き大恩人・今川義元の嫡男であり、駿府時代には良い兄貴分として何かと目をかけてくれた今川氏真をこの手で攻めなければならない。それが家康は本心では嫌だったのだ。
これまでの戦いでそういった情が自分を窮地に追いやることも重々承知している。だとしても、かつて兄貴分のように慕った男との直接対決だけは家康は避けたかった。氏真との決戦を武田に押し付け、その間に遠江をせしめる。それが、家康の描いた理想の遠江侵攻であったのだ。
だが、もうすでに入城してしまったものはどうしようもなかった……
「そして、堀江城の大澤左衛門佐基胤とその一族の中安兵部少輔種豊は懸川へ人質を提出したのことにございますゆえ、堀江城は今川方として徹底的に抗ってこようかと」
「そうか、人質を懸川へ送るほどな覚悟を持って籠城戦に挑もうとしておるのか。それは手強いであろうな」
そこまでして今川方としての立場を守る大澤左衛門佐の堀江城を屈服させなければ浜名湖水運を支配することはできない。それは家康にとって厄介極まりないことなのはまず間違いなかった。
「これで最後にございまするが、四日前の今月十二日に北条家当主の北条左京大夫殿自ら小田原城を出陣。今川家を支援するべく駿河入りし、駿東郡と富士郡を瞬く間に制圧。薩埵峠を北条軍先陣が押さえ、武田軍の補給路を断ったとのこと」
「なんと!北条軍が武田軍の背後と衝いたか!」
「はっ!加えて花沢城や藤枝城、伊久見山の犬間城に籠城する今川方は意気軒高で武田方に激しく抵抗しておるのに加え、駿府の北に位置する井川・安倍で今川方の土豪らが一揆を組織して蜂起してとのことで、駿府の武田軍は東西北の三方位を敵方に囲まれて身動きが取れぬ状況とのこと」
「それは良いことを聞いた!左衛門尉、作左衛門!すぐにも陣触れじゃ!武田が苦戦しておる隙に遠江制圧を進めようぞ!上首尾に参れば、我らが駿河西部まで抑えることも可能となろう!」
それはまさしく名案だと酒井左衛門尉と本多作左衛門は瞳を輝かせて頷き、すぐにも出陣するべく伝達に走る。
そうして十六日に家康は井伊谷を発し、鳳来寺道へ入り、三方ヶ原を抜けて一路曳馬城を目指して進軍を開始したのである。
「与左衛門はおるか」
「先日我らへ帰属したいと申し出て参った久野城の久野三郎左衛門宗能との交渉はどうなっておる」
「はっ、殿が曳馬城を抑えた後に天竜川を渡河して川東へ進出しますので、その折に人質を連れて本陣へ参上し、正式に帰属を申し入れていただきたいとの旨を伝えております」
「うむ、それでよい。ひとまず、わしが三郎左衛門殿との対面できる日を楽しみにしておることも伝えておいてはくれまいか」
「ははっ!では、すぐにもしたためて書状を久野城へ届けさせまする」
家康は少し後ろを馬で追いかけてくる高力与左衛門へ久野城の久野三郎左衛門へ言伝を取り次いでおくように命じながら行軍を続けるのであった。
それと同じ頃、武田軍にも大きな動きがあった。信玄自らは興津へ軍を反転させて薩埵峠の北条軍と対峙していたが、それとは別な方向。すなわち、遠江の方であった。
家康が井伊谷を発して曳馬城を目指して進軍最中の頃、武田重臣・秋山伯耆守虎繁率いる信濃国伊那衆の軍勢が別動隊として青崩峠を越えて北遠江へ侵入していたのである。
「殿、犬居城の天野宮内右衛門尉藤秀や奥山兵部丞と左近将監の兄弟が内通したおかげですんなり侵入できましたな」
「がははは、今川家の威光など地に落ちておるゆえな。すでに奥山惣領家の奥山大膳介は当家に帰属しておったゆえ、北遠江はすでに当家が押さえたといってもよかろう」
家臣の言葉に猛獣のように獰猛に笑う秋山伯耆守に率いられた武田勢は二俣へと進出し、遠江国の府中である見附へ向かうかに思われたが、秋山伯耆守は手綱を引き寄せ、走りだそうとする馬を制止した。
「殿、いかがなされましたか?このまま南下すれば本日中に見附へ入れましょうぞ」
「いや、対岸に旗が蠢いておるのが気にかかる」
「旗にございますか?」
帯同する家臣たちも秋山伯耆守と同じく小手をかざして天竜川の西岸を注視すると、たしかに小規模ながら軍勢が駐留しているのが確認できた。
「旗は唐団扇と丸に釘抜き紋にござれば、奥平と菅沼ではございませぬか?」
「ほう、作手奥平勢と長篠菅沼勢、田峯菅沼勢と見える。つまりは奥三河の山家三方衆の手勢と見受けたり」
「山家三方衆と申せば徳川に従属している国衆らにございます。つまりは徳川が天竜川以西を制圧したということにございましょうか」
「まだ完了したわけではなかろう。ここは一つ、釘を刺しておくとしようぞ。御屋形様と徳川の取り決めは川切、すなわちここ天竜川が境目なのじゃ。これ以上進むでないと徳川の者共に思い知らせておくとしようぞ。者共!ただちに天竜川を渡河し、対岸の阿多古へ進め!」
秋山伯耆守は手勢を迅速にまとめ上げると、すぐにも天竜川を渡河。対岸へ進出してきていた山家三方衆の軍勢へと攻撃を仕掛けたのである。
思いがけない武田菱の旗指物を付けた軍勢との接敵。これに驚いたのは他ならぬ山家三方衆であった。
奥平美作守定能は長篠菅沼貞景、田峯菅沼定忠の両名と連携して接敵した秋山勢に応戦する。しかし、不意打ちに近い形での開戦となったこともあり、統率は乱れ、瞬く間に山家三方衆は敗走させられることとなった。
「やむを得ん!退けっ!退けぇっ!」
馬上で采配を懸命に振る奥平美作守の号令もあり、各隊は順次撤退を開始していく。そしてそのまま、秋山勢による追い討ちが始まる。
そのまま山家三方衆の軍勢を追撃した秋山勢は大菩薩、市野、石田、有玉などの各所で山家三方衆の軍勢と交戦したのであった。
「殿、あまり深追いするは危険かと」
「うむ。じゃが、徳川よりも我らの方が強いのだと示せれば、曳馬の籠城衆を一変させられるやもしれぬであろう」
「それはそうやもしれませぬが、徳川は井伊谷まで進出してきておるとの斥候の報せ。ここは一度見附を目指すべきであろうかと」
「お主の申す通りか。よし、ならば天竜川を再び渡河して見附へ入るとしようぞ!者共、我に続け!」
嵐のように山家三方衆を蹴散らした秋山伯耆守率いる伊那衆は来た道をも取って再び天竜川を渡河して二俣へ戻ると、そのまま南進。遠江国府中・見附を目指し突き進んでいくのであった――




