第236話 遠江侵攻の始まり
永禄十一年十二月十二日。今川上総介氏真が興津の清見寺に着陣し、そこを本陣として薩埵峠を越えてくる武田軍を迎撃せんと備えている頃。遠く三河国岡崎城へ野田城主・菅沼新八郎定盈からの早馬が到着していた。
「三河守様に申し上げます!」
「おう、そちはたしか菅沼新八郎が家臣であったか」
「はっ!主より言伝があり、これへと参上いたしました!」
「よい、申してみよ」
「はっ!無事に近藤石見守為用、菅沼次郎右衛門忠久、鈴木三郎大夫重時ら井伊谷三人衆の調略が完了いたしましたゆえ、そのご報告に上がりました次第!」
菅沼家臣からの報せに家康は扇子で膝を打って喜んだ。突如思い立ち、調略することとした井伊谷三人衆の調略が首尾よく参るとは思っていなかったからである。まさしく、望外の喜びというやつであった。
「さすがは新八郎じゃ!すぐにもそなたの主君に宛てた知行宛行の判物を発給するゆえ、それを持ち帰ってくれぬか」
「ははっ!ありがとうございまする!我が主もさぞかし喜びましょう……!」
家康はその場で菅沼新八郎宛の知行宛行の判物をしたため、使いとしてやってきた野田菅沼家臣へ託し、小休止させたのちに帰らせた。
そして、続けて井伊谷三人衆宛の知行宛行の判物を記していく。元から提示していた井伊谷跡職五百貫文、二俣左衛門尉跡職一円、気賀、高梨、国領など十四ヶ郷で二千貫文、田原で三百貫文与える旨を書き記した。
加えて、武田信玄からも誘いがあるだろうが乗らないで欲しいことや徳川は自らの進退を賭けて知行宛行の約束を守ることを誓うと誓約する文面も記したうえで書状を書き終えると、使いの者に書状を託し、井伊谷へと駆けさせた。
「皆の者!ただちに出陣じゃ!明日吉田城参集とするゆえ、遅れるでないと各隊へ伝令せよ!急げや者共!」
井伊谷という遠江への侵攻路が開けたことを知るや、家康も本隊を率いて岡崎城を出陣。酒井左衛門尉忠次が城代として遠江侵攻の支度を進める吉田城へ入ったのである。
「殿!いよいよ出陣にございまするか!」
「うむ。井伊谷三人衆が我らに協力する旨を誓ったゆえ、本坂道を避けて井伊谷から遠江へ侵攻することといたす」
「承知!然らば、陣座峠を越え、奥山を経由して後、井伊谷へ向かう道筋となりましょうか」
「そのつもりじゃ」
遠江を越える峠の中でも、地理的に井伊谷へ向かいやすいのは陣座峠であった。そのことを地の利を心得る酒井左衛門尉忠次と意見が一致したこともあり、家康はこの進軍路に間違いがないと悟り、内心ほっと胸をなでおろしていた。
火鉢で暖を取りながら、家康は酒井左衛門尉と遠江侵攻についての打ち合わせを進めていく。その中で上がったのはやはり、本坂道沿いに割拠する後藤氏や浜名氏、新田氏への対応であった。
「殿、某が調略に失敗した後藤らにございますが、いかがなされまする?主力を井伊谷経由で進ませるとなれば、この東三河も手薄となりまするが」
「まさしくその通りじゃ。この者らが井伊谷へ抜けんとする我らを黙って通すわけもない。戦を仕掛けてくるは、峠越えをするその時じゃ」
「いかにも。然らば、陣座峠の南の宇利峠へ別動隊を配備し、これを迎撃させるがよろしいかと。そうでなくば、本隊は井伊谷へ抜ける前に少なからず損害を出すこととなりまする」
「されば、誰を配備するがよいか……」
誰を本坂道沿いの豪族らへの備えとして残すか、家康が頭を悩ませていると野田菅沼家からの使者が入ったと本多作左衛門重次が知らせに来た。
「殿、野田城の菅沼新八郎殿よりの報せ」
「申せ」
「はっ、すでに野田菅沼勢が宇利峠へ軍勢を派遣し、その周辺を制圧しておる由。後詰めを派遣いただければ、このまま本坂道沿いへ睨みを利かせられまするがいかがすればよいか、とのことにございます」
「でかしたぞ、新八郎!」
家康に命じられるまでもなく、家康や酒井左衛門尉の次の一手を先読みしたかのように宇利峠周辺を確保し、陣座峠を越えようとする家康本隊を援護してのけた菅沼新八郎定盈の功績は大きかった。それゆえに家康は上機嫌となったのだ。
「然らば作左衛門、そなたは新八郎よりの使者へそのまま陣座峠へ布陣せよとわしが申しておったと伝えよ」
「はっ!承知に!」
「加えて、牛久保城の牧野新次郎康成、二連木城の戸田虎千代の隊を向かわせるゆえ、彼らと協力して後藤や浜名の動きを注視するよう申し伝えよ」
「はっ、そのように伝えまする!」
本多作左衛門は抜かりない家康の打ち手に一礼しながら笑みをたたえ、野田菅沼家からの使者のもとへ足取り軽やかに戻っていく。
「殿、平八郎にございます」
「おう、いかがしたか」
「はっ、井伊谷より近藤平右衛門秀用なる将が到着し、此度の遠江侵攻の案内役を父より仰せつかったと申しておりまする」
「ほう、近藤平右衛門と申せば、井伊谷三人衆の一人である近藤石見守の子か。よし、会おう。広間へ通しておけ」
「ははっ!」
鎧甲冑を身に着け、家康のもとへ参上した本多平八郎忠勝は嬉々として家康の指示を受け、待たせている近藤平右衛門のもとへと向かっていく。
「左衛門尉、そなたも共に広間へ参れ。ともに近藤平右衛門を引見するとしようぞ」
「はっ、承知いたしました」
家康は酒井左衛門尉とともに広間へ向かうと、そこには一足早く本多平八郎に伴われて広間へ入っていた近藤平右衛門が深々と頭を下げたまま微動だにせず、家康の到着を待っていた。
「面を上げられよ」
「ははっ!お初に御意を得ます、近藤平右衛門秀用にございまする!」
「うむ、威勢のいい若武者じゃ。して、そなたの父、石見守より遠江侵攻の道案内をするよう申し付けられたそうじゃな」
「はっ!地の利を心得る我らが先導仕るは至極当然のことにございます。遠慮のう使ってくださいませ」
菅沼新八郎定盈の機転といい、近藤石見守為用の心配りといい、家康は味方に恵まれている。それは家康自身自覚しているところであった。
「然らば道案内を頼むといたそう。明日にもこの吉田城を出陣するゆえ、そのつもりで支度しておいてくれ」
「ははっ!」
かくして、近藤平右衛門という先導者も用意でき、野田菅沼勢が宇利峠に陣取ったことで陣座峠を越えての遠江侵攻の支度は万事整った家康は翌十三日に吉田城を出陣。
大給松平や竹谷松平、五井松平といった松平家の者たちや奥平美作守定能率いる作手奥平勢や奥平喜八郎信光率いる名倉奥平家といった奥三河の軍勢も加わった家康本隊は悠々と陣座峠越えに取りかかった。
そうして家康本隊が陣座峠越え真っただ中の頃。宇利峠へ布陣する徳川方の菅沼新八郎の陣所へ意外な人物が訪ねてきたのである。
「お初にお目にかかります。後藤覚蔵にございます。此度は同族の後藤佐渡や浜名頼広にも内密で三河守様を訪ねさせていただきました」
「ほう、我らに従わぬと調略を突っぱねた後藤佐渡や浜名頼広に内密で参ったと申すか。して、一体何用ぞ」
「はっ、先の両名がどうするつもりかは存じませぬが、某は遠江まで来るかもわからぬ武田よりも三河の徳川様に帰属したいと考えており、此度秘かに帰属を訴え出ようと罷り越した次第に」
「なるほど、そうであったか。然らばこのこと、某から殿へお伝えしておく」
「ありがたく存じます。それと、こちらは当家が知り得る限りの今川方の動きにございます。といっても、宇津山城代の大原肥前守と堀江城の大澤左衛門佐の動きのみにございますが、ないよりはよいかと思い、文にしたためて持参した次第」
「ほう、それは有り難い。これも中身を一度某が確認したうえで殿へお伝えしておくがよろしいか」
菅沼新八郎からの確認に後藤覚蔵は静かに頷くと、しばらく他愛もない話を菅沼新八郎とした後、後藤佐渡や浜名頼広に気づかれてはいけないと宇利峠の陣所を離れていった。そのことはすぐにも菅沼新八郎は早馬を飛ばし、主君・家康へ報じたのであった。
「ほう、後藤覚蔵が当家への帰属を秘かに願い出て参ったそうな」
「お見せくだされ」
野田菅沼家臣が持参した書状を家康から受け取った酒井左衛門尉は目を凝らして読み進めていく。
「秘かに帰属を願い出てくるあたり、偽りの投降ではなさそうですな」
「うむ。とはいえ、警戒しておくに越したことはない。加えて、宇津山城や堀江城の動きが真であるのかも鵜呑みにできぬゆえ、草の者に探りを入れさせねばなるまい」
初めての三河を出ての大戦ということもあり、家康は慎重を期していた。武田軍より早く遠江を制圧したい気持ちはあるが、焦ってはならぬと自身を厳しく戒めていたのである。
そうして陣座峠を順調に進めた家康は奥山を経由し、井伊谷三人衆の待つ井伊谷へ入った。すると、そこには武装を解き、下馬した三名の武者が揃っていた。そのうちの杖をつき、いかにも足腰が悪そうな老人が一歩前へ進み出る。
「三河守様、お待ちしており申した」
「うむ、そなたが近藤石見守か」
「はい。此度は我が子、平右衛門を先導者としてお付けいたしましたが、お役に立っておりますでしょうか」
「うむ。実によく働いてくれておる。それゆえにこうも早く井伊谷までたどり着けた。礼を申すぞ」
家康は近藤石見守と言葉を交わしながら、一歩後ろに控える二人の武士へ視線を向けると、彼らは今だとばかりに名乗り始める。
「某は都田菅沼家の当主、菅沼次郎右衛門忠久と申しまする」
「おお、新八郎が真っ先に書状を送ったという菅沼次郎右衛門はそなたであったか。して、隣におるのは……」
「申し遅れました。某は鈴木三郎大夫重時と申します」
「そうであったか。たしか、桶狭間合戦にも参陣しておったであろう。出陣する者の中に貴公の名もあった気がするのじゃが」
「はっ、いかにも!父とともに参陣しておりました!」
「やはりそうであったか。ともあれ、こうしてそなたらが協力を申し出てくれたのじゃ。心より礼を申すぞ」
家康は井伊谷三人衆からの出迎えを受け、直に従属を誓う旨の起請文を受け取ると、ひとまず兵士らに野営の支度を命じ、陣営の敷設を開始したのである。
そうして井伊谷へ入った家康のもとへ、天竜川上流に位置する今川方の二俣城より派遣された密使から驚くべき申し出がなされたのである。
「ふっ、そうか。それは良い」
当時、二俣城には在城していた守将・二俣左衛門尉はすでに駿河へ逃亡しており、そのほかの者が在番しているに過ぎなかったのだが、その在番衆からの書状を家康は手にしていたのである。
書状を読む家康の様子に近侍する天野三郎兵衛康景、高力与左衛門清長、本多作左衛門は眉をひそめた。一体、家康が手にする書状にはどのようなことが記されているのか、知る由もないからだ。だからこそ、本多作左衛門は思い切って訪ねてみることとしたのである。
「殿、一体誰からの書状にございまするか」
「これか?これは二俣城に在城する者たちからの書状じゃ。我らへ帰属したいとの意向が記されておる」
「ほう、それは大きいですな。二俣城が当家に与したのであれば、これより曳馬へ進軍する際に背後を衝かれる心配をせずに済みまする。何より、東へ進む折の天竜川渡河も容易になりましょう」
「その通りよ。そして、在番衆の名には松井和泉守や松井八郎三郎といった代々二俣城主を務めてきた松井一族の名もあるが、わしが驚いたのはここじゃ。見てみよ、作左衛門」
本多作左衛門は一体、主君・家康が何に驚いたのかと、手渡された書状に記された名を流し見ていく。すると、たしかに驚くべき人物の名がそこには記されていた。
「う、鵜殿三郎氏長ですと!」
「そうじゃ、かつて上之郷城主であった鵜殿藤太郎長照の長子、三郎氏長じゃ。竹千代との人質交換のために生け捕りにしたあの少年じゃ。あれからまもなく七年が経とうとしておるのじゃ。もう齢二十歳ほどにはなっておろうか」
「それを聞きますると、随分と時が経ったように感じまするな」
「そうであろう。何せ、あの折に四ツであった竹千代が十になっておるのじゃからな。まこと、時が経つのは早いものよ」
少し昔のことを語る家康と本多作左衛門であったが、二俣城将からの申し出を受ける旨の返書をすぐにも準備し、家康はその場にいる本多作左衛門、天野三郎兵衛、高力与左衛門の三名連署による乱暴狼藉、山林竹木伐採、押し買い、追立夫、伝馬を禁止する旨の禁制を発給するよう命じ、着実に遠江制圧を進めていくのであった。




