第5話
(あの人は、私の初恋だったんだよね)
ミゼリアは無意識のうちに胸に手を当てた。
あの青年を思い出す度、胸がきゅうっと締め付けられる。
記憶が美化されているだけかもしれないが、ミゼリアの中で彼は今でも美麗な微笑みを浮かべている。
(まあ、もう十年以上前の話だし。今頃おじさんになってるんだろうけど)
夢見がちな自分に苦笑していたら、前を歩いていたコンラッドが立ち止まった。
「さて、着きましたよ」
ミゼリアは懐かしい思い出から意識を引き戻す。
目の前には、コンラッドの身長よりも遙かに高い重厚な扉があった。
「この先に私の主がいらっしゃいます」
今さらながら、これから会う人物に緊張する。
コンラッドの口から誰なのか明確には伝えられていないものの、あの妙な間は王族だと物語っている気がしてならない。
ミゼリアは襟を正して入室した。
「例の者を連れて参りました」
通された部屋は応接室のようだった。
天井中央に備え付けられた煌びやかな灯りの下には、ベルベットのソファとローズウッドのローテーブルが置かれている。
ソファには、青年が優雅に脚を組んで座っていた。
その姿を捉えた瞬間、ミゼリアは思わず口元に手をやる。
「あなたは……」
心臓がドキン、と大きく跳ねたかと思うと、これまで感じたことのない速度で鼓動が加速していく。
(嘘、本当にあの人なの?)
忘れもしない。目の前に座っているのは、迷子になったミゼリアを助けてくれたあの時の青年だ。
「ミゼリアさん、こちらは私の主のリシュアス様です」
隣にいるコンラッドがリシュアスを手で示して紹介してくれる。
リシュアスという名前にどこか聞き覚えがあるが、そんなことはどうだっていい。
恩人との再会に、ミゼリアは瞳を輝かせて深く感銘を受ける。
(まさか、こんな形で再会するなんて思いもしなかった。彼はどういう人なの? 王宮にいるってことはやっぱり王族?)
ミゼリアの記憶が正しければ、ロエウルム王国の現王族にリシュアスという名前の王子はいない。
現君主は中老を迎えたエリス女王で、息子の王太子は三十路、その息子は十歳だ。王太子には姉と妹がいるが、彼女らは既に嫁いでしまっている。
目の前のリシュアスは二十代前半の見た目で、王太子の年齢とは離れていた。
(王族じゃないなら、彼らに仕える重鎮とか? ああもう、頭の処理が追いつかない。ドキドキする。どうしよう!!)
ミゼリアは顔が熱くなるのを感じながら、必死に平静を装っていた。
すると、コンラッドが小さく咳払いをする。
早く自己紹介しろと催促しているようだった。
「どうしたんだい? もしかして緊張しているのかな?」
リシュアスは朗らかな笑みを浮かべて話しかけてくる。
「遠いところから呼び寄せてすまないね。長旅で疲れているだろうから、まずは座ってくれ。私はおまえと話がしたいんだ」
その王子様然としたきらきらしい笑顔に、ミゼリアの心臓がギュンっと鷲掴みされた。
(リシュアス様が格好いいっ!)
思わず「はううっ」と変な声を上げそうになるのを耐える。そして、暴れ回る心臓を服の上から押さえた。
「失礼します」
ミゼリアはおずおずとソファに腰を下ろした。
「本当は私の方から出向くべきなんだが、王宮を離れられなくて。わざわざ来てもらって感謝しているよ」
きらきらしい笑顔から一転してしゅんとした表情へ変化する。
大の大人がしょんぼりとしているだけなのに、リシュアスの憂えのある表情は見ていると庇護欲を掻き立てられる。
彼の表情を曇らせてはいけない。そんな使命感のようなものが心に湧く。
「問題ありません。コンラッド卿から私の力が必要だと聞いています。けど、私の魔女の力が本当に必要なんですか?」
ミゼリアが尋ねると、リシュアスは大きく頷いた。
「もちろんだとも。私には『解呪の魔女』であるおまえの力が必要だ」
「因みになんですけど、なんで私の祝福を知ってるんですか?」
魔法使いや魔女は魔法師と違って免許制度がないので登録機関が存在せず、どんな力を持っているかも分からない。
また、祝福を受けた際に神の声が頭に響くだけで、どんな力を授かったのかは本人たちも力の使い方が不十分なので分からないことが多い。
もし分からない場合は、力を解放するか同じ魔法使いや魔女にどんな力が備わったのか手を握ってもらい、魔力を通して鑑定してもらうのが通例だ。
ミゼリアが力を授かった当初、自分の祝福が何なのかバーバラに診てもらった。
解呪はその名の通り、呪われた品を解除できる力だ。
魔王はいなくなったが、彼の魔力を帯びた書物や宝石などの遺物はこの世にいくつか存在する。そのほとんどは教会が回収して、封印してしまった。
したがって、今さら神から祝福されたところでこの力に使い道はない。
ミゼリアは自分の力を誰かに明かしたことは一度もなかった。
すると、リシュアスが懐から一通の手紙を指に挟んで取り出した。それをローテーブルに置いてくる。
「生前のバーバラから手紙をもらっていたんだ」
手紙の筆跡を確認すると、それは間違いなくバーバラのものだった。
「リシュアス様は先生と文通していたんですか?」
「いや、やり取りしていたのは私ではなくエリスの方だ。これはエリスから借りた」
ミゼリアはきょとんとした表情を浮かべる。
エリスとは、まさか女王陛下を指しているのだろうか。
「えーっと。いくらなんでも陛下を呼び捨てにするのは不敬に当たりますよ?」
しかもここは彼女が住まう王宮だ。室内にいるのは自分とコンラッドだけだが、誰がどこで聞いているかも分からない。迂闊な発言は控えた方がいいと思う。
ミゼリアが窘めると、リシュアスが苦い笑みを浮かべた。
「バーバラから私の話を聞いていると思ったんだが。どうやら違うみたいだな」
「誰かなんて分かってますよ。あなたは私のはつ……」
初恋と最後まで言いそうになって、ミゼリアは慌てて口元を押さえた。
「はつ?」
「何でもないです」
危ない危ない。うっかり告白してしまうところだった。
リシュアスは幼いミゼリアを助けてくれた恩人で、会ったのは今日を入れて二回目。
本人は迷子のミゼリアを助けたことなんて覚えていないだろうし、今回が初対面だと思っている可能性が高い。
それに昔のミゼリアはまだ五歳の小さな女の子だったから。今のミゼリアとは結びつかないだろう。
(あれ? そういえば、リシュアス様って昔のままの見た目じゃない? 初めて会った時から十年以上経ってるのに変わってなさ過ぎる)
いくら見た目が若いにしても、どこかしらで老いは感じるはずだ。
しかし、リシュアスから老いはまったく感じられない。
そんな疑念に差し当たって、ミゼリアの頭の中にはもう一つの疑念が浮上した。




