第4話
ミゼリアは素っ頓狂な声を上げてこめかみから手を離した。
王都までは馬車で数日かかるし、その間お店を閉めるとなると売り上げが減ってしまう。
クロロの森やこの家を守るためには、銅貨一枚でも多く稼がなくてはいけない。店を空ける暇など今のミゼリアにはなかった。
しかし、断るよりも先にコンラッドが勝手に支度を始める。
「雪道のせいでここに来るまで苦労しました。併せてオーベル領は主要道路が使えないので迂回もしなくてはいけません。途中で特急列車を使いますが、出発時刻に間に合わせるには急がないと。はい、これを持って」
コンラッドは目にもとまらぬ速さで暖炉の火の始末をし、玄関近くの上着掛けからミゼリアの外套を取ると押しつけてくる。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってください」
「待っている時間はありません。天気のこともありますしすぐに出発します。吹雪かれたら鉄道も動かなくなって、今日中に王都に辿り着けなくなりますからね」
外で控えている筋骨隆々な騎士と比べ、線が細いコンラッドは力がなさそうに見える。
それなのにどこにそんな力があるのか強い力でミゼリアの背中をぐいぐいと押してきた。
無理矢理外へ押し出されると、先ほどまではなかった二頭立ての箱馬車が停車している。
どうやら、騎士が準備したらしい。
「特急列車に間に合うようすぐに馬を出してください。急ぎで席を取ったので二等車両になりますが、そこは我慢してくださいね」
コンラッドが指示を出すと、騎士たちが動き始める。
「いや待って。私は行かな……」
「はい、ミゼリアさんは乗ってくださいね」
ミゼリアがまごついている間に、またまたコンラッドが強い力で箱馬車に乗るよう背中を押してくる。
こうしてミゼリアを強引に乗せた馬車は、そのまま速やかに出発した。
王都には、夜の帳が下りる頃に到着した。雪が吹雪けば足止めを食らって今日中には辿り着けなかっただろう。
天候に恵まれ、鉄道という文明の利器には感謝するが、問題はコンラッドに連れて来られた場所だった。
馬車から降りたミゼリアは、口を半開きにして立ち尽くす。
「あのう、どうして私が王宮なんかに?」
てっきり、貴族の邸宅へ連れて行かれると思っていたので、これはまさかの展開だ。
目の前には壮麗な王宮が広がっている。
「おや? 王宮に連れて行くと申し上げませんでしたっけ?」
「はい、一言も言ってませんね」
嘯くコンラッドに、ミゼリアが渋面になる。
王宮に連れてこられたとなれば、彼が会わせたい相手が誰かなんて自ずと答えは出てしまう。
(いや、まだ王族かどうか分からないよ。王宮で寝起きしている家臣だっているんだし)
自分に言い聞かせてみるものの、不安ばかりが募っていく。
ただの平民である自分が国の君主である王族と面会するなんて畏れ多すぎる。
ミゼリアはオーベル子爵家を前にしても緊張はしない。彼らは気さくだし、こちらが粗忽な態度を取っても目を瞑ってくれるからだ。
しかし、礼節を重んじる王族や貴族は違う。ミゼリアの態度を不快に感じ、無礼だと非難するだろう。緊張感が一気に高まる。
「確認しておきたいんですけど、コンラッド卿の主って王族じゃありませんよね?」
「……」
「何ですかその妙な間と笑みは!?」
コンラッドはただ微笑むだけで答えてはくれない。
「じきに分かりますよ。焦らないでください」
コンラッドは話を切り上げて先に歩き出した。その背中を恨めしそうに見つめながらミゼリアも歩く。
駅から馬車で街灯の整備が進んでいる王都の中を走ってきたが、王宮内は一際明るく昼間のように感じられた。
二百年前に建てられた旧王宮を中心に、歴代の君主が増改築を繰り返したため、敷地内には王室礼拝堂や宮廷オペラ劇場、図書館といった様々な施設群が集まっている。
まるで一つの都市のようだ。
「……昔と変わらず、煌びやかで広大な場所ね」
「おや、ミゼリアさんは王宮に来たことがあったのですか?」
独りごちたはずなのに、聞かれてしまったらしい。
コンラッドが肩越しに意外そうな顔で見つめてくる。
ミゼリアは質問に答えた。
「昔、何度か先生に連れられて来たことがあります。幼かったのですぐに足がくたくたになりました」
「これだけ広いと大人の足でも疲れますよ。ところで、バーバラ殿を先生と呼ばれていますが、あなたのお祖母様なのでは?」
「確かに祖母ですけど、私に薬師の知識を叩き込んでくれたので先生って呼んでます」
バーバラは祖母でいるよりも薬師としての顔が長かったため、気づいたら『おばあちゃん』呼びから『先生』呼びになっていた。
(あ、でも王宮へ一緒に来た時はまだおばあちゃん呼びだったっけ)
あれは今から十三年前、ミゼリアが五歳の時。
ミゼリアはバーバラと一緒に王宮を訪れていた。詳しい理由は思い出せないが、バーバラが大事な用事だと言っていたのは覚えている。
(初めてここに来た時、私は先生とはぐれて迷子になってしまったんだよね)
ミゼリアは遠くを見るような眼差しで過去を振り返る。
絶対離れないでと言われていたのに、丁寧に刈り込まれた左右対称の綺麗な庭園を眺めていたら、うっかりはぐれてしまった。
ミゼリアは急いでバーバラと合流しようと王宮内を歩き回った。しかし、どれだけ歩き回ってもバーバラの姿は見当たらない。
それどころか、どんどんすれ違う人間が減っていく。
彼女と一緒に歩いていた時は、何人もの衛兵や貴族とすれ違ったのに、はぐれてからは誰とも遭遇しなかった。
このままバーバラに会えなかったらどうしよう。
次第に心細くなってきて、ミゼリアは歩みを止めてとうとう泣き出してしまった。
すると、ミゼリアの頭に誰かの温かな手がポンと置かれる。びっくりして顔を上げると、目の前に青年が立っていた。
太陽のように眩しく長い金髪は三つ編みにしていて、アーモンドの形をしたすみれ色の目は長い睫毛に取り囲まれている。鼻筋は通り、薄い唇が何か言おうとぱくぱくと動いていた。
子供ながらにミゼリアはその綺麗な人に見とれ、心臓がドキドキと高鳴った。
吸い込まれるようなすみれ色の瞳に目が逸らせない。
すると、青年がミゼリアと同じ目線になるようにしゃがんでくれる。指の腹でミゼリアの目尻についた涙を払ってくれた。
その優しい手つきに、より一層心臓がキュウッと音を立てて苦しくなる。
『こんなところで何をしているんだい?』
青年に尋ねられたミゼリアは事情を説明した。
すると、親切にも彼はミゼリアと手を繋いで衛兵所まで送ってくれた。
衛兵所にはミゼリアを探すバーバラの姿があり、無事に合流ができた。
みっちり叱られた後、ミゼリアは青年にお礼を伝えようと振り返る。
ところが、いくら辺りを見回しても彼の姿はどこにもなかった。
お礼を言えずしょんぼりと肩を落としていたら、バーバラが励ましてくれる。
『いずれまた会えるわ。その時にお礼を言いなさい』
それからミゼリアはバーバラともう一度王宮を訪れたが、結局彼とは二度と会えないまま終わってしまった。




