第3話
ミゼリアの空色の瞳に、少年の姿が映る。
真っ赤な手袋をつけた両手を上下に大きく動かしながら、元気に駆けてくる。
「おーい、ミゼリア!」
すっと目を細めたミゼリアは、腰を折って挨拶した。
「おはようございます。ロイド坊ちゃま」
彼はオーベル子爵の一人息子のロイドだ。子爵一家は領民との距離が近く、誰とも分け隔てなく接してくれる。
特にロイドは人懐っこい性格で、普段から屋敷の外に出て領民の子供と遊んだり、村のお年寄りと話をしたりと活発だ。
(またヘレナお婆さんのお使いかしら?)
ヘレナお婆さんとはロイドの屋敷で働いている庭師で、ヨモギ茶を買いに来る常連だ。
ヨモギ茶には血行を促進し、冷え性を改善して緩和する効果がある。
特にクロロの森に生えているヨモギは効能が高いので、領民たちの間で人気だ。
ミゼリアは、毎年新芽の時期になると必ず収穫して乾燥させている。
薬草の女王と言われているだけあって冷え性だけでなく、浄血作用や貧血予防など諸病を治すとして有名だ。さらに、乾燥ヨモギはお茶にして飲むだけでなく、防虫予防にもなるので使い道は多岐にわたる。
(でも変ね。お茶を買いに来たのは三日前よ。多めに渡してあるのにもう来るなんておかしい。もしかして、他にどこか具合が悪いのかな?)
ヘレナお婆さんは以前に腰を痛めたことがあった。庭師は中腰や前屈みでの作業が多いので腰を痛めやすい。
(腰痛ならラベンダーかジュニパーの湿布を用意してあげないと)
ミゼリアが頭の中で湿布作りの段取りを組んでいたら、ロイドから少し離れたところに、見知らぬ二十代半ばの青年がついてきていることに気づいた。
紅茶色の髪に緑の瞳をした細身の青年は、田舎には似合わない小洒落た出で立ちをしていた。頭にはシルクハットを被り、上質で温かそうな黒のコートを着ている。手には手袋、耳には耳当て。首には狐の毛皮の襟巻きという徹底ぶりだ。
さらにその後ろには、騎士服に身を包んだ屈強な男たちが二人いた。
(今日はいつもと違うお客さんばかりね)
ミゼリアは彼が普通の客ではないと瞬時に判断した。
庶民とは違い、上流階級が訪ねてくるのはたいてい霊薬目当てだ。
恐らく、先ほど来店した令嬢のようにバーバラの霊薬を求めてここまで来たのだろう。
(もう先生はいないから霊薬は提供できない。だけど、普通の薬なら私にだって調合できる)
ミゼリアは、薪棚から薪を二本取って小脇に抱えると、身なりを整えて笑顔で出迎えた。
「クロロ薬草店へようこそいらっしゃいました。ロイド坊ちゃま、こちらの人は?」
「王都から来られたお客様、ベルダース伯爵だよ。ミゼリアに用があるっていうから、お店まで案内したんだ」
「私にですか?」
意外だったので困惑してしまう。
てっきりバーバラの霊薬目当てだと思っていたのに。自分に用事とはなんだろう。
「わざわざ案内していただき、ありがとうございました。あとは大丈夫ですので、屋敷にお戻りください」
ベルダース伯爵は柔和な微笑みを浮かべてポケットから取り出した何かをロイドに手渡す。それは紙に包まれたキャンディだった。
「これは案内のお礼です。あとでこっそり食べてくださいね」
「わあ、ありがとう!」
ロイドはもらったキャンディを大事そうにポケットにしまう。
それから満面の笑みを浮かべると、「じゃあね」と言って帰っていった。
ミゼリアはロイドを見送った後、用件を尋ねた。
「今日はどういったお薬をお求めでしょうか? 問診をさせていただきますので、どうぞ中へ入ってください」
ミゼリアは扉を開いて中に入るよう手で示す。
ベルダース伯爵は後ろに控えている騎士たちに外で待っているよう目配せをした後、店内に足を踏み入れた。
ミゼリアは消えていた暖炉に薪を入れて火を熾す。
その間にベルダース伯爵はシルクハットの帽子を脱ぎ、室内をぐるりと見回した。
「こぢんまりとした素敵なお店ですね」
「ありがとうございます。どうぞ、あちらにお掛けください」
ミゼリアは応接スペースの椅子へ案内する。しかし、ベルダース伯爵は椅子に座るどころか貴族らしい優雅な所作でお辞儀をしてきた。
「改めてご挨拶を。私はコンラッド・ベルダースと申します。以後お見知りおきを」
平民であるミゼリアは、こういった形式的な挨拶に慣れ親しんでいない。
とはいえ、貴族と関わる機会があるだろうからとオーベル子爵夫人から挨拶の仕方を教わっていた。使う頻度はそう多くないが、いざという時に役に立っている。
ミゼリアはスカートの裾を持って恭しく挨拶をした。
「私はクロロ薬草店の店主、ミゼリア・エリントンです。どうぞ、おかけください」
ミゼリアはもう一度椅子に座るよう促すが、コンラッドはそのまま話を切り出してきた。
「今日はさる高貴なお方のために王都より来ました。ミゼリアさん、どうか力を貸してください」
力を貸して欲しいということはやはり霊薬だろうか。わざわざこんな田舎の薬師を訪ねて来なくとも、王都なら腕の良い医者や薬師が数多く存在するはずだから。
どうやらこの人もバーバラの霊薬を求めているようだ。
(申し訳ないけど、私に作れるのは薬師としての薬だけ。霊薬は作れないよ)
できることならバーバラの代わりに力になってあげたいが、それはできない。
ミゼリアは眉尻を下げて謝罪した。
「すみません、私に霊薬は作れません。それができるのは私の師匠である先生だけなんです。でも先生は……」
そこまで言うとコンラッドが手で制してきた。
「皆まで言わなくて結構です。霊薬の魔女、バーバラ・エリントンが半年ほど前に亡くなったという情報はこちらも掴んでいます」
「えっ!?」
ミゼリアは目を見張った。バーバラの死後、何人もの人が霊薬を買い求めに来た。
その度に彼女が亡くなった旨を伝え、霊薬が提供できないことを謝罪していたのだ。
(どうしてこの人は知ってるんだろう?)
困惑しているミゼリアに、コンラッドが真摯な眼差しを向けてくる。
「私の主はあなたの魔女の力を必要としています」
「私の? だけど、私の魔女の力は……」
ミゼリアは言葉を詰まらせる。
同時にこめかみの辺りがズキズキと痛んだ。堪らず指で押さえる。
「詳しい話は主と直々にお願いします。というわけで、今から私と一緒に王都にお越しください」
「えっ!? 今から王都にですか?」




