第2話
雪が降り積もる冬枯れの季節。
ロエウルム王国東部に位置するオーベル領には、クロロという名の森がある。
森の入り口には茅葺き屋根の小さな家があり、玄関扉の上には『クロロ薬草店』という看板がかけられていた。
店内は薬草独特の香りに包まれていて、天井からは乾燥された薬草が吊されている。
棚一面には、瓶詰めされた薬がびっしりと並んでいて、それぞれにどんな効能があるのかラベルが貼られて分かるようになっていた。
店の奥にはカウンターがあり、後ろの棚には秤や小瓶、紙袋といった販売に必要な道具と備品が置かれている。
その手前には商談ができるちょっとした応接スペースが設けられていた。
このこぢんまりした店内には現在、華やかな身なりをした令嬢がいる。カウンター越しに立っているミゼリアに対し、令嬢は柳眉を逆立てていた。
「わざわざ足を運んだっていうのに、薬が作れないってどういうこと? あの人の愛を手に入れるためには、愛の霊薬が必要なのよ!」
令嬢がバンッとカウンターを叩いて身を乗り出し、凄んでくる。
ミゼリアは山吹色の髪を揺らし、両手を軽く上げた。そして再度、事情を説明する。
「ですから、薬を作れる魔女が数ヶ月前に身罷りまして。霊薬は用意できないんです」
「あなたも魔女なら同じように作ればいいのよ。うちは貴族じゃないけど、商家だからお金ならあるの。報酬はたっぷりと弾むわ」
令嬢は小さなカバンから一枚の小切手を取り出し、大金をちらつかせてくる。
思わずごくりと生唾を飲むミゼリアだったが、すぐに頭を振って自制した。
「私はただの薬師です。仮に魔女だとしても、先生のような霊薬は作れません。ご存じの通り、神の祝福に同じ力は存在しないので」
この世界には呪文を詠唱して意のままに風を操ったり、水を出したりできる人間がいる。
彼らは魔法師と呼ばれていて、どの国でも重宝されている。その理由はすべての人間に魔力があったとしても、魔法を扱えるわけではないからだ。
通常、魔法が使えるのは豊富な魔力を持っている者に限られている。そのほとんどが貴族の子供で彼らは魔法学校へ入学し、技能や知識を学んで研鑽を積み、魔法師としての免許を取得するのが通例だ。
しかし、生まれながらに豊富な魔力が備わっていなくとも、突如として不思議な力を扱える者が存在する。
それが、神から祝福されて力を与えられた者たち――魔法使いや魔女といった存在だ。
魔法使いや魔女はある日突然、不思議な力に目覚める。
もともと、この祝福は魔王を討伐するために神が人間に与えたものだった。
今から七百年前、魔王は魔物を従えて勢力を伸ばし、この世界を蹂躙していた。
どれだけ優れた魔法師や剣士がいようと、人間よりも圧倒的な力を誇る魔王には歯が立たなかった。毎日至る所で殺戮が繰り返され、尊い命が犠牲になっていく。
世界の人口は激減し、この世界を見守っていた神は遂に介入を決意した。
それは魔力のない人間に力を与え、魔王に対向できる新たな勢力を生み出すこと。
これによって魔法使いや魔女が数多く輩出され、三百年前に形勢が逆転した。
世界各地から集まった選りすぐりの剣士や魔法師、魔法使いと魔女たち――中でも最も活躍した四人の英雄によって、とうとう魔王は倒されたのだ。
泰平の世になって以降は、神の祝福を受ける者の数は年を経るごとに減っていった。今では魔法師よりも魔法使いと魔女は稀有な存在となっている。
ミゼリアが先生と呼んでいるバーバラは、神の祝福を受けた『霊薬の魔女』だった。
どんな不治の病も彼女の霊薬があれば瞬く間に完治する。
しかし、バーバラにも作れないものがあった。その一つが精神操作系だ。
(先生は精神状態の異常をもとに戻す霊薬は作れるけど……どこかで話がねじ曲がって好きな人の愛を得られる霊薬が作れるって内容に変わったのね)
バーバラが作れるのは人々の心や身体を癒やすものだけ。したがって、この令嬢が求めているような霊薬は、仮に彼女が生きていたとしても提供できない。
ミゼリアは手のひらサイズの缶を令嬢の前に置いた。
「代わりといっては何ですが、私が作った特製ハーブティーなどいかがですか? リラックス効果があるので好きな相手の前でも緊張することなくお話しでき……」
「そんなもの、こんな冴えない店じゃなくても王都でいくらでも買えるわよ。っていうか、うちの商会に言えばもっと良いものだって国内外で買えるんだから!!」
怒り狂った令嬢はそのまま踵を返して帰っていった。
乱暴に扉が閉められ、扉につけられていたベルが激しく揺れる。
ミゼリアはふうっと小さく息を吐いてカウンターに突っ伏した。
外からはぶつくさと不平不満を漏らす令嬢の声がまだ聞こえてくる。
次第に遠のいて聞こえなくなると、ミゼリアは顔を上げて叫んだ。
「私だって……私だって大金が欲しかったよ!!」
ミゼリアは令嬢が小切手に書いていた額を思い出す。
あれだけの金額があれば、クロロの森を守る費用に充てられるかもしれない。
現在、クロロの森を所有するオーベル子爵は、この森を手放すかどうかの瀬戸際に立っている。
その理由は、今夏の大雨によって河川が氾濫し、主要道路が使えなくなってしまったからだ。
在地差配人の話によれば、オーベル子爵は道路を復旧させようと動いてくれている。しかし、猫の額ほどしかないこの領は収入源が少ない上、主要都市とも繋がっていないので国からの支援も後回しにされていて、財源確保が難しいという。
そこに声をかけてきたのが隣領のリント伯爵だ。
リント伯爵はクロロの森を高値で買おうと意欲的な姿勢を見せている。これはオーベル子爵を助けたいからではなく、この森を手に入れてリゾートホテルを開発するためだと言われていた。
自然豊かなこの森を破壊されることに抵抗があるオーベル子爵は、どれだけ大金を積まれても突っぱねている。しかし、それも時間の問題だ。
次の夏までに主要道路を整備して復旧させないといけない。再び大雨に見舞われたら、さらなる被害が出てしまうからだ。ある一定の所で、決断を下さなくてはいけない。
そして、クロロの森がリント伯爵の手に渡ればミゼリアは立ち退かなくてはいけない。この家だって失ってしまう。
「先生との思い出が詰まった家を失うのも、自然豊かな森を失うのも絶対嫌。なんとかしてお金を稼いで阻止しないと」
ここ一帯が更地になるところを想像して、身体がぶるりと震える。
暖炉に目をやれば、いつの間にか火が消えていた。どうりで寒いわけだ。
ミゼリアは椅子にかけてあった厚手のショールを羽織り、外に備え付けられている薪棚へ薪を取りに行く。
扉を開ければ、冷たい風が容赦なく吹きつけてきて体温を奪った。
「ううっ、寒い」
扉を閉めて冷たくなった指先にはあっと息を吐く。今日は昨日よりも寒さが厳しい。
手を擦りあわせてから歩いていると、遠くから声がした。




