第30話
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離宮から逃げるように出てきたミゼリアは、宿舎の自室に駆け込んでいた。
明かりもつけず、ベッドに突っ伏して涙を流す。
側にあった枕を取ると、顔を押さえて声を上げた。叫ばないとどうにかなってしまいそうだった。
記憶を取り戻せば、長年不老不死に苦しんできたリシュアスを解放できる。活躍の場がなかった解呪の力を発揮できる。
すべてはうまくいく。――そう信じていたのに。
思い描いていた未来とは大きく異なり、抱いていた希望が粉々に砕け散ってしまった。
(私が先生を殺した。……命を奪う致死の力なんて、人殺しと一緒だよ)
病気で苦しんでいたとはいえ、バーバラを手にかけてしまった。
これなら記憶を思い出せないままの方が何倍もマシだった。
そこまで考えて自嘲気味に笑う。
(馬鹿ね。先生が精神操作系の薬は一時的だって言ってたじゃない。それが今回じゃなくてもいつかはその効果は切れて全部思い出してた。私はただ問題を先延ばしにしただけ)
しかし、あの時はああするしかなかったと記憶を思い出した今でも思う。
何故なら、バーバラを失った悲しみや致死の魔女である絶望に打ちひしがれて心が限界に達していたから。自分の力に向き合わなければいけないと頭の中で理解していても、藁にも縋る思いで忘却薬を仰いだ。
そして、今はそのツケを払わされている。
ミゼリアは最悪な形で記憶を思い出してしまった。
リシュアスから呪いが解けた後も一緒にいたいと言われて舞い上がった。
彼の顔が近づいてきた時には心臓の鼓動が激しすぎて止まってしまうんじゃないかと心配になるほどだった。それと同時に、幸せが身体中を駆け巡った。
しかし、次の瞬間には奈落の底へと突き落とされる。
忘却していたすべての記憶を取り戻し、自分の過去と魔女の力について向き合わされてしまったのだ。
ミゼリアの脳裏には、ショックを受けたリシュアスの顔が焼きついて離れない。
(リシュアス様があんな顔をするのは当然だよね。だって、呪いが解けると期待して待ってくれていたのに、蓋を開けてみたら私は死しか与えられない魔女だったんだもん)
常日頃からリシュアスは普通の人と同じように人生を全うしたいと言っていた。こんな形での終わり方は彼の願いとはかけ離れている。
(それに私は、致死の力なんてもう二度と使いたくない。誰かを殺すなんて絶対嫌!)
バーバラに力を使った時のことを思い出すだけで恐怖で身体が震える。いくら魔女の力だとしても、やはり自分の致死の力は凶器で命を奪った人殺しとなんら変わらない。
ミゼリアは目を閉じると嘆息を漏らした。
未だに瞳からは涙が流れ続けている。
「考えるのは一度辞めた方がいいかも。このままだと抜け出せなくなる。それに、今はするべきことをしないと」
解呪の魔女でないならこれ以上、リシュアスの側にいる資格はない。
秘密保持契約を交わしているせいで勝手に退宮できないが、申し出ればすんなり許可してくれるはずだ。
手の甲で涙を拭って立ち上がったミゼリアは、暗がりの中で荷物をまとめる。
オーベル領から着の身着のままでやってきたため、まとめる荷物はほとんどなかった。
次に、机の上に置いていた鍵を手に取る。
これはバトス室長から借りた所蔵庫の鍵だ。
「鍵を返しに行かないと。これはもう必要ないものだから」
ミゼリアは鍵を掴むと洗面の前に立つ。
鏡には泣き腫らした情けない自分が顔を覗かせていた。これからバトス室長のところへ行くというのに酷い顔だ。
泣いたことが気取られないよう、顔を洗う。それから山吹色の髪をまとめ、黒のリボンで結んだ。
過呼吸になって倒れた際、デボラが手厚く介抱してくれたのだろう。まとめていた髪は解かれ、薄く施されていたメイクは落とされている。
耳につけていたアメジストのピアスも外されていた。
服は白の寝間着だったのでいつのも水色のお仕着せに着替えた。
「夜だから少し腫れていても分からないよね」
まだ少しだけ目の周りが赤くなっているものの、これから会うのはバトス室長だ。
豪放な性格なので気づかないと思う。
ミゼリアは所蔵庫の鍵をポケットにしまうと、室長室へ向かった。
室長室は当然王室薬局の白い建物の中にある。
ミゼリアは宿舎を出て舗装された小径を歩いた。
オレンジ色の街灯が等間隔に設置されているので夜に出歩いても困らない。
ミゼリアが白い建物に辿り着くと、丁度エントランスホールからバトス室長が出てきた。
向こうはこちらの存在に気づいて喫驚している。
「エリントン君? 倒れたっていう連絡を受けたけど、体調はもう大丈夫か? それにこんな夜遅くにどうしたんだい?」
夜遅くと言われてミゼリアは空を仰いた。
雲一つない夜空には半月が高い位置で輝いている。
時計を見ていなかったので、ミゼリアは月の位置で時間を確認した。出歩くにはとうに遅い時間になっていた。
ミゼリアは慌ててお詫びする。
「夜分遅くにすみません。実は所蔵庫の鍵を返しに来ました」
ミゼリアは鍵を返却する。受け取ったバトス室長は眉を上げた。
「もしかして、記憶を思い出したのかい?」
「おかげさまで。なのでもうこの鍵は必要ありません。個人的なことなのに、快く貸してくださってありがとうございました」
感謝を伝えるミゼリアは改めて頭を下げる。
「そうか、遂に思い出したのか。……忘れたままでいてくれた方がこっちは都合が良かったのに」
語尾になるにつれて、バトス室長の声のトーンが低くなる。
「えっ?」
予想とは違う反応にミゼリアは困惑した。
記憶喪失の相談に乗ってくれていたので、てっきり祝ってくれると思っていたのに。
ミゼリアの考えとは裏腹に、バトス室長からは剣呑な空気が伝わってくる。
恐る恐る顔を上げたミゼリアは声を呑んだ。
バトス室長が不愉快そうに顔を歪めていたのだ。
深いため息を吐き、側頭部をがりがりと掻く。
「はあ、困るよエリントン君。僕が君のことを高く評価していたのを知ってるだろう? まさかこんな形で失望させられるなんてね」
バトス室長が側頭部から手を下ろして無表情になる。その目には殺気が籠もっていた。
「記憶を思い出したなら、殺されても文句は言えないな。だって、君の存在自体が僕の計画の大きな障害になるんだから。――ね、致死の魔女さん」
「っ!?」
今のは聞き間違いだろうか。
驚いて目を見開いていたら、口もとにハンカチを当てられる。
しまった、と気づいた時にはもう遅かった。
このハンカチは眠気を誘う薬が染みこんでいる。
抵抗する間もなく、ミゼリアの意識は強制的にプツンと途切れた。




