第27話
バーバラがいつものようにミゼリアを連れてクロロの森へ薬草摘みに出かけると、動物の悲痛な鳴き声が聞こえてきた。
声を頼りに近づくと、崖下には馬が倒れて動けなくなっている。
数日前に村で子爵の馬が逃げ出した話を聞いていたので、バーバラはすぐに分かった。
崖を下りて馬の様子を窺うと骨片が皮膚を突き破ってしまっていた。
馬は三肢では身体を支えられない生き物だ。
怪我をした脚が治るまでに健康な足にも負荷がかかる。そうなると蹄が炎症を起こしてしまい、さらに症状が進行すると最悪の場合は蹄が壊死して激しい痛みを伴うのだ。
その馬の様子を見るに、炎症を起こして苦痛に耐えているようだった。また、衰弱し始めているのか元気もない。
最終的な判断は子爵が下すだろうが、この馬は予後不良として殺されるだろう。
バーバラが胸を痛めていたら、隣に立っていたミゼリアがおもむろに馬に近づく。
馬の頭の前で膝をつくと、額に口づけをした。
バーバラは何が起きたのか分からなかった。
何故ならミゼリアが口づけをした途端、馬が微動だにしなくなったからだ。
バーバラが近づくと馬の瞳からは既に光が消えていた。
しかし、表情だけは穏やかだった。
念のため息をしているか確かめるが、馬は既に絶命していた。
恐ろしくなったバーバラはミゼリアの手を取り、己の魔力を通す。
この時、初めてミゼリアに神の祝福が授けられていると知った。
どうやらミゼリアの祝福である致死は、対象とする相手に安らかな死を与えられるようだ。その発動条件は、魔力に意識を集中させて対象物に口づけをすること。
しかし、致死の魔法を使ったミゼリアはまだ六歳とあまりにも幼すぎた。
善悪が完全についていない子供にどうやって生死を説明すべきか。バーバラは懊悩する。
すると突然、ミゼリアが慟哭した。馬の死に接して、自分の力がどれほど残酷なものなのかを理解したのだろう。しばらく泣き叫んだかと思うと、張り詰めていた糸が切れたのか突然意識を失い、次に目を覚ました時には何も覚えていなかった。
バーバラは悟った。
ミゼリアはそのショックから自身で記憶を封印し、なかったことにしたのだと。
それ以降、何かの拍子で致死の力を思い出さないようにするため、バーバラは解呪の魔女だと嘘を吐いた。
事実を知らされたミゼリアは顔色を失った。
『どうして今さら本当のことを教えるの? ずっとこのまま黙ってくれていたら良かったのに!』
非難しながらも、バーバラが何を求めているのかミゼリアは見抜いていた。
彼女は余命僅かで、毎日様々な種類の薬を飲んで苦痛に耐えている。
『ミゼリア、私はもう薬は飲まない。飲んだところで身体の痛みも苦しみも消えない。それよりもあなたの力で私の残りの時間を有意義なものにして欲しいわ』
『……そんなの、嫌だよ』
ミゼリアは俯くと、震える拳をきつく握る。
しかし、ミゼリアも自分の薬師の腕ではここまでだと頭のどこかで分かっていた。
医者に言われた通り様々な薬をバーバラに飲ませた。それでも彼女の顔から苦しみが消えることはなかった。
何よりも本人が限界だと言っている。
こちらが拒絶したところで、バーバラから苦痛はなくならないのだ。
彼女の最後の頼みをミゼリアは受け入れるしかない。
目に堪った涙を服の袖で拭った後、ミゼリアは覚悟を決める。
体内に流れる魔力に意識を向け、バーバラの額に唇を落とした。
徐々に、バーバラの表情から苦痛の色が和らいでいく。
『ありがとう』
お礼を言われてもまったく嬉しくなかった。
理由はどうであれ、大事なバーバラに手をかけたのは他でもない自分だ。
これは倫理に反している。刃物で人を殺すのと祝福の力で命を終わらせるのでは、一体何が違うのか。方法が違っていても結果は同じじゃないか。
ミゼリアは自分の手が血塗られているような錯覚を覚える。全身が恐怖で戦慄く。
『こんな力を神様から与えられたって嬉しくない』
『祝福すべてが素晴らしいとは言わないわ。だけど、あなたにその力が与えられたのには意味があるの。その力で……』
『意味なんてあるわけないよ! 気安めな言葉なんかかけないで!!』
『……』
寝室にミゼリアの嗚咽を漏らす声が響く。
バーバラはサイドテーブルの引き出しから瓶を取り出した。
それは霊薬用に使っている特別な瓶だった。
バーバラはサイドテーブルの上に瓶を置く。
『これは私が作った忘却薬よ。あなたにあげる。私がいなくなった後、どうしても心が耐えられなくなったら飲みなさい。苦しみからあなたを解放してくれるわ』
ミゼリアは縋るように瓶を手に取る。すかさずバーバラが忠告をする。
『ただし、この薬が精神操作系だということを忘れないで。薬の効果は一時的。長くても半年しか持たない。そしてこれだけは忘れないで。あなたの祝福を待ってる人が存在するってことを』
鼻を鳴らすミゼリアは、頷くと手で涙を拭う。
バーバラが亡くなったのはそれからしばらく経ってからだった。
葬儀の日は朝から曇天が広がっていた。バーバラと最後の別れを終えると同時に雨が降り始め、ミゼリアは傘も差さずに家路につく。
子爵一家や領民に慕われていたので、葬儀には大勢の人が参加してくれた。喪主を務めたミゼリアは周りに涙を見せることなく気丈に振る舞った。
店の中に入り、ようやく一人になったミゼリアは、全身が濡れているのも気にせずに自身を抱き締めて絶叫した。
『あ、ああああっ!!』
そのまま床に膝をついて蹲る。瞳からこぼれ落ちた涙が床を濡らした。
大事な家族を殺した自分が恐ろしくて堪らない。
この数日間、バーバラの葬儀を無事に終えなければという意思のもとで頑張ってきたが、正気を保ったままでいるのは至難の業だった。
バーバラには望まれて致死の力を使ったとはいえ、幇助したのは事実。人を殺めたことに変わりはない。
ミゼリアは入り口側に置いてあった薬草摘みの籠を漁った。中には鉈が入っていて、それを手に取ると首にぴたりとつける。
手が震える。呻き声を上げたミゼリアは手を下ろした。
結局、引くことはできなかった。
『ふっ、うぅ……ごめ、んなさい』
店内には用量を間違えれば死ぬ薬もある。
しかし、自死するほどの勇気はなかった。
ミゼリアはおもむろに顔を上げる。
カウンターの上には鈍く光る瓶があった。バーバラが作ってくれた霊薬、忘却薬だ。
のろのろと立ち上がると、前のめりになりながらカウンターに辿り着く。
そして、藁にも縋る思いで忘却薬の瓶の蓋を外した。
(私には無理だよ。……致死の力が誰かを救えるだなんてちっとも思えない)
致死の力を待っている人がいるなんてバーバラの詭弁だ。
(こんな人殺しの力は祝福とは言えない)
すべてを飲み干した途端、頭が割れるように痛み始めて視界が徐々に暗く狭まっていく。
最後にミゼリアが見たのは、カラン、という音とともに転がっていく空っぽの瓶だった。




