第21話
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クロッカスが咲く庭一角ではチオノドグサがぽつぽつと咲き始めた。
リシュアスは、寝室のバルコニーから白み始める空の下を眺めていた。
朝方の空気はひんやりしていて少し肌寒い。深呼吸をすれば、芽吹いたばかりの緑の香りが感じられた。
ずっと部屋の中に引きこもっていたのもあって、外の空気が美味しく感じられる。
時折、木々の間から吹いてくる風が、リシュアスの三つ編みを揺らした。
庭の景色を眺めていたら、ノック音とともに誰かが入ってくる。
振り返ると、コンラッドの姿があった。
「今回は例年よりも一週間早い回復となりましたね」
側近になって五年のコンラッドは、リシュアスが春先にどういった症状に襲われ、どのくらいの日数で回復するのかを毎年記録している。
まだ少しだけ身体はだるく、完全回復には至っていないが、高熱や目眩といった症状は和らいでいた。
「おまえたちには心配をかけさせてしまったな。いつものことだから気にする必要はないと言っているのに」
毎年この時期はコンラッドを含む使用人に多大な迷惑をかけてしまっている。
「主が辛い思いをしているのに平気でいられる臣下はおりませんよ」
春先になるとベルダース家の者たちはリシュアスを心配して落ち着かない。
不老不死なので大丈夫だと再三にわたって伝えているが、忠誠心の厚い彼らはリシュアスの身を本気で案じてくれている。
「どうか、こちらのことはお気になさらないでください」
コンラッドはこともなげに言うが、目の下にはくっきりとクマができていた。
「強いて言うなら叔母上がいつも通り取り乱していたので、今回も宥めるのが大変でした。おかげで、私はいつも以上に寝不足です」
「それなら明日から三日間の休みをやるからしっかり休め。俺の分かる範囲で仕事は片づけておく」
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
たちまちコンラッドの顔がパッと明るくなる。
普段涼しい顔で淡々と仕事をこなしているが、こういう素直な態度は可愛げがあるなと思った。
「デボラたちには労いの言葉も含めて俺から交代で休みを取るように伝えておく」
特にデボラは自分から声をかけておかないと納得してくれない。
三日間の休みに浮き立っていたコンラッドが我に返ると、こちらをじっと見つめてきた。
「今回のリシュアス様はすっきりした顔をされていますね。うまく説明できませんが、活力を感じます」
それに関してはリシュアスも同意見だった。
普段は体調が完全回復しても心が鉛のように重く、身体を動かすのが辛かった。ところが、今回ばかりは鳥の羽のようにふわりと軽やかだ。
「おそらく、ミゼの薬のおかげだろうな」
コンラッドには薬のおかげだと口にしたが、本当のところは分かっている。
ミゼリアにかけられたあの言葉が力を与えてくれた。
『解呪の魔女は見捨てません。あなたを置いて先に死なないと約束します!!』
空色の瞳に強い光を宿して宣言するその姿に、リシュアスは不覚にも鳥肌が立った。
解呪の協力ができなくてすまないと言って、兄上は崩御した。
呪いを解く手がかりを見つけられなくてごめんと言い残して、ビンツェンは病死した。
何の力にもなれなくて申し訳ございませんと謝罪するアルフは、事故で亡くなった。
あなたを置いて先に逝くことを許して欲しいと懇願しながらエリナーはこの世を去った。
これまでどの先人たちにも最後に謝られてきた。家族や一緒に魔王を倒した英雄の仲間、そして家臣から。バツの悪い顔とともに。
ところが、ミゼリアは違った。
記憶喪失のせいで祝福の力が使えない状態なのに、諦めるどころか前向きな言葉を口にしてくれる。
たったそれだけのことだが、リシュアスの心は救われた。
もしかすると、近いうちにミゼリアは記憶を取り戻すかもしれない。いつ記憶が回復するか見通しが立っていないのに、不覚にも期待を抱いてしまう。
ミゼリアの明るくて前向きな性格はリシュアスの心を軽くする。
早く体調が回復したのは、薬のおかげではない。
彼女が自分に希望を見いだしてくれたからだ。
ここ最近のリシュアスはミゼリアを見ていると、心が温かくなってふわふわとした感じになる。この感覚がなんなのか理解できないほど、鈍くもないし老いぼれてもいない。
リシュアスはフッと表情を緩める。
(ミゼを紹介してくれたエリスには、改めて感謝しないとな)
この間受け取った手紙もその前に受け取った手紙も返事をしていない。
今まで他の王族の反応が怖くて梨のつぶてだったが、密かに返事を書いても良いかもしれない。
(それに、ミゼのお願いを叶えるにはエリスの許可が必要だ)
リシュアスは元気になったらデートして欲しいとミゼリアに約束させられた。
例年より早く回復したのは、ミゼリアの言う楽しい予定を作ったからかもしれない。不本意ではあるが、結果的にはこれが功を奏したようだ。
「コンラッド、紙とペンの用意を。エリスに手紙を書く」
「それでしたらご心配なく。外出許可なら陛下に頼んで既に取ってありますよ」
コンラッドは後ろ手に組んでいた手を前に出す。
そこには、エリスの署名が入った書類と門番に見せる木製のプレートが握られていた。
用意周到な対応を見せるコンラッドに、リシュアスは驚いて口を半開きにしてしまう。
「なんで分かったんだ?」
「ふふふ。これぞ神対応とでも申しましょうか。我ながら迅速な対応だと思っています」
「コンラッドは地獄耳なのか?」
あの時の会話はミゼリアと自分以外誰もいなかったはずだ。まさか、廊下から聞き耳でも立てていたのだろうか。
「そんなわけないでしょう。ミゼリアさんが元気になったらリシュアス様とデートで平和祭に行くと嬉しそうに報告してきたので先回りしたまでですよ」
コンラッドはわざとらしく肩を竦めてみせる。
リシュアスはミゼリアがそう言って周りに報告する姿を易々と想像できた。そして、彼女ならやりかねないと額に手を当てる。
リシュアスの反応にクスクスと笑っていたコンラッドは、真面目な顔になる。
「この三百年間、ずっと離宮で過ごされていたのです。街並みの変化を見るのは良い機会だと思いますよ」
コンラッドの言い分は一理ある。
大切なこの国を守るためにリシュアスは立ち上がり、魔王を倒しに行くと言って英雄の一行に加わった。
あれから三百年。王都の街並みはどのような発展を遂げたのだろうか。
この目で確かめるのも悪くない。
リシュアスはコンラッドから入退場に必要な木製のプレートを受け取った。




