第20話
(リシュアス様が苦しんでるのに。どうして記憶を思い出せないの)
悔しさから、ミゼリアは拳を握り締める。
すると、こちらの存在に気づいたリシュアスが掠れた声で話しかけてくる。
「……二人とも、なんで人の部屋の前で世間話に花を咲かせているんだ?」
コンラッドはリシュアスが寝ているベッドに近づくと腰に手をやった。
「誤解なきよう申し上げますけど、リシュアス様の身を案じていたんですよ」
「その割には不老不死なのに、病気になるのかと馬鹿にしていただろうが」
「おや、聞かれていましたか」
悪びれた様子のないコンラッドをリシュアスがギロリと睨む。しかし、涙目で睨むリシュアスには普段のような威厳はなく、ただ美貌を無駄遣いしているだけだった。
思わずミゼリアが見入っていると、コンラッドが肩越しに振り向く。
「それで、ミゼリアさんはリシュアス様の体調不良を和らげることはできますか?」
「あっ、はい。対症療法薬でよければ可能かと」
我に返ったミゼリアは、コンラッドがこれから何をさせようとしているのかその意図を汲み取った。
「そうですか。では、リシュアス様の看病はミゼリアさんに任せます。他の使用人たちは通常業務に戻るよう指示を出しておきますね。私も仕事に戻ります」
「コンラッド、いくら薬を服用したところで、俺には効かないって知ってるだろ。わざわざ薬を作ってもらう必要はない」
霊薬の魔女であるバーバラの薬ですらどうにもならなかったのだ。リシュアスが断ってくるのも無理もない。
「どうせ、クロッカスが散れば体調はもとに戻る。今まで通り、薬なんて飲まずにただやり過ごせばいいだけだ」
リシュアスは無駄だと思っているようだが、ミゼリアの考えは違った。
(目の前に苦しんでいる人がいるのに、何もしないで見ているだけなんて薬師失格だよ)
本来、自分に記憶があればリシュアスがこんな目に遭わずに済んだ。だから少しでもその苦痛を和らげたい。
ミゼリアは祈るように手を組んで懇願する。
「私はリシュアス様の苦痛を和らげたいです。どうか、薬を作らせてください。お願いします」
ミゼリアが必死に訴える。いつものように断られると覚悟したが、高熱で体力がないリシュアスは何も言わずに目を伏せた。
これは好きにしろという意味だろうか。
確認のためコンラッドへ視線を向けると、こっくりと頷いてくる。
ミゼリアは頷き返すと王室薬局へ向かった。
必要な薬を作って急いで離宮に戻ってくると、コンラッドと交代した。
「お待たせしました。こちらを飲んでください」
リシュアスの上体をゆっくりと起こしたミゼリアは、カップを手渡した。
中はブドウ色の液体が入っている。
「これは酒じゃないか」
「お酒はお酒でもコウリョウキョウのホットワインです。熱を下げるだけでなく、リラックス効果もあります。あと、オレンジも入れているので甘酸っぱい口当たりになっていますよ」
ミゼリアの説明に耳を傾けながらホットワインを飲んだリシュアスは再び横になる。
まだ息遣いは荒く、顔は熱に浮かされて赤い。
「……これは罰だと思っている」
突然、蚊の鳴くような声でリシュアスが呟いた。
ミゼリアは受け取ったカップを片付けた後、ベッドの側にある椅子に腰を下ろす。
「罰って何の罰ですか? リシュアス様は魔王を倒した英雄じゃないですか」
「確かに魔王は倒した。その一方で、救える命を見殺しにしたこともある。毎年熱が出ると耳元で囁かれるんだ。どうして助けてくれなかったんだ、見捨てたんだって……」
リシュアスは心のどこかで後悔していたようだ。高熱が出たことで、それが幻聴として現れているらしい。
ミゼリアはゆっくりと首を横に振った。
「リシュアス様は見捨ててなんかいませんよ。あなたは魔王を倒したじゃないですか。それに、すべての人を助けるなんて無理です。英雄は全知全能じゃありません」
「じゃあ赦されるならいい加減、死なせてくれ。服毒でもめった刺しでもなんでも構わない。この身体を脱ぎ捨てて楽になりたい」
ここまで弱っているリシュアスを見るのは初めてだ。
だが、今の発言は看過できない。ミゼリアはムッとした。
「不老不死の呪いにかかってお気の毒なのは分かりますけど、命を粗末にする人は嫌いです。そんな人には解呪しませんよ!」
「それはつまり、記憶を思い出したのか?」
「いや、まだですけど。とにかく、自死はダメです。辛くなったらいつでも私が話を聞きます。だから独りで抱え込まないでください。あなたは、独りじゃありません」
「……どうせおまえも俺を置いていくくせに」
いつだってこの世界に残されるのは自分。心を通わせたところで無意味だ。
そんなリシュアスの本音を垣間見た気がする。
ミゼリアは声を上げた。
「私が絶対呪いを解いてリシュアス様の止まっている時間を進めてみせます。信じてください。解呪の魔女は見捨てません。あなたを置いて先に死なないと約束します!!」
力強く宣言すると、リシュアスが虚を突かれた顔をした。
ミゼリアは背筋を伸ばしてさらに自信満々に言う。
「どうぞ、大船に乗ったつもりで私に任せてください!」
「それは泥船の間違いじゃないだろうな?」
リシュアスが皮肉を言えば、ミゼリアが人差し指を立てて笑い飛ばした。
「あはは。もし泥船だったとしても私という一緒に沈む相手がいていいじゃないですか」
明るい調子で返してくると思っていなかったのか、リシュアスはなんと言っていいのか分からず、声を詰まらせる。
やがて、おもむろに手を伸ばしてきた。
「ミゼ、手を握ってくれるか?」
「え? はい」
言われるがまま、リシュアスの手を両手で握り締める。
頼まれた理由が分からずきょとんとしているとリシュアスが言う。
「三百年生きていても、心細くて誰かの温もりを求めたくなる時があるんだよ」
リシュアスは自嘲気味に笑いながら目を閉じて睫毛を震わせる。
「今からとびっきりの弱音を吐く。このことは俺とおまえだけの秘密にしてくれ」
「誰にも言いません。約束します」
安心したリシュアスはこれまで心に秘めていた言葉を紡いでいく。
「ここには父上も母上も、兄上たちもいない。ビンツェンもアルフもエリナーも。歴代のベルダース伯爵も。みんな俺を置いて逝ってしまった。嫌だ。独りにされるのはもうたくさんだ。俺を置いていかないでくれ。……これ以上、独りにしないでくれ」
リシュアスの悲痛な叫びにミゼリアは胸を痛める。このままではリシュアスが消えてしまいそうな気がして、存在を確かめるように握る手に力を込めた。
「リシュアス様、あなたを置いていったりしません。必ず呪いを解きます。だから一日でも早く体調が戻るように、楽しい予定を作っておきましょう」
これは風邪をひいて辛い想いをしている患者にバーバラがよくやっていた手法だ。
「楽しい予定? そんなもの、俺にはない」
リシュアスは捻くれた子供のような物言いをする。
ミゼリアは微笑む。
「何か楽しみがあると身体が頑張ろうって思ってくれるんです。予定がないなら、僭越ながら私が考えさせてもらいます」
ミゼリアは、うーんと呻りながら考える素振りを見せる。やがて、ぱっと顔を輝かせた。
「そうだ! もうすぐ平和祭があるので私とデートしませんか?」
「それはミゼの欲望だろう」
「別にいいじゃないですか。デートくらい減るものじゃないし。約束ですからね?」
念押しすると、リシュアスがゆっくりと瞼を閉じる。
「……まあ、いいだろう。少し眠る」
ホットワインが利いてきたのか、リシュアスの呼吸が荒いながらも規則正しいものに変わる。
(おやすみなさい、リシュアス様)
ミゼリアはそっと椅子から立ち上がると、カップを持って寝室を出た。
音を立てないようにして閉じた扉に寄りかかる。
ミゼリアはキュッと下唇を噛みしめ、壁に拳を打ちつけた。
場が和むように努めていたが、本当はどうしようもなく苦しかった。
リシュアスを助けたい。呪いから解放してあげたい。今すぐにでも。
(解呪の魔女である私にしかできないことなのに。なんて役立たずなの!)
心の中で叫んだ瞬間、覚えのない記憶が頭の中に流れ込んでくる。
場面は前回と同じ。ベッドに横たわるバーバラの姿がある。
『今までずっと隠してきたけれど、今日は私のもう一つの制約について話すわね』
寝たきりではあるけれど、バーバラの瞳にはまだ強い光が宿っていた。
これは、まだ病魔に襲われて間もないバーバラの姿だとミゼリアは思った。
『私は神様から霊薬を作る力を授かった。傷や病気であれば、どんな不治の病でも治せる。ただし、自分が霊薬を飲んでも病気や怪我は治らない』
ミゼリアは心のどこかで感じていたモヤモヤが晴れるのを感じた。
霊薬の魔女であるバーバラが、何故死んでしまったのかずっと心のどこかで不思議に思っていたのだ。
『この世界は有限。草花は枯れ、何百年と生きる木もいつかは朽ちてなくなる。だから神様は自分自身に祝福の力が及ばないようにした。魔女の力は、本来誰かを救うための力。利己主義であってはいけないの』
記憶が別の場面に飛ぶ。今度は痩せ衰えたバーバラの姿だった。
手の甲を優しく撫でると、バーバラがうっすらと目を開ける。そして、何かを決意したように話を始めた。
『祝福のことで話しておかなくてはいけないことがあるの。ミゼ、あなたの魔法は――』
ぱくぱくと口が動いているのに、言葉が聞き取れない。
(待って先生、もう一度言って。先生は何を言おうとしているの?)
キーンという耳鳴りとともに意識が現実に引き戻される。しかし、完全に引き戻される前に、カランという音と床を転がっていく空っぽの瓶の映像が流れた。
(あれは……)
こめかみの辺りに激痛が走る。呻き声を上げながら、指でこめかみを押さえた。
ミゼリアは耐えられなくなって腰を折る。
「ミゼリアさん、大丈夫ですか?」
気づけば隣にコンラッドがいて、気遣わしげに背中を撫でてくれていた。徐々に痛みが引いていく。
「だ、大丈夫です」
「そうは言っても顔色が悪いですよ。リシュアス様のお世話で疲れたようですね。カップは私が片付けておくので、休んでください」
「ありがとうございます」
ミゼリアはカップをコンラッドに渡して無理矢理笑みを作る。のろのろと歩き出した。
廊下の窓から庭が見える。見頃を迎えたクロッカスの花はまだ散りそうにない。
リシュアスのためにも早く記憶を思い出さないといけない。
(記憶の断片で見たあの瓶。あれが記憶を思い出す鍵になりそうな気がする)
逸る気持ちを抑えながら、ミゼリアは白と紫の花をじっと見つめた。




