第19話
それは離宮の庭のクロッカスが花開いた頃だった。
白や紫といった色とりどりの花が一斉に咲き誇る姿は可愛らしく、見ているだけでミゼリアの心は弾んだ。この嬉しい気持ちをリシュアスにも共有したい。
(この前散歩に誘ったけど、リシュアス様の反応はいまいちだった。外に出るのがお嫌なら、せめて花を摘んでいくのはどうかな?)
離宮内の各所には季節を感じられる花が花瓶に生けられている。
今回は庭に咲いているクロッカスを生けてみるのも良いかもしれない。
(我ながら名案じゃないの?)
ただし、勝手に庭のクロッカスを摘んで後から叱られても困るので、事前にデボラに許可を取らなくてはいけない。
「掃除道具のチェックが終わったら聞いてみようっと」
最近のミゼリアは離宮の掃除も手伝うようにしている。
リシュアス専属のお世話係として働いているが、それだけでは手持ち無沙汰になってしまうからだ。
正宮と比べて人員が少ないため、デボラに申し出ると喜んで仕事を与えてくれた。
それが掃除道具のチェックだった。箒やはたきなどで使えなくなっているものがあればそれを集めて外に出し、リストにまとめておく。
そうすると後で従僕が不要になった掃除道具を回収し、新しいものに替えてくれるのだ。
前に一度やったことがあるので、大凡の流れは覚えている。
腕捲りをしながら離宮に足を踏み入れると、ミゼリアは異変を感じた。
普段は静かで落ち着いているのに今朝は慌ただしく、張り詰めた空気が流れている。
気のせいかと思っていたら、遠くから切羽詰まった話し声と慌ただしい足音が聞こえてきた。
程なくして、奥から顔面蒼白の従僕が走ってくる。彼はミゼリアを横切って外へと飛び出した。
ミゼリアは振り返って従僕の後ろ姿を見つめる。
(何かあったの?)
胸騒ぎを覚えていると、同じ方向からデボラが小走りでやって来た。
従僕同様に顔色が悪い。
「ミゼリア!」
こちらを捉えたデボラがガシリと両腕を掴んでくる。
ミゼリアが目を白黒させていたら、必死の形相で懇願された。
「いいところに来てくれたわ。あなた薬師でしょう? この状況を何とかして!」
何とかしてくれと言われても、状況の説明がないので対処のしようがない。
「詳しい状況を教えてもらわないと、私も適切な方法が導き出せないですよ。一先ず深呼吸をしてください」
落ち着くようミゼリアが促していたら、同調するように後ろから声がした。
「ミゼリアさんの言うとおりです。叔母上、分かるように説明しないと」
振り向くと、そこには落ち着いた様子のコンラッドがいる。
そしてその隣には、膝に手をついて肩で息をする従僕の姿があった。どうやらコンラッドを呼びに行くための全力疾走だったらしい。
「そ、そうね。取り乱してしまってごめんなさい。リシュアス様のアレが今年も始まってしまったのよ」
「分かりました。毎年のことですから、そんなに心配しないでください。クロッカスが散れば元通りですから」
「それは、そうなんでしょうけど……」
「今年はミゼリアさんという薬師がいるじゃないですか。きっと力になってくれます。なんて言ったって、彼女は霊薬の魔女の弟子ですからね」
コンラッドはデボラを宥めると、従僕も含めて持ち場に戻るように告げる。
デボラは何か言いたげに口を開きかけるが、結局噤んだ。
コンラッドは二人が帰っていくのを見届けると、こちらに視線を向ける。
「さてと、移動しながら詳しい説明をしましょうか」
コンラッドがゆっくりと歩き始めたので、ミゼリアも肩を並べて歩みを進めた。
「リシュアス様たち英雄が魔王を倒したのは、クロッカスが見頃を迎える時季と重なるというのを知っていますか?」
「もちろんです。それは王国民の誰もが知っているお話です」
英雄たちが魔王軍の幹部を倒し、最後に魔王を討った。それはスノードロップが散り始め、クロッカスが咲き誇る季節だったという。
これにちなんでロエウルム王国では、春を迎えると、魔王を倒した英雄たちを讃える平和祭が各地で開かれる。
ミゼリアが頷くと、コンラッドが話を続けた。
「原因は不明ですが、リシュアス様は必ず春先になると体調を崩されてしまうんです。クロッカスが散るまでの間、体調不良は続きます」
珍しく余裕のない声でコンラッドが言う。
「症状は主に高熱と目眩。毎年苦しまれていますが、ベルダース家の医者に診せても対症療法くらいしかないと匙を投げられています」
説明が終わると同時に、ミゼリアたちは二階にあるリシュアスの寝室に到着する。丁度侍女が水の張った盥を持って出てきた。
「リシュアス様のご容態は? 熱は?」
コンラッドが尋ねると侍女は目を伏せて首を横に振る。
「まだまだ上がりそうです。氷がなくなったので補充してきます」
二人が会話をしている間に、ミゼリアは寝室の中を覗き込む。天蓋付きの大きなベッドにはリシュアスが横たわっていた。
高熱に浮かされているのか、微かにうわごとが聞こえてくる。
ミゼリアは入り口から離れると、侍女との話を終えたコンラッドに身体を向ける。
「コンラッド卿……」
「はい、何でしょうか? 気になる点があれば何でも質問してください」
「率直な疑問なんですけど、リシュアス様って病気に罹ったりするんですか? 不老不死なのに!?」
ミゼリアが素っ頓狂な声を上げると、コンラッドが苦笑する。
「そう反応したくなるのも分かります。リシュアス様はこの期間以外は無敵ですからね。まあ、体調不良で苦しんでおられますが、最悪死ぬことはないので今も無敵と言えば無敵ですね」
ミゼリアは顎を引いて思案する。
「リシュアス様の体調不良は昔からなんですよね。それならどうして霊薬の魔女である先生に薬を依頼しなかったんですか?」
バーバラが生きていた頃に霊薬を頼めば完治していたかもしれない。
「当然、陛下が霊薬の魔女に依頼をして薬は作ってもらいましたよ。しかし、服用してから三日と経たずに再発してしまったんです」
「えっ?」
ミゼリアは聞き咎めた。
バーバラの霊薬を飲んだ人間は必ず病から解放される。再発するなんておかしな話だ。
(先生の霊薬が効かないなんてあり得るの?)
思わずコンラッドの話に胡乱な顔をしてしまう。
ミゼリアはバーバラが作る薬に絶大な信頼を寄せていたからだ。
「バーバラ殿によると、リシュアス様の体調不良は呪いに起因するものだと仰っていました。だから力が及ばなかったんです」
コンラッドの話を聞いて、ミゼリアはバーバラから霊薬の魔女には制限があるという話を思い出した。
一つ目は、精神操作系の薬だ。精神状態の異常を元に戻す薬は作れても、相手の気持ちを変えるのは病ではないため作れない。薬が完成したとしても一時的に思い通りにできるだけで、持続性は得られずに効果は切れてしまう。
そして二つ目は、呪いによる病気だ。呪いは根源が病ではないため、どれだけ身体に異常が生じていたとしても治すことはできない。バーバラの霊薬を服用したところで完治はしない。
したがって、リシュアスの病気にバーバラの祝福の力は通用しない。治せるとしたら、解呪の力を神から授けられたミゼリアだけだ。
ミゼリアは自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。




