第18話
「リシュアス様こそ、ずっと自堕落な生活を続けています。身体を労るようになったのは喜ばしいことですが、もっと生活習慣を改めるべきです。身体に毒ですよ」
「おまえはデボラみたいなことを言うな」
たちまちリシュアスが渋面になった。
とはいえ、離宮で働き始めてから一度だってリシュアスが活動的に動く姿を見たことがない。このままだと本当にダメになりそうで心配になる。
「たまにはお庭で散歩でもしませんか?」
「外は寒いだろう。わざわざ快適な場所から離れるなんてごめんだな」
「でも、何もしないでいるのって退屈でしょう?」
リシュアスが鼻で笑う。
「ミゼはまったく分かってないな。俺は現在進行形で何もしないをしているんだよ」
「そんなとんちの効いた返しは求めてません!!」
思わずツッコミをいれたミゼリアは目を尖らせる。
(ああ、もう知らない!)
ドッと疲れが押し寄せてきて、手にしていたお盆をローテーブルの上に置く。
すると、リシュアスがお盆にのったティーセットを眺めてきた。
「ほう。ジンジャーブレッドか。美味しそうだな」
「ジャンさんが腕によりをかけて作ってくれました。どうぞ、召し上がってください」
ミゼリアはリシュアスの前に皿を置く。
ジンジャーブレッドに入っているショウガは免疫向上の作用があり、身体も労われるので一石二鳥だ。
リシュアスは起き上がると、フォークを手にして食べ始める。
「んん!」
唸り声を上げるのでミゼリアは肩を揺らした。
(もしかして、ジンジャーブレッドは苦手だった!?)
ということは、こちらに気を遣って食べたは良いが、やはり苦手な味だったのだろうか。
ミゼリアが狼狽えていたら、リシュアスがフォークを置く。
「懐かしい。ビンツェンとアルフが喧嘩して仲直りをさせるためにエリナーが作ってくれたのとまったく同じ味だ!」
リシュアスは一口、また一口と食べ進めていく。
(良かった。苦手じゃなくて懐かしかっただけなんだ)
ミゼリアはホッと胸をなで下ろした。しかしそれも束の間。旧懐に浸るリシュアスの姿は、幸せそうなのにどこか寂しさが滲んでいた。
リシュアスは一体何を思い出しているのだろう。
訊きたいけれど、詮索してはいけない気がした。
その思い出に触れていいのは、リシュアスとその仲間だけに思えたから。
ミゼリアはカップにお茶を注ぎ、リシュアスが食べ終わるまで邪魔にならないよう壁際へ移動しようとする。
「どこへ行く? ミゼも食べろ」
「えっ、私もですか?」
突拍子もない提案に驚く。
「毎回俺一人で食べるなんて寂しいだろ」
リシュアスは手をつけていない一切れを、予備のフォークで食べやすいサイズにカットして刺すと、ミゼリアの口元まで運んできた。
「ええっ!?」
予想外の動きにミゼリアの顔が赤くなる。
(リシュアス様が私に食べさせようとしてくれてる? どうしよう、心の準備ができてない。……わああ、こんなの無理ぃ!!)
ミゼリアの心臓の鼓動がドキドキと激しくなる。
身体中に響く音がリシュアスの耳にまで届いたらと思うと、余計に恥ずかしくなった。
尻込みしていたら、痺れを切らしたリシュアスが上目がちにこちらを見つめてくる。
「ほら口を開けろ。遠慮はいらない」
顔の角度が絶妙で、より一層彼の美しさを引き立てている。
ミゼリアはとうとう悲鳴に近い声を上げた。
「さっきからわざとやってますよね!?」
「さあ、どうだろうな?」
「無理です。無理無理! このまま見つめられ続けたら心臓が止まっちゃう!!」
「おい、勝手に心臓を止めるな死ぬな。俺の呪いを解いてからにしろ」
顰めっ面になったリシュアスはフォークを持つ手を引っ込める。
ミゼリアは慌てて手を合わせた。
「ああ待って。勝手に死なないのでもう一度あーんしてください。後生ですからっ!!」
「断る」
必死の形相で訴えるも、にべもない返事をされてしまう。
リシュアスは手にしていたジンジャーブレッドを自身の口へと運んだ。
余計な一言を言った自分が酷く恨めしい。
ミゼリアがトホホと肩を落としていると突然、口の中に何かを入れられた。
むぐっと声を上げて咀嚼してみると、口の中に甘い砂糖とショウガ独特の辛みが広がる。
「これで満足か?」
呆れた顔をしながらも、見かねたリシュアスが食べさせてくれた。
ミゼリアは両頬に手を添えて幸せを噛みしめる。
「満足です。幸せです。好きです。ありがとうございます!」
お礼を言いながら、どさくさに紛れて告白する。
ミゼリアは身体をくねくねと動かした。
「残りは自分で食べるんだぞ。それと今度からは二人分用意して持ってくるんだ」
以前はミゼリアの反応にドン引きしていたリシュアスも、一ヶ月経てば慣れてしまったようだ。ただ淡々と受け流している。
落ち着きを取り戻したミゼリアは、元気よく手を挙げて返事をした。
「はい。お任せください」
その後、ミゼリアは向かいのソファに腰を下ろす。大人しく残りのジンジャーブレッドを食べた。
一足先に食べ終わって満足したリシュアスは、暖炉に近づいて側の棚から薪を足し始める。続いて薪に向かって手をかざすと、呪文を詠唱した。
手のひらからは火の玉が現れて、それを薪に投げ込むと火が激しく燃え始めた。
(リシュアス様が魔法を使うところを初めて見た)
というより、何かするのを見たのはこれが初めてだった。
雑用仕事は使用人がするものだが、意外にも自らの手で行っているようだ。
(私が来る時に横になっていることが多いだけで、本当は何もしていないわけじゃないのかも)
ミゼリアは作業をするリシュアスの背中を見つめた。
春と冬の境目にある今時分は寒暖差が激しい。
今日は生憎の寒さだったが、また暖かい日も出てくるだろう。
ミゼリアは窓の外に視線を向けた。庭では手前に生えているスノードロップが見頃を迎え、奥に植わっているクロッカスにも蕾がついている。
暖かい日が多くなれば、クロッカスの白や紫の花が開花して庭一面を彩るだろう。
ロエウルム王国ではスノードロップが春の訪れを告げ、クロッカスが咲くと完全な春になると言われている。王国民であれば誰もが親しみを覚える花だ。
リシュアスも、クロッカスを見れば少しは気分が晴れるのではないか。
それと、たまには外の新鮮な空気を吸って欲しい。
そんな想いから、改めてリシュアスを外に誘ってみた。
「リシュアス様、クロッカスが見頃を迎えたら一緒に庭を散歩しませんか? その頃にはもう寒くないですよ」
「……」
ミゼリアの提案にリシュアスの動きがピタリと止まる。
こちらに背を向けているせいで、どんな表情をしているのかまるで分からない。
「リシュアス様?」
反応がないのでミゼリアはおずおずと声をかけた。
ただ散歩に誘っただけだが、やはり余計なお世話だっただろうか。
言った側から後悔していると、リシュアスが身じろいだ。暖炉から離れてソファに戻る。
その顔は無表情で何を考えているのかまったく読み取れなかった。
ミゼリアが固唾を飲んで見守っていると、ぎこちない笑みを浮かべて口を開く。
「ミゼの言うことは一理ある。温かくなったら外に出るべきだ。考えておこう」
「は、はい」
様子のおかしいままのリシュアスにミゼリアは困惑した。
(春を話題にするとここの人たちは浮かない顔をする。そんなに春が嫌いなの?)
この疑問に対する答えを、ミゼリアは程なくして知ることになる。




