第15話
厳冬が終わりを迎え、春の気配が感じられる今日この頃。
離宮の庭では、春の使者である白くて可愛いスノードロップが見頃を迎え、枯れ色の世界を鮮やかにしていた。
ミゼリアが王宮で仕事を始めて一ヶ月以上が過ぎた。
ダブルワークは忙しいものの、充実した日々をもたらしてくれている。
軍部調剤室ではこれまで培ってきた薬師の経験が大いに役立っているし、離宮では初恋の相手であるリシュアスの専属のお世話係をさせてもらっている。
自分の健康に無頓着で周りを困らせていたリシュアスだったが、ポプリを贈ってからは心境の変化があった。というのも、食事を摂ってくれるようになったのだ。
ミゼリアは新たに作ったポプリと一緒に、ハーブ入りのかぼちゃスープを水筒に入れて渡していた。魔王討伐で各地の教会を転々としていた話を聞き、ミゼリアはオーベル領の教会で教わった料理を作ってみたのだ。
ハーブ入りのかぼちゃスープは、教会で提供される定番料理でフェンネルが入っているのが特徴だ。
ポプリに興味を示したのなら、この食事にも食指が動くはず。
その予想は当たっていたようで、翌日リシュアスから渡された水筒の中身は空っぽだった。それ以降も、教会で作られる素朴な料理は口にしてくれるようになった。
リシュアスの身体を心配していた使用人たちは、ミゼリアの報告を受けて愁眉を開いた。
デボラに至っては涕泣する始末だ。
ミゼリアが教会で教わったレシピは数品で限りがある。そこで正宮の図書館へ赴き、教会で作られている料理、とりわけ三百年前のレシピを調べては料理人のジャンに再現してもらっている。
基本的に昔の教会で提供されていたのは、じっくりと時間をかけて作る煮込み料理が多く、味付けは昔も今も変わっていない。
あとは料理人の腕次第だが、幸いにもジャンは宮廷料理よりも家庭料理を得意としていたのでリシュアスの健康面改善に大きく貢献してくれた。
(残るは私が記憶を取り戻せたら完璧なんだけどなあ)
ミゼリアの顔に暗い影が落ちる。
今日も軍部調剤室へ行く前に、建物内にある所蔵庫へ朝早くから足を運んでいた。
(この間調べたのは南側本棚の三段目までだったから、今日調べるのは……)
前回調べたところからミゼリアは調査を再開する。
記憶回復に関する内容が書かれていそうな本を何冊か手に取ると、閲覧席へと移動した。
分厚い本の頁を捲って目を走らせていく。ずっと記憶回復に関する書物を調べているが、めぼしい成果は得られていない。
しかし、数百冊にも及ぶ書物のどこかには必ず求める情報があるはずだ。
余談だが、ミゼリアは記憶の回復薬を作る方法を知っている。
記憶喪失になって間もない頃、自分で作った薬をいくつか試飲してみた。結果は振るわず、どれも回復には至らなかった。
(私が知っている中で一番強力と言われているローズマリーでもダメだった。所蔵庫で新しい情報が手に入ればいいけど)
運んできた本すべてに目を通し終えてたミゼリアは置き時計の針を確認する。そろそろ軍部調剤室へ行って仕事の準備を始めた方がいい時間だった。
「……今日はここまで見たいね」
本を本棚に戻したミゼリアは古い紙の匂いが籠もる所蔵庫を出る。
出るとすぐにエントランスホールがあり、そこを通り過ぎた先に軍部調剤室はあった。
「ミゼ、おはよう」
エントランスホールを歩いていたら、相好を崩すクリフが手を振って入り口からやって来た。いつも始業開始ギリギリに出勤してくる彼がこんなに早く来るなんて珍しい。
怪訝な顔をしていたら、クリフが苦笑しながら事情を話してくれた。
「今朝、宿舎に軍部から注文書が届いたんだ。だから今日はいつもより早く出勤したってわけ」
なるほど、とミゼリアは納得した。
軍部からは丸薬や湿布、軟膏など、様々な医薬品が午前中に依頼される。そしてここ最近は午前と午後の二回にわたって注文書が届くようになっていた。
どうやら今日の午前に届けられる注文書は、とても早かったらしい。
「バトス室長が医薬品の作成も大詰めだって言ってましたもんね」
「うん。明後日から二軍の各部隊が魔物討伐の遠征に出るんだって。今回はどこも毒を吐く魔物が多いみたいだよ。傷薬以上に解毒薬を依頼されてる」
四人の英雄が魔王を倒したことで世界は平和になった。
それまで蔓延していた瘴気の大部分は浄化され、人や動物が住みやすい環境に戻った。しかし、未だに瘴気が滞留している土地は幾つか存在する。
そこには魔物が棲みついており、近隣の村や町が襲撃に遭うことがしばしばあるのだ。
特にそれが顕著なのは冬終わりから春にかけて。魔王が倒された時期だ。
魔物の動きが活発になるのを見越して、軍部では毎年国内の魔物の住み処へ兵を派遣し、事前に被害の拡大を防いでいる。
ロエウルム王国の軍部は四軍編成で、そのうち二軍が魔物討伐の任務にあたっており、さらに五つの小部隊に分かれて各地へ派遣されていた。
一軍は王宮内や王都の警備に当たっていて、その中には伝統的な近衛騎士団も含まれる。
そして、三軍と四軍は辺境地や魔物が出没しない地域の警備をしている。
また、数が一に近いほど、魔法師の免許を保有している者も多くなり、魔法と剣の二刀流で戦うスタイルをとる。
魔物討伐に伴って、ミゼリアが所属している軍部調剤室は今が一番の繁忙期。
働き始めた当初から、職員たちの生気が徐々に失われていくのを肌で感じ取っていた。




