第14話
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宵の口になってから、風が出始めた。時折、突風が吹き荒れては木々を揺らしている。
小広間の窓ガラスも揺れて音を立てていた。
暖炉の薪が爆ぜる音を室内に響かせる。
いつものソファに腰を下ろすリシュアスは、難しい顔をしてトントンと指で肘掛けを叩いていた。
(当初の計画が大きく狂ってしまった。まさかこんな展開になるとはな)
苛立ちを隠さずに舌打ちをしていると、控えていたコンラッドが眉尻を下げる。
「ミゼリアさんについては非常に残念です。陛下が見つけ出してくれた呪いを解く唯一の方法でしたのに」
「解呪の魔女の力で悲願が叶えられると思ったら、記憶喪失で力が使えないだなんて。そんなの誰も予想していなかっただろうよ」
エリスも寝耳に水だったに違いない。
そもそもエリスが解呪の魔女の存在を知ったのは、ミゼリアの師匠であるバーバラからの手紙がきっかけだった。
その重要な報せが届いたのは亡くなってから半年後。
届くまでに空白の期間があったのは、オーベル領の主要道路が大雨の影響で使えなくなってしまったからだ。もし大雨で川が氾濫していなければ、手紙はもっと早く届いていただろう。
そこまで考えてリシュアスはため息を吐いた。
(たらればを考えたところで、どうにかなるわけじゃない)
現状を変えるには今後どうしていくかを考えた方が建設的である。
そして、気にくわないことはもう一つあった。
「ところでコンラッド。例の報告はまだか? おまえを文官として正宮に放り込んで諜報活動させているのはそのためだぞ」
リシュアスが尋ねると、コンラッドは頭を垂れる。
「申し訳ございません。調査を進めておりますが難航しております。陛下からも王室とリシュアス様との間に軋轢が生まれないかご心配をおかけしている状態です」
「エリスに俺のことで迷惑をかけたくない。まったく、誰があんな馬鹿げたことを言い出したのか」
リシュアスは顎を引く。
この国の上流階級は主に、王室派と貴族派という二代派閥に分かれていた。
しかし、ここ三年の間に勢力を伸ばしている新興派閥がある。それが英雄派だ。
英雄派は広義で言うと王室派と同じグループに属するが、彼らは魔王を討伐したリシュアスこそ、このロエウルムの君主に相応しいと主張している。
そこに現王族は含まれない。リシュアスだけを永久の君主にすべきという思想を持っているのだ。
しかし、リシュアスは世間で三百年前に死んだことになっている。要するに彼らはリシュアスを祭り上げて王族から王権を奪い、自分たちが国を牛耳ろうと目論んでいるのだ。
今のところ、それを主張している大半は既得権益層以外の下級貴族たちだが、このままでは王室派の中で縦の分断が起きてしまう。
そうなると王室派の力は弱まり、貴族派が勢いづいて王室の権威が保てなくなってしまう。
コンラッドに首謀者が誰なのかを調べさせてはいるが、未だに辿り着けず手をこまねいている状態だ。
「引き続き、首謀者が誰なのかの調査と捕まえるための証拠集めに当たってくれ」
「必ず突き止めてみせますのでもう少しだけお待ちください」
コンラッドが力強く返事をするが、リシュアスの心は晴れない。
(不穏因子は潰しておく必要がある。でないと俺が生きているのを知っているエリス以外の王族から、英雄派の首謀者が俺だと疑われてしまう。……俺は玉座なんて望んでないのに)
そもそも、不老不死の呪いにかかった時点で、継承権は早々に放棄した。これはいずれ自分の存在が争いの火種になることを見越してのことだった。
リシュアスが継承権を持ち続ける限り、他の王族の継承順位は後回しにされる。
それだけでなく、万が一国王になったらその時点で他の王族が国王になる機会は未来永劫失われてしまう。
上流階級の貴族は代々甘い汁を吸うためにリシュアスに忖度ばかりして公正な判断をしなくなるだろう。腐敗した国がどうなってしまうかなんて、幼い子供でも分かる。
(俺はこの国を滅ぼしたいわけじゃない。だから英雄派などと世迷い言を抜かす奴らを徹底的に潰さないといけない)
リシュアスが奥歯を噛みしめていると、コンラッドが一通の手紙を差し出した。
差出人の欄には愛しのエリスよりと書かれている。
「話は変わりますが、陛下がたまにはお茶でもどうかと誘っておられましたよ」
手紙に触れたリシュアスは険しくなっていた表情を和らげた。
「こんな死に損ないを慕ってくれるのはエリスくらいだな。だが、英雄派の件もあって会うのは憚られる。悪いが断っておいてくれ」
「また私が陛下から小言を言われますよ……」
コンラッドの嘆きを聞き流しながら、リシュアスは活発な少女を思い浮かべる。
エリスは幼い頃から何度も離宮に足を運び、交流を重ねてくれていた。
何がきっかけだったかは思い出せないが好奇心旺盛な彼女のことだ。王宮の外れに不老不死の遠縁がいると知って探検に来たのだろう。
出会って以降、お互い良き友人としての関係を築いていた。彼女がリシュアスの呪いに率先して動いてくれているのもそれが理由だ。
リシュアスは手紙をじっと眺める。
父や兄といった近しい人物たちが亡くなっていき、リシュアスは年々疎外感を抱くようになった。同じ王族であっても世代交代が進めば結びつきは薄くなる。
そう感じるのは相手も同じだったようで、周りの王族から疎まれるようになった。
それが顕著になったのは国王だった兄が病死して甥が即位した時からだ。
その頃になると、リシュアスは自ら離宮に移り住み、どこにも顔を出さずひっそりと暮らすようになった。
しかし甥はリシュアスの反乱を恐れ、戦闘の禁止と禁足令を言い渡した。以来、リシュアスは君主の許可がない限り、剣を振るうことも離宮の外に出ることもできなくなった。
エリスが君主になって、ようやくその範囲が王宮内にまで広がったが、リシュアスは未だに守り続けている。
(出会った時のエリスはまだ十歳にも満たない子供だったのにな……)
リシュアスはそこで、離宮近くで迷子になっていた少女を思い出した。
山吹色の髪が顎下あたりで切り揃えられている少女がわんわんと泣いている。
離宮と正宮は離れているし、関係者以外の人間は離宮に立ち入らない。このままでは誰にも見つけてもらえず迷子のままだろう。
見かねたリシュアスは少女の頭の上にポンと手を置いた。
驚いた彼女がびくりと身体を揺らす。
こちらをじっと見つめるくりくりとした空色の瞳が無邪気に輝いているが、どこか不安そうな色が滲んでいる。
『こんなところで何をしているんだい?』
警戒心を解くために優しく声をかけた。
それから同じ目線になるようにしゃがみ、指の腹で目尻についた涙を払ってやる。
すると、彼女は先生と離れてしまったと再び目尻に涙を溜めながら話してくれた。
怖がられはしないか心配だったが、その少女は意外にも自分に懐いてくれ、衛兵所までは手を繋いで歩いていった。
衛兵所へ行けば、フード付きの外套を纏った初老の女性が身振り手振りをして少女を捜していた。
『あっ、先生だ!』
少女はその女性のもとへと急いで駆けていく。無事に保護者と再会できたようだ。
二人が抱き合う姿を見届けたリシュアスは、別れを告げずに踵を返した。
あの時の少女の無邪気な瞳が、どことなくミゼリアに似ている気がする。
(……いや、まさかな)
リシュアスは自分の考えを霧散するように手を振った。
あの時の少女は純粋そのものだ。不埒なミゼリアとはかけ離れている。
一緒にするのは失礼だ。
「もう少しミゼが落ち着いた行動を取ってくれたらいいんだが」
「ミゼリアさんはリシュアス様のことになると不純かつ暴走しがちですからね」
コンラッドが微苦笑を浮かべる。リシュアスもまた、表情を歪めた。
ミゼリアはリシュアスの一挙手一投足に反応してくる。明るい性格で歯に衣着せぬ物言いをするのは好ましいが、たまに心の声がだだ洩れで欲望まみれな発言をする。
とはいえ、その欲望はいつだって真っ直ぐだ。
(好意を寄せられて悪い気はしないが、俺は気持ちには答えられない)
悲願が叶えば独りで最期を迎えようと心に決めている。それに自分のような死に損ないと一緒になるよりも、普通の男性と結婚して家庭を築いた方が絶対に幸せだ。
リシュアスはミゼリアが別の誰かと一緒にいるところを想像する。
その途端、何故か心がざらついて不快な気分になった。
自分自身の反応にリシュアスは目を見張る。
(まさか、絆されてしまったのか?)
確かめるように胸に手を当てる。
心臓の鼓動は一定の速度で脈打ち、乱れてはいない。ただの気のせいだったようだ。
安堵の息を漏らしたリシュアスは背中をソファの背に沈める。
「どうしたんですか? 先ほどから百面相になっていますよ」
コンラッドに指摘されてリシュアスは何事もないように平静を装う。
「いや、なんでもない。それにしてもミゼにはもう少し淑女らしい振る舞いをして欲しいものだな」
そう言いながらも、リシュアスは声なく笑った。
ミゼリアの言動は見ていて飽きない。楽しくさえある。次はどんな突拍子もないことをするのか期待してしまう。
そこまで考えて、はたと気づいた。
(楽しい? ……俺は今、この状況を楽しいと感じているのか?)
不老不死になってから長く沸き起こらなかった感情に触れた気がする。
リシュアスは困惑すると同時に、何かが動き出すような胸騒ぎを覚えた。




