第13話
その日の夕方、離宮の小広間の前でミゼリアは仁王立ちしていた。
白の布巾がかかったバスケットを小脇に抱え、空いているもう一方の手で扉を叩く。
「失礼します」
不安混じりに中へ入ると、リシュアスは今日も深紅のベルベットのソファの上で寝そべっていた。
こちらの声に反応してちらりと瞼を開くも、またすぐに閉じてしまう。
「今日も進展はなしか?」
「すみません。お察しの通りです」
一部の記憶は思い出したが、まだまだ不完全で解呪の使い方は思い出せていない。
変に期待させてはいけないので、報告するのはやめておいた。
「解呪は、必ず思い出してみせますので待っていてください。バトス室長に頼んで王室薬局の所蔵庫にも入れるよう許可を取りました」
ミゼリアは王室薬局の仕事の合間を縫って記憶回復の薬について調べている。
昨日、バトス室長に記憶喪失の事情を話したところ、快く所蔵庫の鍵を貸してくれた。
所蔵庫には王室薬局発足以来に集めてきた様々な薬の知識が保管されている。
ミゼリアが探している情報もどこかにあるかもしれない。
「当然だ。思い出せなかったら一番損するのはおまえだしな」
一年以内に記憶を取り戻して解呪できなければ、クロロの森を守るための資金を得られない。
リシュアスが手厳しく指摘してくるので、ミゼリアは頬を膨らませた。
「分かってます。だから有力な情報がないか調査しているんです」
「それならいい。報告が終わったなら下がれ」
リシュアスが出ていくよう促してきたので、すかさずミゼリアが答える。
「残念ですがまだ帰りません」
「何だ? さては、また世話をする気だな?」
リシュアスが目を尖らせるのを無視して、ミゼリアは小脇に抱えているバスケットをローテーブルの上に置いた。
白の布巾を取り払えば、密閉されたガラス瓶がある。
「それは?」
「これはモイストポプリです。自分用に作ったのですが余ったのでもらってください」
「暇人か」
「暇人じゃありません。リシュアス様がお世話させてくれないから、余暇を楽しんでるだけです!」
ぐうの音も出ないリシュアスは渋々といった様子で身を起こす。
ミゼリアはリシュアスの前にポプリの瓶を差し出した。
「花とハーブを天然塩と交互に入れて作っています。冷暗所で一ヶ月ほど熟成すると香りが出てきますよ」
魔王を倒すために各地の教会を訪ねていたリシュアス。泊まった教会の室内には心が穏やかになれるポプリが飾られていたはずだ。
ポプリには材料を完全に乾かしてから作るドライタイプと、半乾きから作るモイストタイプの二種類が存在する。三百年前に主流だったのは後者の方で、折角作るのなら当時のものをと思って再現してみた。
目を丸くするリシュアスの表情に、懐古的な色が滲む。
「懐かしい。昔立ち寄った教会によく置かれていたんだ。各教会によって香りは様々だったが、人工的な香水と違ってポプリは素材本来の香りが活かされている」
瓶を受け取ったリシュアスは、中の重なり合った層を嬉しそうに観察する。
「入っているのはラベンダーにミント、セージ、ローズマリーか?」
「はい、正解です。よくご存じですね」
「教会で育てられている定番だからな。何度も目にして覚えていた」
リシュアスが顔を綻ばせる姿を初めて見た。その姿があまりにも綺麗で見とれてしまう。
(ううっ、リシュアス様が格好いいよ!!)
ミゼリアは思わず呻きながら胸に手を当てた。
「気持ちの悪い声を上げるな。非常に不愉快だ」
「あ、はい。すみません」
注意されたミゼリアはスンッと真顔になる。
リシュアスはフッと笑った。
「とはいえ礼を言う。またあの時の香りを楽しめるんだからな」
大事そうに抱えるリシュアスを見て、ミゼリアは目を細めた。
「喜んでいただけて嬉しいです。もしリクエストがあれば、お好みの香りを作ります!」
ミゼリアは親指を立ててばちりとウィンクしてみせる。
前回のホットミルクは断れてしまったが、ポプリは余ったことにして渡せば恩着せがましくは感じないだろう。
ポプリは様々なハーブを使うのでホットミルクと同じでリラックス効果がある。
これでリシュアスの睡眠の質が改善されるならミゼリアも嬉しい。
(自分の存在に負い目を感じているからリシュアス様は身体を労らないんだろうけど、人には幸せになる権利がある。わざわざそれを手放さないで欲しい)
こんなことを思ってしまうのは傲慢かもしれない。
しかし、呪いに苦しんでいるリシュアスの幸せを願わずにはいられなかった。
ミゼリアにポプリの香りを提案されたリシュアスはたちまち無表情になる。何を考えているのかその表情はまるで読めない。
(やっぱり余計なお世話だったかな。調子に乗ったことを言ったせいで気分を害してしまったみたい)
背中に嫌な汗を感じたミゼリアは、急いで弁解する。
「すみません、今のは……」
「なら、シダーウッドをベースに作ってくれるか?」
意外な言葉が返ってきて、ミゼリアは固まった。
「えっ、シダーウッドですか? 木の温かみのある香りが特徴で、森の中を歩いているような気分になりますね」
「そうだ。昔、辺境の教会に泊まったんだが、その部屋にシダーウッドのポプリが置かれていた。あまりにも心地の良い香りでぐっすり眠れたのを今も覚えている」
「お任せください。早速作って明日持ってきますね!」
ミゼリアが胸を張って拳で軽く叩けば、リシュアスが穏やかな笑みを浮かべる。
「そうか。心待ちにしている」
ポプリをきっかけにリシュアスが自暴自棄な自身の行動を省みてくれるようになるかもしれない。
ミゼリアの胸に、淡い期待が湧く。それと同時にどう調香するかのアイデアが膨らんだ。
「シダーウッドと合わせるなら、ベルガモットやローズマリーの香りと合わせるのも良さそうですね」
「シトラスとの組み合わせるのはどうだ?」
「良いと思います。柑橘系の爽やかな香りはウッディ系の香りともマッチします」
「なるほど。だが提案してくれたローズマリーも捨てがたいな」
「好きなもの全部入れちゃいます? でも、それだと香りが喧嘩しあって大変なことになるかもしれないですね」
何を入れるかで話が盛り上がり、気づけば夕陽が窓から差し込んでいた。
ポプリは最終的にシダーウッドとシトラスをメインに組み合わせる方向で話が纏まった。
ミゼリアは小脇にバスケットを抱える。
「今日はこれで下がらせていただきます。念のため訊きますけど、この後のお世話は必要ですか?」
「答えはとうに分かってるだろ?」
リシュアスが腕を組んで目を眇めてくる。
「ですよねー」
ミゼリアは笑いながら側頭部に手を置く。そしてふと、ある素朴な疑問が湧いた。
「失礼を承知で質問するんですけど、お風呂は毎日入ってますよね? 死なないからお風呂に入らなくても問題ないとか言わないでくださいね?」
毎回訪ねる度にリシュアスはソファの上で横になっている。他のことをしている姿は見たことがない。
死なないという理由でいろいろなことに無関心になった結果、お風呂に入らなくなった可能性はなきにしもあらずだ。
するとリシュアスがソファから立ち上がり、ミゼリアに詰め寄る。
上背のあるリシュアスが間近で見下ろしてくるので、視線をあわせるために見上げるミゼリアは首が痛かった。
彼の額に青筋が立っているのは気のせいだろうか。
「おまえは俺を何だと思っている? 不潔な男に見えるのか!?」
あまりの迫力に、リシュアスが本気で怒っているのが分かった。
怒りを静めるためにミゼリアは弁解する。
「いいえ、ちっとも。清潔なのは分かっていました。ただ念のため訊いただけですので怒らないでください。あ、そうだ。お詫びに私がお背中を流しま……」
「必要ない。出ていけ!」
火に油を注ぐ形となり、リシュアスの眉間の皺が深くなった。続いて、ミゼリアは横抱きにされた後、ぺいっと廊下に放り出される。
「わあん、怒らないでください。これは軽いじょうだ……」
ゴミを見るような目でリシュアスに睨まれたミゼリアは、居住まいを正すと「すみませんでした」と深謝した。




