第12話
「インス卿」
少し離れたところのベンチには、クリフが腰を下ろして手を振っている。
ミゼリアはクリフに近づいた。
「考えごとをしていただけです。インス卿は?」
「見ての通りお昼休憩中。本当は食堂で食べたいけど、知らない女性からやたら声をかけられるし、それを見た男性からは女たらしって僻まれるから落ち着いて食事ができないんだよね」
クリフはルックスが良い上に話しかけやすい雰囲気を醸し出している。しかも侯爵家出身とあれば、貴族の独身女性が秋波を送るのは想像に難くない。
貴族社会に詳しくないミゼリアも、家督が上であればあるほど将来が有望であるのは知っていた。
(天然の女たらしでも女性関係で困ることはあるのね……)
上位貴族は大変だと感じていたら、クリフが前髪を掻き上げる。
「けど、食堂でお昼を食べなかったからこうしてミゼリアさんに会えたよ」
「それはどうも」
ミゼリアは乾いた笑みとともに軽く受け流す。
すると、甘い笑みを零していたクリフが急に仕事中のキリッとした顔つきになった。
「真面目な話をすると、こうして休憩が取れるのはミゼリアさんのおかげだよ。最近バトス室長への報告が予定より早くできているわけだし。ありがとう」
「そうですか。お役に立てているようで何よりです」
ミゼリアはクリフの助手という形で仕事の手伝いをしている。
今作っているのは回復薬。大量に頼まれているので量をこなすのに苦労した。
ミゼリアは薬を作成するだけだが、クリフはその後の検品と報告書の作成を行ってくれている。報告書は薬とともにバトス室長のもとに届けられ、承認されれば軍部へ運ばれるという流れになっていた。
王室薬局で仕事をしたのはまだ指で数えられる程度だが、放り込まれた軍部調剤室は想像以上に激務だった。
(あの量をインス卿はこれまで一人でこなしていたんだよね。女の人をダメにする人ではあるけど、仕事に関しては純粋に凄いと思う)
ミゼリアが尊敬の念を抱いていると、クリフは脇に置いていたランチボックスを膝の上に置いて蓋を開ける。
そこにはキャラメルでコーティングされた、スライスアーモンドがたっぷりとのっているサブレがたくさん入っていた。
艶々と輝くそれに吸い寄せられるように、ミゼリアは中を覗き込む。
「すごく美味しそう。こんなお菓子は初めて見ました」
「フロランタンっていうお菓子だよ。うちの領の名物なんだけど、王都では見かけないよね。故郷の味が恋しくなって、たまにばあやにお願いして作ってもらってるんだ」
クリフの生家であるインス侯爵家は、北部の辺境地を治めている。王都からかなり距離があるため、独自の文化が発展しているようだ。
ミゼリアがフロランタンに見入っていたら、クリフがスッと一枚を差し出してくれる。
「良かったら食べてみて。そうだ、同じ職場のよしみでミゼって呼ばせてもらうね。僕のことはクリフと呼んでくれて構わない。ミゼの美味しそうに食べる姿が見たいなあ」
「……」
ミゼリアは、男性から僻まれるのはそういうところだぞと言ってやりたい衝動に駆られたが、グッと我慢した。
食べ物に罪はないのでありがたく受け取る。
クリフの隣に腰を下ろしてフロランタンを食べてみた。
アーモンドの風味とバターが利いたサブレがキャラメルの濃厚な甘さを引き立てている。
「何これ、めちゃくちゃ美味しい!」
ミゼリアが瞳を輝かせると、クリフが嬉しそうに目を細める。
「でしょでしょ? 夏場は気温のせいでキャラメルが溶けるから今時分しか食べられないんだけど。控え目に言って最高だよね」
「冬だけ食べられるお菓子。さらに特別感が増しますね」
クリフは同意するように深く頷く。
もう一枚食べるよう勧められ、ミゼリアは遠慮なくいただくことにした。
クリフも前方を眺めながらフロランタンを囓る。
「王宮の食堂って豪華なメニューばかりで大衆向けが少ないじゃん。だからたまにこういった家庭的というか、故郷の味が恋しくなるんだよね」
クリフが言う様に、王宮の食堂は大衆向けの料理のバリエーションが少ない。ここで働いている職員のほとんどが中央貴族出身なのも理由に挙げられるだろう。
食堂の料理はどれも素晴らしいが、平民出身であるミゼリアの口には合わない。
自然と注文してしまうのは、サンドウィッチやキッシュといった気軽に食べられる料理ばかりだった。
「確かに恋しくなります。ここの食事は慣れ親しんだ味とは随分違いますから」
ふと、ミゼリアの脳裏にリシュアスの姿が浮かぶ。
魔王を倒すため、仲間とともに各地を旅していたリシュアス。その間、彼は何を食べていたのだろう。
少なくとも王宮で出されるような豪華な食事は口にしてこなかったはずだ。
(リシュアス様が食事をしなくなったのは、王宮の味が嫌になっているのもあるんじゃないかな?)
不老不死で三百年生き続けているリシュアス。
毎日贅沢な料理が提供され続けたら、食傷してしまうのではないだろうか。その上、自分の存在に負い目を感じているため、食べなくなるのは自然な流れなのかもしれない。
ミゼリアが物思いに耽っていると、クリフが秘密を打ち明けるような声音で話してくる。
「実を言うと、このフロランタンには言い伝えがあってね。僕の先祖、おじいさまが旅先の教会で四人の英雄に出会ってこれを振る舞ったら、とても喜ばれたらしいんだよ」
四人の英雄は魔王討伐の旅の間、各地の教会で身体を休めていたというのは有名な話だ。
村や町には必ず教会があり、人々の祈りに包まれた神聖な教会内は魔力を回復するのに打ってつけの場所だった。
「おじいさまにとってその出会いはかけがえのない宝物になったんだろうね。教会で使われていたポプリと同じ物を作らせては香りを嗅いで思い出に浸っていたらしいから」
「ポプリですか?」
室内香として使われるポプリが誕生したのは今から三百年ほど前のこと。教会の修道女が魔王軍に怯える人々のために、家の中だけは心穏やかになれるようにと開発したのが始まりだ。
件の品はクリフの先祖が生きていた頃と重なるし、香水が普及した現代とは違い、当時は画期的だったのだろう。
(もしかしたら、これを使えば――)
不意にある考えが浮かんだミゼリアはベンチから立ち上がる。
「どうしたの?」
突然立ち上がったミゼリアに、クリフは怪訝そうに首を傾げる。
「ありがとうございます。クリフ卿のおかげで行き詰まっていた問題が解決できそうです」
「そうなの? えーっと、よく分からないけど君の心を晴らせたなら僕もうれ……」
「では失礼します」
逸る気持ちを抑えられないミゼリアは、クリフが甘い言葉を吐いている途中で駆け出していた。




