第10話
玄関ホールの床はワックスで艶めいていて、陶磁器の花瓶にはプリムローズが生けられている。
外観だけでは分からなかったが、暖房設備も整っていて玄関なのに温かかった。
ミゼリアが周囲を見回していると、奥から中年女性がやって来た。
茶色の髪をしっかり纏め上げ、こちらを見つめる緑の瞳には知性が滲んでいる。そんな彼女は黒のお仕着せにエプロンとメイドキャップをつけていた。胸元にはクリスタルのプレートが光っている。
「おはようございます。コンラッドより話は聞いています。私はデボラ・ラスキンです」
フッと笑うとデボラの目尻に皺ができる。無表情だときつい印象を受ける彼女だが、笑うと愛嬌があった。
「彼女はこの離宮の侍女長です。あとは侍女と従僕が二名、庭師と料理人が一名働いています。事前に説明したとおり、ここで働く者はベルダース家の関係者で構成されています」
ついでに、コンラッドからデボラは叔母だと教えられた。
どことなく雰囲気が似ているのはそのせいのようだ。
「今日からよろしくお願いします。私はどんな仕事をしたらいいですか?」
デボラは「早速で申し訳ないのだけれど」と前置きを添えて仕事内容を伝えてくれる。
「あなたにはリシュアス様の身の回りのお世話をしてもらうわ」
「え? 新人の私が担当してもいいんですか?」
「薬師の仕事と掛け持ちだと聞いているから、ルーティンワークは難しいでしょう? それに、私たちは離宮の管理で手一杯なの。ミゼリアがリシュアス様専属のお世話係として勤めてくれたらとても助かるわ」
専属のお世話係という大役を任されて顔を綻ばせる。ミゼリアは胸を拳でトンと叩いた。
「お任せください。精一杯頑張らせていただきます。リシュアス様は、普段どのように過ごされているんですか?」
ミゼリアが元気よく手を挙げて尋ねると、デボラが微笑みながら答えてくれる。
「そうですね。この時間帯だと、小広間のソファで寛がれています」
ミゼリアはポケットからメモを取り出し、一言一句聞き逃すまいとペンを走らせる。
「なるほど。その後は何をされてますか?」
「午後は小広間のソファに寝っ転がって怠惰に過ごされています。日が暮れると、ベッドで横になると仰って寝室へ向かわれます」
「日がな一日ソファかベッドの上でゴロゴロしてるだけじゃないの!」
思わずツッコミを入れていたら、近くの扉が開いた。
リシュアスが剣幕な顔で現れる。
「デボラ、その言い方にはトゲがあるぞ」
「ひ、ひええっ!!」
ミゼリアは目を剥いて悲鳴を上げた。
というのも、昨夜正装だったリシュアスが白シャツと紺のズボンといったラフな格好で登場したからである。一見、細身に見える身体はしっかりと鍛え抜かれていて、白いシャツから垣間見える胸板が艶めかしい。
後ろに倒れそうになったミゼリアは、寸でのところで踏み留まった。
(ああ、リシュアス様のプライベートな一面を拝めるなんて幸せ。眼福だわ!)
まさにここは天職。コンラッドに今すぐお礼を伝えたいところである。
「表向きの理由と同じで、ミゼには庭の管理でもさせておけ。俺のことは必要な時にコンラッドが対応してくれたらそれでいい」
不満げなリシュアスに対して、コンラッドは首を横に振った。
「ミゼリアさんには適材適所仕事を振る必要があります。それと私はリシュアス様の側近であって小間使いではありません。文官の仕事も兼務しているので多忙です」
「毎日俺の所に顔を出して職場の愚痴を吐いていくだけのどこに多忙な要素が? 三百年前と違って印刷技術が進んでいるから公文書の作成は楽になっただろ」
「効率化が進んで余暇が手に入るどころか仕事は増える一方です。専属のお世話係がいてくれたら私の負担が減って非常に助かります。さらば寝不足です」
「事情は分かった。だが世話係はいらない。自分のことは自分でできる」
「まあまあ、そう仰らずに。ミゼリアさんはやる気満々のようですし、働かせてあげてください。では私はこれから叔母上と打ち合わせをするので失礼します」
コンラッドとデボラは恭しく一礼すると、廊下の奥へと消えてしまった。
リシュアスは舌打ちすると、側頭部に手をやりながらミゼリアを一瞥する。
「で? 記憶は思い出したのか?」
「昨日の今日で思い出せるはずありませんよ」
ミゼリアは困った表情を浮かべてみせる。
「そうか、ならもう下がっていい。思い出したら俺のところに来い。話は以上だ」
リシュアスはこちらにくるりと背を向けて、そのまま部屋へ戻ってしまう。
残されたミゼリアは咄嗟にリシュアスの後を追いかけた。
中へ足を踏み入れると、落ち着いた瀟洒な雰囲気に圧倒された。
壁は木製パネルに包まれて温もりがあり、床のフローリングには深紅の絨毯が敷かれている。家具も同じ深紅のベルベットでまとめられていた。
リシュアスは部屋の中心にあるソファの上で横になっている。
「用がないのなら出ていってくれないか?」
リシュアスは面倒くさそうにシッシッ、と手を振ってくる。
その気怠い態度に胸が高鳴った。
(どうしよう。塩対応なリシュアス様も素敵すぎるよ)
恋は盲目というように、リシュアスのどんな姿を見てもミゼリアの目には素敵に映る。
しかし、拒絶されたという理解が追いつくと反論した。
「ここでの滞在を命じたのはリシュアス様ですよ? 何か仕事をくれないと困ります」
「仕事は与えてるだろ。記憶を取り戻して俺の呪いを解く。王室薬局で薬師として働く」
「それはそうですけど。他の仕事もいただかないと手持ち無沙汰っていうか。そうだ!」
ミゼリアはパンッと手を叩いてから小広間を飛び出した。
――しばらくして。
ミゼリアはカップをのせたお盆を手に戻ってきた。
「ホットミルクはいかがですか? 飲めば身体が温まりますし、疲れも取れますよ。眠るにしても睡眠の質は大事です」
ベッドやソファの上で過ごしているという話を聞いて、ミゼリアはリシュアスが良質な睡眠を取れていないのでは?という仮説を立てていた。
ホットミルクには緊張を和らげる作用がある。
ミゼリアがカップを差し出すと、リシュアスは一瞥してから背を向けてくる。
「いいから放っておいてくれ。死なないんだから飲み食いしなくて平気だし、睡眠の質なんて関係ないだろ!」
先ほどより強い口調で拒絶される。
ミゼリアはぐいぐい行き過ぎたと反省した。だが、今の発言は聞き捨てならない。
「不老不死だからって、身体を疎かにして良いはずないです。ちゃんと労ってあげてください」
小言を言うなと激怒されるのを承知でミゼリアは進言した。呪われて不老不死になっているとはいっても、そう言う部分はおざなりにして欲しくない。
呪いを解いて普通の人間に戻りたいのならなおのことだ。
(普通の人間から逸脱した行動は避けた方がいい。でないと、余計に戻れなくなってしまいそうだから……)
お盆を握る手に力が籠もる。ミゼリアはじっとリシュアスを見つめた。
だんまりを決め込んだリシュアスは、結局何も言い返してこなかった。
これなら怒られた方がまだマシだ。
(今日はこのまま帰った方が良さそう。また明日出直すべきだわ)
下唇を噛みしめたミゼリアは、一礼だけをして退室したのだった。




