次席家令の憂鬱②
『ムルナウの森を通る最短ルートを通ること』
これは既に決定した方針である。しかしながら、わずか2ヶ月の間に、ムルナウの森は凶暴なオオカミの群れ現れるようになったのだ。まったく、運が悪いことは重なるものだ。
伯爵領へ交易のために出発した隊商が襲われたのが、2週間前のこと。その後、毎日のように旅人や行商人が襲われるようになり、命からがら町に戻った人間の話を総合すると、大規模なオオカミの群れに襲われたことが判明する。
当初は生息するオオカミの数は20頭程度だと言われていた。元々、ムルナウの森にはオオカミの群れは生息していたが、群れの数は小規模なグループがいくつかあるくらいで、人間を襲ったという話はまったくなかった。
どうやら、強力なボスオオカミが群れを統合し、その指揮の下、人間を襲うようになったらしい。
無論、町側もこの事態を重くみて、オオカミの駆除のために町を守る騎士と冒険者を調査と討伐に向かわせた。しかし、この討伐隊は無惨にも全滅するという事態になってしまった。
ここに至って、ムルナウの森経由の道は封鎖。王国より正規軍が編成されて討伐がおこなわれるまで様子をみることになったのだ。
森を突き抜けた先の伯爵領でもその状況を知り、フェルナンドへの支援が行われた。それが伯爵の雇っている傭兵部隊の中から、強力な兵士たちからなる小隊を派遣することであった。彼らは完全武装してオオカミが支配する森を通り、このルルドの町までたどり着いた。
オオカミたちも警戒したのか、3日の行程中にこの小隊を襲ってくることはなかったが、ずっと後を付いてきていたことは分かった。隙があれば襲ってきたかもしれない。
その小隊が傭兵隊長のナダルが率いる4人の傭兵たちである。彼らは普段から素行は悪いが、傭兵としての腕は確かであった。それぞれが手にした強力な武器で並みの規模の盗賊団であったら、軽く殲滅できるくらいの戦闘力があった。武装した盗賊団よりも戦闘力が劣るであろう、オオカミごときは恐れるに足らないはずである。
百戦錬磨の傭兵たちを率いる隊長のナダルは、数々の戦場を渡り歩いた勇士であった。大槍を扱い、敵の隊長クラスを何人も討ち取った。40歳を越えるが鍛えた体は、革鎧を着用していても分かるくらいである。
噂のオオカミは問題ない。ナダル隊長が率いる傭兵たちで事足りる。フェルナンドはそう確信している。彼らの実力は、ムルナウの森を通って来る際にオオカミたちが襲ってこなかったことからも分かる。賢いオオカミたちは、関わってはいけないと判断したのであろう。
しかし、買った羊を連れていくとなるとそうはいかない。オオカミたちにとっては丸々太った羊は豪勢な獲物である。危険を冒してでも襲ってくることは予想ができた。
さらに50頭もの羊を移動させるには、専門家が必要である。ここで言う専門家は『羊飼い』だ。数多くの羊を誘導して、目的地へ移動させるのは熟練の技が必要である。それができるのは羊飼いだけだ。
彼らは相棒の牧羊犬と共に羊たちを操り、目的地まで歩かせることができる。途中で羊たちに草を食わせ、ケガや病気がないように見守る。羊飼いなしに羊を町から町へ移動させるのは困難を伴う。
大きな荷馬車に羊を乗せて運ぶ方法もあるが、荷馬車や馬がたくさん必要で費用もかかるし、なによりもそれでも羊飼いは必要だ。羊を時折、荷馬車から下ろして草を食べさせる必要がある。
そしてムルナウルートは悪路だ。馬車や荷馬車はかろうじて使えるが、道幅は細く、道も悪いのでスムーズに進める保障はない。傭兵たちも来る途中にここ最近の雨によるぬかるみ、倒木による道の遮断などいくつかの困難に直面している。
羊を統率して歩かせて移動する。これが現実的な方法である。ところが、ムルナウの森を連れて歩ける羊飼いがいないのである。
フェルナンドはこの2日間。このルルドの町だけでなく、近隣の町、村まで声をかけて羊飼いを募ったが誰もこの仕事を引き受けなかった。
羊飼いにはありえない程の多額の報酬をちらつかせても、ムルナウの森の名を聞いた途端、みんな青くなって首を横に振った。
「旦那、それは無謀ですよ」
「ムルナウには悪魔がいる。そんなところへ羊を連れて行けば、誰も生きて帰れません」
「群れのボスとなったオオカミは北方からやってきた有名なオオカミとのこと」
「そのボスが率いたオオカミの群れは、人を好んで食うらしい」
みんなそう口々に話した。彼らの中では群れのボスのことを『ピピン』と呼ぶようにもなっていた。『ピピン』とは、200年以上前の中央平原を支配した異民族の王の名前。彼の通った町や国は焼き払われ、老人や男は殺され、女子供は奴隷として連れて行かれたという。歴史上の暴君の名であった。
(これは困った。これ以上は待てない。姫様の婚礼に遅れたら大失態だ)
伯爵側もナダルたち傭兵部隊を派遣するだけでなく、森の入り口には騎士団を派遣してくれることも決まっている。他領へ騎士団は出せないので、森を通って、ここまでは来てはくれないが、森さえ抜ければ騎士団が助けてくれる。
(羊飼いさえいれば、うまくいくのに……)
そんなことを考えながらフェルナンドは焦りを隠せないでいる。今日中に羊飼いが見つからないと、いよいよ任務達成が絶望的になる。
「あの、フェルナンドさん。あなたに会いたいという人が来ていますよ」
悩んでいるフェルナンドに店の女将さんがそう声をかけた。
「何やら教皇庁公認の羊飼いだそうだよ」
四十過ぎの恰幅のよい宿屋の女将さんがそう言った。ここ2週間、この宿屋に宿泊していたフェルナンドは、この女将の手料理をずいぶん食べてきた。うまい料理を作る愛想のよい女将だ。行商人や旅人から人気なのも分かる。
顔が広い女将がフェルナンドの窮状を知って、いろいろと手を尽くしたところ、引き受けてもよいという羊飼いが現れたらしい。




