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したたかな羊飼いは、黄泉比良坂を突き抜ける  作者: 九重七六八
1章 その羊飼いはオオカミの森を突き抜ける
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地下通路

 階下に降りた俺は、状況を冷静に考えられるだけの落ち着きを取り戻していた。状況は最悪であるが、アリエスには『神の奇跡』がある。あの不思議な力の使いどころで、このピンチを凌げるかもしれない。


「アリエスさん、何かこの状況で役立つ『神の奇跡』でもあるのですか?」


 期待を込めて俺はそう彼女に聞いた。しかし、答えは俺の期待を裏切った。


「残念ですが、オオカミの大群を何とかする奇跡はありません。基本的に神の奇跡は直接的に生き物を殺すようなものではないからです」


 確かにこれまでアリエスが使った『神の奇跡』は、見えない手でオオカミを遠ざける奇跡や、地面が破裂して踏んだオオカミを遠くに飛ばす奇跡があった。

 飛ばされる途中で、何かにぶつかったり、落ちどころが悪かったりして死ぬオオカミもいただろうが、多くは怪我をするだけであったろう。攻撃魔法と言うより、防御魔法の効果だ。


「それでは僕もアリエスさんもここで死ぬことになります」


『神の奇跡』が期待できないなら、万事休すである。俺には絶望的な状況にしか思えない。この役場はオオカミたちに包囲されている。建物に籠城してもオオカミたちに壁を破壊されてしまうだろう。

 オオカミと戦えるのはナダル隊長だけである。その隊長は部下2人がオオカミたちに殺されたことも知らず、今も裏口のバリケードでオオカミたちと格闘している。

 1階のホールには50頭の羊と荷馬車を引いていた馬が1頭いる。動物たちも不安そうな声で鳴いている。動物の本能でオオカミたちの気配を知っているのであろう。

 突然、1階のホールに響く物音がした。男の怒鳴り声と共に、裏の扉から転げるようにナダルが入ってきた。全身、返り血で赤く染まっている。ナダルは呼吸を荒げながらも、すぐに扉を閉めて閂をかける。どうやら裏口のバリケードでは支えられなくなったようだ。


「裏口はもうダメだ。表口のゴードンとモーリスは!」


 怒鳴るようにナダルは俺とアリエスに尋ねる。俺は2人が死んだことを言葉にしようとしたが。頭が混乱して何から説明しようかと迷った。それを見てアリエスはごく自然と首を振ってこう言った。


「お二人とも名誉の戦死を遂げました」

「なっ……。なんだと、2人ともか……」


 冷たいとも死を傷んでいるとも取れるアリエスの言葉は、返ってナダルを冷静にさせたようだ。途中から裏口に殺到してきたオオカミの行動を考えれば、表の防御にあたってきた両名に何かあっても不思議ではない。

 オオカミたちが表と裏の扉に体当たりをしている音がホールに響く。このままでは、扉が壊されて建物内に侵入されるのは時間の問題となる。

 扉の補強で守るにしても、賢いオオカミのことだ。燃えている家屋から火を移し、この建物に放火する可能性もないとはいえない。そうなれば建物から出るしかない。出れば自分たちは、オオカミたちの饗宴のごちそうになってしまう。


「ナダル隊長、フェルナンドさん。こっちの床を見てください」


 状況の深刻さを理解していないのか、アリエスの言葉には緊張感がない。俺たちがアリエスの示す方向を見ると、彼女は床に敷いてあった敷物をどかしているところであった。

 不思議なことに床に金具が取り付けられている。床面と同じ高さになるように、引き出し式の取手金具のようである。


「この扉は重いと思います。お二人の力で開けてください」


 アリエスはそう言った。ナダルと俺は、2つの取手を床面から引き出すと、それを持ち上げ左右に開いた。


「な、なんだ、これは!」

「地下にこんな通路が……」


 幅4m、高さが2mもある地下通路が出現した。


「昔、この村は盗賊団によく襲われていました。その時に作られた緊急脱出用の通路です。物資も運べる仕様になっています。この広さなら羊も馬も通れますね」


 アリエスはにっこりと微笑んだ。この森を通ることになったとき、廃村となったこの村についての情報をナダルたち傭兵は集めていた。

 しかし、この情報は知らなかった。さらにこの廃村も一度立ち寄って調査もしたが、こんな隠し通路を見つけることはできなかった。


「アリエスさん、この通路のことを知っていたのですか?」


 俺はそう尋ねた。さっきから落ち着いたアリエスの様子の理由が分かった。


「はい。フェルナンドさん。元この村の住人から聞いたのです。役に立つとは思いませんでした」


 アリエスは屈託のない笑顔を見せたが、俺はその笑顔に違和感を覚えた。冷静に考えれば、この通路のことを知っていたのに今まで隠していたことになる。戦いの疲労で疲れ切っているナダルはそのことに触れないが、俺にはアリエスの態度が普通ではないように思えた。


(彼女は偶然にこの仕事を引き受けたのではないのでは……。だとしたら狙いはなんだ。ルードの消息は不明も疑問。モーリスとゴードンがこうもあっさり死ぬのもおかしくないか)


 俺はアリエスを疑い始めた。まさかと思うが、アリエスが3人の傭兵の死に関わっているのではないか。そんな疑念だ。


(だけど、この状況はアリエスにも危機的状況。オオカミは人間がコントロールできるものではない。それに傭兵を故意に殺めたのなら……。次のターゲットは……)


 フェルナンドは地下通路を調べているナダルの後ろ姿を見る。


(ナダル隊長か……)

「かなり奥まで続いているようだ。壁にはたいまつを置ける場所もある。これなら脱出できるかもしれない」


 通路を調べたナダルはそう言った。


「この通路は森の端まで続いているとのことです。そこから3キロほどで森を抜けられます。そこにオオカミたちがいなければですが。私が先導します。後方をナダル隊長。フェルナンドさんは馬を引いてください。時間がありません。行きますよ」


 アリエスは手際よく羊たちを一列に並ばせ、自分を先頭に地下通路に入っていく。


「我が仕えし、裁きの神、正義の神ジャスティス。我に力を与え給え。我らの行く先、偉大なる慈悲によって進むべき道を照らせ。イルミネ・ラ・ルウト・アベク・デ・ラ・ルミネア」


 アリエスが神の奇跡を願う。アリエスの持つ杖の先に明るい光が灯る。それだけではない。通路の壁に転々と小さな丸い光源が現れる。これなら通路を歩ける。

 最後の羊を中に入れるとナダルは、重い扉を閉めた。この分厚さなら、オオカミたちが壊すことは難しい。ここを使って追っては来られないだろう。


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