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したたかな羊飼いは、黄泉比良坂を突き抜ける  作者: 九重七六八
1章 その羊飼いはオオカミの森を突き抜ける
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廃村の死闘③

「きゃああああ~」

 

 不意にアリエスの叫び声が聞こえた。俺には、その声は階下から聞こえたように思えた。フェルナンドはロープを伝ってくるモーリスを見る。物見櫓の柱に火が付いているものの、まだそれが物見櫓を倒すほどではない。

 モーリスの動きは至ってスムーズで、あと1分もすれば無事にたどり着けそうである。階下から聞こえてきたアリエスの叫びの方が緊急事態である。もしかしたら、1階にオオカミが侵入したかもしれない。1階には羊と馬しかいないのだ。焦る気持ちを抑えて、俺はアリエスの声がした1階へと駆け下りて行った。


「アリエスさん!」


 しかし、俺が階下で目にしたのは羊たちの群れ。アリエスの姿はどこにもない。


(おかしい……。確かに彼女の声が聞こえたのに)


 俺は他の1階の部屋をくまなく捜す。やはりアリエスの姿はどこにも見当たらない。


「うあああああっ!」「きゃああああ~」


 男の声と女の声が2階から聞こえる。俺は2階を見る。そして外から強烈な破壊音がしてきた。地響きを立てて地面から震動が伝わってくる。


「しまった。外か!」


 慌てて駆け戻ったフェルナンドは、ベランダでうずくまるアリエスを発見した。彼女は1階ではなく、2階のどこかの部屋にいたのだ。1階から聞こえたというのは俺の聞き間違いだったのであろう。

 そしてうずくまりながらバルコニーの外を指さしているアリエスを見て、俺はゆっくりと2階バルコニーから下を見る。

 そこには切れたロープと地面でオオカミたちに食われて絶命しているモーリス。そしてそれを助けようとバリケードから出たゴードンが、オオカミたちと死闘を繰り広げていた。ゴードンは血みどろで何やら叫びながら、巨大な戦槌を振り回していたが、明らかに劣勢である。


「ゴードン、危ない!」


 俺が叫んだところで、ゴードンには届かない。死角から低く飛び込んだオオカミがゴードンの右アキレス腱を食いちぎった。地面に倒れるゴードン。あらゆる方向からオオカミが殺到し、阿鼻叫喚の光景が広がるだけだった。


「アリエスさん、何が起きたのですか?」


 ブルブル震えるアリエスに俺は問い正す。自分が階下へ降りていた3分ほどの間に激変した様子を聞きたかったのだ。


「と、突然、ロープが切れたのです。それでモーリスさんが落下して……。それを見たゴードンさんが助けようと飛び出して、あのようなことに……」

(そんな馬鹿な……)


 ロープはしっかりしたものであった。しかもモーリスは1度往復している。その時は切れる心配はなかった。それでもロープは切れたのは事実だ。モーリスがいた物見櫓は、柱を伝ってきた火によって燃え上がっている。結んであったロープも燃えている。

 目の前で落ちたモーリスを助けようと突出したゴードンは、深く考えない性格であった。バリケードから出れば眼下のような結果になることは予想できた。


(これも神のご意志なのか……。物見櫓の火でロープが焼き切れた・・・…)


 そう考えるしかない。目の前で2人の傭兵が死んだ事実は動かしがたい。俺はショックを受けたであろうアリエスの肩にそっと手を置いた。


「アリエスさん、彼らは勇敢に戦いました。あれは仕方がないことです。神のご加護が届かなかっただけです」


 そう言って俺はアリエスを励ました。ここでショック状態になってしまうと生き残れない。今は戦闘力がある2人の傭兵が失われ、あとは裏扉を守るナダル隊長だけとなった。

 俺とアリエスだけでは、オオカミたちの猛攻を防げない。このままでは、夜が明けるまでに2人とも同じ運命である。


「だ、大丈夫です」


 腰を抜かしたように見えたアリエスは、スクッと立ち上がった。それを見て俺は安堵した。どうやら気持ちを切り替えたようだ。


「モーリスさんについては、幸運だったと思います」

(何を言っているんだ……)


 俺は立ち上がると同時に放ったアリエスの言葉に呆然とした。


「ロープが切れたとはいえ、この高さから落ちても死ぬとは限りません。むしろ、受け身を取れば怪我で済んでいたことでしょう。しかし、それではオオカミたちに生きたまま食べられるとういう苦痛を味わったはずです。打ち所が悪くて首を折って死ぬなんて、モーリスさんはゴードンさんに比べて、少しだけ善人だったのでしょう。ゴードンさんには悲惨な報いが下されたようです」

「……そ、そうですね」


 俺はアリエスの言葉に納得せざるを得ない。モーリスを助けようとしたゴードンは、オオカミたちの一斉攻撃の前にアリエスの言う最悪の死に方となったのだ。アリエス流に言うなら、ゴードンはこれまで彼がやってきた罪の報いなのだ。

 俺は2人の傭兵の死を悼んだ。数秒だけ目を閉じて開いた。俺の目に手すりに縛られたロープが映された。それは縛り目から数センチのところで切れていた。なんだか急に背筋に冷たい物が走った。


(ロープがなぜ切れている……。燃えて切れたのではないのか?)混乱した俺の目の前にアリエスが立った。視界が変わる。アリエスの気丈な声で、俺は我に返った。


「フェルナンドさん、どうしました。気分が悪いのでしょうか。グズグズしていられません。階下へ行きましょう。表のバリケードが破られたのです。裏口も守り切れないでしょう。何とか建物内への侵入を阻止する手立てを考えましょう」

「そ、そうですね」

「大丈夫ですよ。あなたは、今晩は生き延びられると思います」


 アリエスは俺を励ますように背中をポンと叩いた。


(そうだ。今晩は生き延びられる……)


 このときの俺はこの言葉の意味を深く考えられなかった。



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