2日目の逃走③
アリエスは『鷹の目』の奇跡でオオカミの動きをとらえていた。上空から森を俯瞰的に見られるこの能力で、現在のオオカミたちの動きを知ることができた。
神の奇跡で誘い出したオオカミたちは、十分な距離を引き離すことができた。奇跡で生み出した影の囮は1時間が経って霧散してしまってはいたが、それまではオオカミの追っ手を引きつけることに成功していた。
だまされたオオカミたちはしばし混乱していたが、リーダーの指示で岩場まで戻り始めたようだ。
(これでこのオオカミたちには、今日の夕方までは追いつかれない)
それでも結果的には、作戦は半分成功し、半分はうまくいかなかった。なぜなら、数は少なくなったとはいえ、20頭ほどにオオカミが岩場にしばらく待機しており、それが追跡し始めたのだ。
(オオカミのリーダーは、かなり頭がいい。こちらの動きを予測して、しばらく岩場で待機していたのね。そしてずっと見られていた)
神の奇跡で「臭い」「音」「姿」を消したのだが、じっくりと観察をされてしまった。おそらく、風の影響でわずかに何かが見えてしまったのだろう。じっと見ていれば、空間の歪み、姿の一部が移動の影響でどうしても違和感として残ってしまう。
羊たちの先頭に立って西を進むアリエスは、オオカミたちの動きを分析している。20頭の追跡者は、しっかりとこちらの位置が分かっている訳ではなさそうだ。その証拠に5頭ずつの集団に分かれて、森の中を探索しながら追ってきている。それでも方向を変えないのは、こちらの目的地が西にある廃村だと見抜いていると考えられた。
「ナダル隊長、道を変えます」
アリエスの言葉にナダルも俺も驚いた。
「オオカミは見当たらない。このまま行けば、川を渡れる橋がある。何とかたどり着けるのではないか?」
ナダルは辺りを見回してそう言った。オオカミが追跡してきている気配はし
ない。俺もナダルの意見に賛成だ。順調に進んでいるのにわざわざ遠回りをする必要性を感じない。
しかしアリエスは首を振った。鷹の目の奇跡で上空からオオカミたちの動向を見ることができるアリエスは、ピピンの指示の元、こちらを囲い込むように
移動している彼らの動きが分かっていたのだ。
「いえ。このまま行くと90分後にはオオカミたちに襲われます。もう臭いと音消しの奇跡の効果がなくなる頃です。彼らは臭いと音をたどって一直線にやってくるでしょう。そして既に橋の向こうには包囲網が築かれていると思います」
具体的な状況を話すアリエスに傭兵隊長も俺も反論ができない。
「では、どうすればいいのだ?」
ナダルの問いにアリエスは事もなげにこう言った。
「川を渡ります」
「川を渡る?」
川を渡るという案は、最初にナダルがアリエスに意見を聞いたときに話していたことを思い出した。その時は本当に川を渡るとは思わず、聞き流してしまっていた。
「無理だ。羊の群れを連れて川など渡れるものか!」
モーリスとゴードンが反対する。彼らの経験上、この森の北にある川は急流で、渡海するポイントなどないはずだった。
「一カ所だけあります。そこなら浅瀬で渡れます。そこを渡るために村へ行くまでの距離は延びますが、十分に渡れます。川を渡れば、オオカミたちの待ち伏せをかわすことができます。但し、そこで荷馬車を捨てます」
「荷馬車を捨てたら食料がなくなる。装備を失うリスクは避けたい」
荷馬車には傭兵たちの食料、羊たちが食べる藁束が積んである。予備の武器や装備もある。
「隊長さん、食料については、今晩食べる分だけ各自で持てば良いです。装備も然り」
アリエスはそうナダルに説明する。この状況ではアリエスの指示に従うしか選択肢がなかった。昨晩のオオカミたちの攻撃は、想像を絶するものであったし、アリエスの神の奇跡がなかったら、全員、オオカミの餌になったことだろう。
ナダルは考えている。俺も覚悟を決めた。アリエスの能力は昨日の活躍で十分に分かっていた。彼女の言っていることには信憑性がある。これは他の傭兵、モーリス、ゴードンも同様だろう。
「隊長どうしますか?」
「ンゴ……。この娘の言うことは信頼できるンゴ……」
ナダルは少しだけ考えたが、他に代案が思い浮かばない。アリエスの言うとおり、オオカミたちが先回りをしている確信はないが、長年に渡って傭兵をしてきた経験から、嫌な感じはひしひしと伝わってきた。川を渡る作戦は無謀であるが、それはオオカミたちにとっても予想できない行動であろう。
「分かった。川を渡ろう」
「川に着けば、少しは休む時間があると思います」
俺たちはアリエスの意見に従って、道を変更した。ここまで森の道は過去に整備された道だった。今から通る道は獣道。荷馬車を伴っての移動は楽ではなかったが、やがて渡河ポイントにたどり着いた。




