2日目の逃走②
(ピピン様、奴らが動き始めました)
(恐らく、強行突破を図ると思われます)
前線から報告が狼王の下に届く。壊滅的になった第2軍団は、昨夜の内に被害状況を確認し、無事なオオカミで編成が完了していた。とはいえ、13頭が死亡、22頭が負傷で動けずと戦力が大幅ダウンしていた。辛うじて木への激突を免れた軍団長のデオウが、残った14頭を率いている。
(この屈辱は奴らの肉であがなってもらうおう。奴らの数はどれくらいか?)
昨晩は左右に散って偵察に専念していた第1軍団のジャギから報告する。
人間の数6人。羊がおよそ60頭。そして馬が1頭。それが今回の獲物の総数である。人間6人の内、武装しているものが4名。かなりの手練れらしい。2人に対し、3頭で戦ったが短い時間で全滅したとの報告がある。
(人間の兵士は強いが、所詮、数は4人。しかも60頭近くの羊を連れての移動。例え、恐ろしい能力が使えようとも、背後からじわじわと削っていけば、それで終わる。余も出るぞ!)
後方からの執拗な追跡で脱落した羊から、食っていくのはピピンの群れの必勝パターンである。どんなに人間が強くても、消耗戦に持ち込めばオオカミに勝てるはずがない。オオカミが群れで狩りをする賢いとハンターと言われる所以である。
(ピピン様、お待ちください)
ピピンの傍らで聞いていた妃隊のハクヒである。白い尻尾をピンと立てて、こう進言した。
「私は人間たちの中にいる羊飼いが気になります」
「ハクヒよ……それは余も同じだ。しかし、いかに不思議な力を使おうとも、我らの波状攻撃ならば押し切れるとの判断だ」
人間たちに魔法という攻撃手段があることは、ピピンも経験上知っていた。確かに強力ではあるが、魔法を発動させるには時間がかかる。さらに連発はできず、回数も制限されている。これまで幾度となく戦ってきた討伐隊との戦闘で、痛い思いもしたし、逆に弱点をついて魔法使いを殺してきた。今回も脅威ではあるが、勝てない戦いだとはこれっぽっちも思わない。
「いえ、私が申し上げるのは単純に強行突破をするのかということです」
「言葉ながらハクヒ様。岩場に追い詰められた奴らができるのは、強行突破しかないですよ。他に何があるというのですか?」
ジャギがそうハクヒに反論する。戦力差が圧倒的にあることは人間も分かっているはずだ。それに籠城するには水も食料もない。
「昨日は私たちの包囲網をまるで知っていたかのように翻弄し、追跡をかわしながら損失も出さずにあの岩場へ逃げ込んだ奴らです。何かあると考えて行動した方がよいと私は申し上げているのです。それは昨日、まんまと包囲網を突破されたジャギ殿が一番感じているはずでは?」
「うううう……それは……」
昨日の失敗は功を焦った自分の判断ミスが大きいとは言え、仮に報告したとしてもすり抜けて逃がしただろうとジャギは思い直した。臭いも音も消された状態では、すぐには有効な作戦は立てらなかった。
「分かった。ハクヒの進言をよしとする。まずはジャギ、デオウよ。配下のオオカミで、追跡して徐々に削ってゆけ」
「ピピン様はどうなさります?」
「うむ……。余は老親衛隊と妃隊と共に少しここに留まる」
「ここに留まるですと?」
意外な言葉にジャギは問い返した。これまでなら、これだけの仲間が殺されたら、ピピン自身が先頭に立ち、人間どもを殲滅していたからだ。
「ハクヒの進言どおり、奴らが素直に強行突破するとは思いがたい。やはり、羊飼いが気になる。奴が何か策を練っている可能性がある。余はそれを見極めてから後ろを追う」
「御意!」
ジャギとデオウは命令どおりに岩場から出立したターゲットを追う準備に取りかかった。わざと道を空けて誘い込み、後ろと左右から襲いかかって、少しずつ削り取っていくのだ。
やがて、人間どもが犬と羊を先頭に出発した。ジャギとデオウは配下のオオカミに命じて、岩場から十分離れるまで気配を消して後を追う。引き返して岩場に戻ることができないくらいの距離までは襲いかからない。
ジャギとデオウが去ってからも、ピピンはしばらく本陣を動かなかった。岩場をじっと観察する。するとどうだろうか。何かおかしな感じがする。
確かに人間と羊が全速力で岩場から駆け抜けた。オオカミの包囲を突破するために密集隊形も理にかなっている。
(が……、何か息づかいが違う)
ピピンは脱出していく人間どもから、生命力を感じない。生きるのに必死な人間は、もっと熱量があるのに淡々としているのだ。まるで人形のような無表情が、集団からは感じられた。
ジャギとデオウが後を追う。ピピンは少し待った。妃のハクヒが誰もいないであろう岩場の方に耳を向けてじっと見ているからだ。
(ハクヒよ、何か感じるか?)
(いえ、臭いも音もありません。しかし、なぜか気になるのです)
ハクヒの白い柔らかい毛がかすかに揺らいだ。先ほどの集団とは別方向に向かって何かが進み、それに空気が押されてこちらに流れてくる……。そんな感じに思えた。
ハクヒは目を懲らした。オオカミの目はさほど良くないが、ハクヒは特別であった。何もない景色をじっと見る。
(どうやら取り越し苦労だったな。ハクヒよ、老親衛隊と妃隊も出撃するぞ)
ピピンはジャキたちの追撃部隊の後を追う命令を出そうとしたが、ハクヒは首を振った。
(ピピン様、何か見えます。あちらの方……)
鼻先で指し示す方向は、ジャギたちが追っていった方向とは反対方向。遠くの方で何かがキラリと光った。
(なんだ、あの光は?)
(人です。あれは人の武器の光です!)
ハクヒは確信をもってそう言った。何かが反対方向へ移動していることは確かだ。
(不思議な力で姿を隠しているということか!)
ジャギたちが追っているものが何なのかは分からないが、それが囮だとすると納得がいく。あの光った方向にいるのが羊の群れだろう。
(老親衛隊と妃隊はついて来い!)
かなりの距離は離されているけれども、ここから全速力で追えば、追いつけなくはない。
一方、囮の追跡に向かったジャギとデオウは、1時間余り追跡し、途中で何回か攻撃を加えたが、手応えがないことに気がついた。追っているものは実体がない影のようなものであった。先回りして包囲したが捕らえることができず、やがて風の中に溶け込むようにそれは消えてしまった。
(だ、だ、騙された!)
唖然とするジャギとデオウ。岩場から10km以上も離れたところまで、誘導されてしまったのだ。慌てて岩場まで戻るがそこには敬愛する狼王はいなかった。




