陽動作戦①
「我が仕えし、裁きの神、正義の神ジャスティス。我に力を与え給え。今ここに我らを守る盾。存在せし盾の力の全て。尊き神の奇跡を取り去って……。ア・ニュレ」
アリエスは無音の奇跡を無効とした。急に音が聞こえだした。羊の鳴き声も聞こえるようになった。
「どうして音が聞こえるようになったのです、アリエスさん」
急に羊たちが停止し馬車も止まる。馬車を操縦していた俺はアリエスに尋ねる。
隊長のナダルも周りを警戒しながら、馬車から降りてアリエスの元にやって来た。
「どうやらオオカミたちに察知されたようです。この状況では、無音の奇跡は意味がないので解除しました。我々の情報伝達にも阻害されますし、臭いはむしろ敵を欺く方向に使う方がよいでしょう。」
アリエスは冷静にそう話した。遠くの方でオオカミの遠吠えがかすかに聞こえる。それはまるで互いに連絡を取っているかのようだ。
「近くにいるのですか?」
俺はそう尋ねた。声のトーンは自然に小さくなっている。アリエスは首を振った。
「近くにオオカミたちがいたら、私たちはここで終わりです。黄泉比良坂から抜けられず、死人の国へと転がり落ちるでしょう。しかし、幸いにも一番近いオオカミは500m先です」
「500m……なぜ、そんなことが分かる!」
ルードがアリエスに食ってかかった。アリエスはそんなルードを、まるでゴミを見るような目で見る。
「分かります。森に入る前に鷹の目の奇跡を使いました。今、上空から俯瞰して私たちの周辺5キロ四方を見ています。2つの集団が近づいてきています。恐らく、偵察のオオカミたちでしょう」
「そんなことが!」
「できます。私たちの移動する音を消したでしょう。あなたの吐き気がする体臭も消しています」
「何だと、このクソ女が!」
ルードがアリエスに詰めたが、アリエスは恐れる気配もない。
「まだオオカミたちは完全に把握しているわけではないようです。そうであれば、今頃、私たちは袋のネズミでしょう。それにこの事態を招いたのはこの人のせいです。本当、人の足を引っ張るだけのクズですね」
アリエスはそう言ってルードの腰に着けていたハンティングナイフを指さす。
ルードは思わずハンティングナイフを右手で触る。
「ルード、お前」
ナダルは声を荒げた。今までは大概なことは大目に見てきたナダルであったが、さすがに怒りを覚えた。それは俺も同じであった。アリエスの神の奇跡を見て、少なくとも森ではアリエスの意見を聞くべきだと普通なら思うはずだ。それなのに、この男はそんなことすら分からないのだ。
「こんなナイフ1本で見つかるはずがねえ。適当なことを言うな!」
アリエスに指摘されてルードは反論する。潔くない。
「臭いです。そのナイフからはオオカミの血の臭いと人の血の臭いが染みついています。オオカミはその臭いを感知します」
「近づいているのなら、すぐに移動したらいいだろうが」
そう言ったのは弓使いのモーリス。その言葉にアリエスは首を振る。
「このまま進んでも逃げ切れません。15分後に偵察のオオカミに見つかり、2時間後には包囲されてしまいます。そうならないためには、ここから作戦を変えます」
アリエスは目を閉じて、『鷹の目』奇跡で見えるオオカミの群れの動向を確認する。オオカミたちも組織的に動いているとはいえ、まだこちらの位置を正確には掴んでいないようだ。
(主人様、オオカミの数、どんどん増えているで、ワオン)
(オオカミたちの位置と移動速度を計算するワン)
(このルートしかないわ!)
そう言うとアリエスは目を開けた。すぐに作戦を説明する。まずゴードンとナダルを別働隊として、向かってくるオオカミを急襲して排除する。そして岩場に対して大きく迂回して進入する。虚を突かれたオオカミたちは、これを追いかけるであろう。
ルードとモーリスはここで待機し、オオカミたちがナダル隊長たちを追い回している後方から、ゆっくりと音を立てずに一直線に進む。
そして俺とアリエスは羊を率いて左回りに迂回する。時間差を付けているので、ここへの対応は散発的になるであろう。傭兵たちが陽動をすることでオオカミたちを引きつけ、その隙を突く作戦のようだ。
それに傭兵たちには無臭の奇跡を解除したが、羊たちには再び無臭の奇跡をかけた。そしてわざと無音の奇跡はかけなかった。
これは音と臭いの矛盾をオオカミたちに示して混乱させるのが狙い。臭いがしないが音を立てて進むこの大集団をオオカミたちは、得体のしれないものと考えるはずだ。オオカミたちの混乱させることで、傭兵たちへの攻撃を分散させる狙いである。
俺はこの作戦はよいと感じた。この危機状態でよく考えつくものだ。隊長のナダルも頷いた。しかし、この巧妙な作戦案を頭の悪い傭兵たちは理解ができない。
「俺たちを囮にするのか?」
「本当にこれですり抜けられるのか?」
ルードとモーリスはそう怒る。しかし、アリエスは取り合わない。この状況でも恐れることなく淡々と説得している。
「これしか私たちの生きる道はありません。あなたたちは一部のオオカミを排除して、右回りに岩場へ逃げ込めばいいのです。あなたたちの戦闘力を考えれば、難しい作戦ではないはずです。それともあなたたちは生き残る自信がないのですか?」
「ふざけんな、クソ女が。俺たちを見くびるなよ」
アリエスの煽りに気の短いルードはすぐに怒鳴り返した。




