ムルナウの森へ③
ナダル隊長と俺が合流したのは、朝の9時を回っていた。出発予定時刻よりも既に2時間遅れている。
アリエスがパルフェ産の50頭の羊を誘導してきた。いよいよ出発である。
「それでは出発します。昨日、一応、顔合わせはしましたが、もう一度正式に自己紹介をしましょう。こちらは羊飼いのアリエスさん」
俺はそう言って改めてアリエスを紹介した。アリエスは頭をぺこりと下げる。頭に被った帽子が少しずり落ちる。
「俺はモーリスだ。弓使いのモーリス」
二日酔いで頭を抱えていた銀髪の男がそう名乗った。背中には矢筒がくくりつけられている。中肉中背の男である。
「俺はルード。斧使いのルードだ。斧と腰を振るのが得意だ」
坊主頭に入れ墨を入れている男は、そう言うと腰をかくかくさせた。アリエスをからかって、その反応を見ている。アリエスはそれを見ても、(すーん)とした表情で微動だにしない。
「ンゴ、嬢ちゃんをからかうな、ンゴ。おではゴードン。ブツはウォーハンマーだ、ンゴ」
北方の田舎訛りの言葉を話す熊男。ゴードンの広い背中には巨大な武器がくくりつけられている。それを振り回せば、オオカミの10匹くらいは吹き飛ばせそうだ。
「……隊長のナダルだ。時間に遅れてすまない。そして残念なお知らせだ。もう一人の戦士ヘッセンが昨日から行方不明だ。戦力が減るが心配ない。」
そう言って隊長のナダルは頭を下げた。彼の武器は槍。傭兵たちの間で『電光石火』と呼ばれるスピアである。
隊長であるナダルが頭を下げて謝罪したのは、アリエスを尊重していることを示すポーズだ。それは傭兵たちがアリエスのことを馬鹿にすることを防ぐためでもあった。そうしないとルードあたりが、道中でアリエスに卑猥なことをするかもしれないからだ。
「あらためまして、僕はフェルナンド。フェルナンド・バッキオ。バインド伯爵家の次席家令をしています。アリエスさん、3日間よろしく」
最後に俺はそう挨拶をした。アリエスはニコニコと笑っていたが、スタスタとルードに近づいた。美少女の思いがけない行動に全員が固まる。
「フェルナンドさん、そして隊長さん。あれほど昨日忠告したにも関わらず、遅れたことは許せません。見せしめにこの者に罰を与えてもよろしいでしょうか?」
そう言って、俺とナダル隊長を見てくる。許可を要求しているのだ。
「は?」
「見せしめに罰だと?」
俺もナダル隊長もアリエスが何を言っているか分からない。
「はい、罰です」
「嬢ちゃん、罰ってまさか、俺に抱かれる罰でちゅか~」
そうルードがアリエスをからかった瞬間。アリエスがルードの顔に向かって拳を振るった。ルードは辛うじてかわしたように見えたが、急に白目になって膝から崩れ落ちた。信じられないことに華奢なアリエスが殴ったのに、大男のルードが気絶したのだ・
その光景に傭兵たちは唖然とする。
「う、嘘だろ……こんなことが」
俺はとんでもない展開に思わず声を上げた。
「わざと顎を狙ったのか……」
ナダル隊長は冷静にアリエスの行動を見ていた。アリエスはルードの顎をかすめるように殴ったのだ。華奢な少女の拳でも顎に小さな衝撃を効率的に与えれば、脳を揺さぶって失神させることは可能だ。クリティカルヒットという奴だ。
「はい。これでも私はグレゴリオ教皇庁公認羊飼いです。格闘術も身に付けています。みなさんはムルナウの森のオオカミを舐めていますね。私は昨日言いましたよね。ムルナウの森は黄泉比良坂だと。油断すれば罪なきものも全員、オオカミの餌になりますよ。これは一罰百戒。特に無礼なこの男を罰しました」
「いや、驚いた。あのルードを気絶させるとは」
モーリスは思わず手を叩いた。仲間が殴られて気絶させられたのに怒りもしない。所詮はその程度の関係なのだろう。アリエスはにっこりと微笑む。
「では、この人は荷馬車の荷物の上にでも寝かせておいてください。お昼までには目が覚めるでしょう。それでは出発しますよ。今日中にムルナウの森の中央を通り、岩場の砦まで行かないと私たちは全員、オオカミの餌になりますから」
「そ、そうですね。アリエスさんの言うとおりだ。我々には時間がない」
俺は再度出発を促した。アリエスが話すとおり、当初の計画より2時間近く遅れてしまっていることは、非常に危険な状況である。最悪明るいうちにたどり着けない可能性もある。




