第6話 怪盗イシュカ
『美少女怪盗 イシュカ参上!!』
異世界イシュメイル。
その世界にある魔王城は玉座の間。その大理石の壁に、ピンクのスプレーで大きくこう書かれているのを見た魔王の心中は、いかなるものであったろうか。
顔の作りは人間と変わらぬ魔王の垂れ下がった白い尻尾と、その狼の耳がぺたんと下がっているのを目撃した部下は全てを察した。
「そんなバカな……だって、ありえない……」
魔王の傍らにいた部下の少女が、そう呟く。
馬やロバに似た耳が、青いショートカットから飛び出ている少女だ。人間ではないが、人でいうなら14歳か15歳といったところだろう。
「し、侵入者です。え、ええっと……ただちに捜索に行ってまいります!!」
暗紅色の近衛大尉の制服を身に着けた少女は、何者かに魔王城の玉座の間に侵入され、あまつさえ落書きまで許した不手際で怒られる前に、仕事をする感を出してこの場からそそくさと離れた。
「怪盗イシュカめ許さないぞッ!」とわざとらしく、魔王に聞こえるように何度も大声で言っているのが小癪であった。
「いつの間に……」
魔王が弱々しい声でそう呟いた。
筋骨隆々の肉体を持つ初老の男だが、その声色に覇気を感じない。
先ほど作戦会議室として使っているダイニングルームで、首都の陥落を聞いたばかりでは無理はなかった。もちろん、敵国リード王国の首都ではない。魔王側の国の首都だ。防衛を任されてた元帥が、あっさり無血開城してしまったらしい。
すでに国土の南半分を、人間のリード王国に実効支配されている。
魔王軍幹部の半数近くが、すでに戦死か投降し、中には離反する者さえいた。
元気なのは、魔王の娘が率いる常勝不敗の第三師団くらいだが、それも10倍以上の王国軍相手に籠城戦をしており、身動きが取れない。
なんなら、娘が大軍を引き受けてくれているから、まだこの魔王城がかろうじて無事と言える状況だった。
もはや、亡国一歩手前の状況。
部下も、先ほどの馬耳の小娘のように碌な人材が残っていない。あの馬娘も、侵入者を探しにいくフリをして、二度と戻ってこなくてもおかしくなかった。
ゲームだと、ラストダンジョンの魔王城には強力な手下が揃っているが、本拠地まで攻め込まれるほど追い込まれている時に、人材も戦力もまともなものが残っているわけがなかった。
そこにきて、この落書きである。
魔王の弱り切った心を、へし折るには十分な威力があった。
「ん?」
神狼フェンリルの血を引く魔王が、まず匂いで気付いた。
嗅ぎ慣れないスプレーの有機溶剤によるシンナー臭のせいで、今まで気づかなかったが、玉座に後ろに女の匂いを感じた。
警戒しながら玉座に近づき、確認すると何やら紙が貼ってある。
その紙に、人間の女の匂いの残滓を感じ取った。
紙はA4用紙ほど────実際にA4のコピー用紙であり、そこには百均で買ったサインペンでこう書かれていた。
〇
拝啓、魔王陛下。
朝の肌寒さに秋の深まりを感じる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
風邪など召さぬよう、ご自愛ください。
それはさておき、この国に伝わる聖剣もらえない?
どーせ滅びるんだし、持っててもしゃーないでしょ。
もともと、魔王家じゃなくてワタライ家の聖剣だしね。
そんじゃもらいます
もらいました
聖剣くんなら私の隣で寝てるぜ
ありがとー、愛してる(はぁと)
思ったより書くことなくて、スペース余ったんで、
長野県のゆるキャラを描きます
(このあと紙の半分ほどにクマのイラストが描かれていた)
そんじゃ、バイバーイ
──────天才美少女怪盗 イシュカちゃんより
追伸、
私の落書きバンクシー並みに価値出るから、
残しておいたほーがいーよ、マジで
〇
「…………ながのけん? ゆるきゃら?」
リンゴを被ったクマのイラストを見ながら、魔王が困惑した。
『イシュカ』は、最近の魔王領で窃盗を繰り返す、神出鬼没の怪盗の名前だ。
銀行の金や貸金庫の金銀に芸術品、挙句の果ては軍兵站部から軍資金や食料、さらには下着や靴下まで盗んでいく。やりたい放題だが、いまだ姿形どころか年齢性別すら不明の謎に包まれた存在である。今回、美少女を自称しているが……
その謎の怪盗イシュカが、ついに魔王城に現れ犯行声明を残していった。
あまりにふざけた内容だったが、見過ごせない箇所に関して魔王が考える。
聖剣が奪われた?
あの剣こそ、我が魔王家の始祖が奸佞邪智にして暴虐なる人の王から奪ったもので、この島を、この土地を治める正当な権利を示すものだ。
そして何より、今もっとも恐るべき『勇者』に唯一対抗出来る手段だ。
「誰かある? いや……」
魔王が部下を呼ぼうとして、思い留まる。
もはや、この状況では部下は信用出来なかった。
そもそも、敗戦間近とはいえこの魔王城に侵入したとなると、内通者の手引きによるものかも知れない。部下に化けてる可能性だってある。
もはや、自ら確認するしかない。
魔王が玉座を左にズラすと、隠し階段が現れる。
そこを下って進むと、玄武岩で出来た黒い小部屋に通じていた。
硬く黒い玄武岩の小部屋の奥に、重厚な鉛の扉がある。
宝物庫への入り口だ。
魔王家が、500年前から貯め込んだ宝が眠る場所である。
週刊少年誌ほどの大きさのある錠前の鍵を外す。そして魔王が、単純に怪力なくては開けられぬ重い扉を動かし、宝物庫の中に足を踏み入れた。
「はぁ……はぁ……儂も年だな……」
牛5頭で曳かなくては開かぬほど重く、その重さ自体がセキュリティになっている扉相手に体力を使い果たし、老いた魔王が青息吐息になる。
「あ……ランプ忘れた……」
扉の先の暗黒を見て、魔王の口から絶望の響きが漏れる。老境の身では夜目が利かず、この中から目当てのものを見つけるのは、難しそうであった。
「ぬおおおおお……」
魔王が必死で重い扉を押して閉ざし、鍵をかける。このまま扉を開けっぱなしにして、ランプを取りに戻ったら、それこそ中の宝を盗まれる危険があるからだ。
そしてよろよろと階段を上り、ランプを探し出して戻ってきた。
「ふんがあああああああああ」
脳の血管が切れるかも、という不安を感じつつ魔王が必死で扉を引く。全身の筋肉が、悲鳴を上げているのを感じた。関節から嫌な音が聞こえた気がするが、聞こえなかったことにする。
「うお? お……おお……」
扉を開けた直後、酸欠で少し視界がブラックアウトしかけた。
魔王がふらりと倒れかける。
ふ、ふざけんな……
いくら安全のためとはいえ、重くしすぎだろ……
と内心、これを作った先祖を呪いながら、魔王が必死で呼吸を整えた。
そして、暗い宝物庫の中を照らすため、ランプに火を……
「あれ?」
火が灯らないランプを見て、魔王が首を傾げる。
「待って……待って待って待って!! まさか……ッ」
そして、その顔がどんどんと蒼褪めていった。
「やだ────ッ!」
初老なのに、子供のような悲鳴を魔王が上げてしまう。
ランプは燃料切れであった。
〇
20分後────宝物庫の扉の前で、仰向けに倒れている魔王がいた。
(殺される……自宅の扉に殺される!!)
汗だくになりながら、荒く呼吸をして魔王がそう思った。
今度はちゃんとランプに燃料を入れ、なおかつあらかじめ火がつくのを確認してから扉を開いた。
生まれたての小鹿のように、フラフラと魔王が立ち上がり、宝物庫の中へ足を踏み入れる。万全を期すのであれば、中に入ってから扉を閉めるべきなのだが、今扉を閉めたら精魂尽きて、二度と開けられず中でそのまま朽ち果てて、魔王の干物が出来上がる気がしたので、開けたままにした。
宝物庫の中に誰か潜んでいないか。壁に抜け穴はないか。匂いと目視でチェックしながら、魔王が奥へ進んだ。
そして500年間貯め込んだ金銀財宝の奥に、『それ』はあった。
聖剣が、一番奥の玄武岩の壁に掛けられている。
鞘は漆塗りされた朴の木で、龍の骨を使った象嵌が施されている。
これだけで城一つ立つ芸術品であった。
魔王が聖剣を手に取り、鞘から抜いて確認する。
刃渡り1メートル半はある大剣だ。反りがある片刃の剣で、日本刀をゴツつ幅広にしたようなデザインをしていた。反りは5センチ、幅は12センチはある。
魔王が聖剣を、近くにあった龍の鱗を繋ぎ合わせて作った甲冑に振るう。
10キロを超える金属の塊であったが、まるで羽毛かのように軽々と、そして素早く扱うことが出来た。先ほど地獄を見た扉に比べれば、あまりに軽い。
「確かに本物だな……」
魔王がそう呟いた。その視線は、一撃で上下真っ二つにされた龍鱗甲の甲冑ではなく、聖剣に向いていた。
その刃は赤熱し、眩く輝いている。
いかなる原理か不明だが、この聖剣は速く振るえば振るうほど、高熱と魔力を発揮する。あらゆる刃や弓、魔法を弾く龍の鱗で出来た鎧も、この聖剣の前では大根のようなものである。当然、本物の生きた龍も、あっさりと斬り殺せるだろう。
「あの怪盗イシュカの落書きと紙は、ただのハッタリだったか」
聖剣の輝きが落ち着くのを待って、鞘に納めながら魔王が呟く。その声には安堵の響きがあった。始祖から伝わるこの聖剣、盗人に奪われては先祖に申し開きがつかなかったからだ。
魔王が聖剣を元の位置に戻し、宝物庫から出る。
「ぬおおおおおおお……」
そして、最後の力を振り絞ってあの重い扉を閉めた。
まだ侵入者の発見に至ってないが、最大の懸念は解決し、ほっとする。
もはや今日は、何かする気力も体力も残されていない。隠し階段を上った姿を、青髪の大尉に見られた気がするが、もうどうでも良かった。そのままふらふらと寝室に向かい、ベッドに倒れ込む。そして魔王は、泥のように眠った。
〇
「魔王のおじ様……なんでひとりでコントみたいなことしてんのかしら?」
無人の宝物庫、聖剣の前でそんな声が響いた。
そして、聖剣の目の前の空間に裂け目が現れ、そこから何者かが入ってくる。
「おかげで、笑ってはいけない魔王城24時だったわ」
プルムであった。
ピンクのジャケットと、お揃いの色の登山靴を履いている。
ミルクホワイトのグラミチショーツを履いており、その下は黒いスパッツ。
暖かそうなニットの帽子は、一番上に可愛らしいポンポンがついてる大正レトロの『正ちゃん帽』と呼ばれるものだ。カフからポンポンにかけて、淡いピンクからイエローのグラデになっている。
怪盗というより、ひと昔前の山ガールといった感じの見た目であった。
それも都会の小娘が、とりあえずオシャレ優先でコーデした感じである。
「ゆっくりおさすみなさい、犬のおじ様」
プルムが、親しみを込めてそう呟く。
朝からずっと魔王の様子を、小さな空間の裂け目から観察していた。
おはようからおやすみまで、暮らしを獅子のように見つめていたプルムが、魔王が寝室で寝たのを確認し、誰も宝物庫にいないと確信して姿を現したのだ。
「ふふ、聖剣まで道案内してくれて助かったわ」
プルムが眼前の聖剣を見て、微笑んだ。
大切がものが盗まれた、と聞けば人は心理的にそれを確認してまう。
嘘臭く感じても『ちゃんとある』という、安心感を得たいのだ。
魔王と言えど例外ではない。
特に、敗戦間際で心が弱った今であれば。
その心理を利用され、魔王はまんまとプルムへ聖剣の在処を明かしてしまった。
「それでは宣言通り、聖剣たしかに頂戴いたします」
魔王を手玉に取った悪女プルムが、そう諧謔味たっぷりの笑顔で言った。




