第34話 英雄の薬
「すべての生き物は、不老不死だったのです」
文京区にある多目的ホールで、ある教授がそう言った。
テレビにもよく出ているカラフルなアフロの中年男性だ。アフロの色は、曜日によって決まっているらしく金曜日の今日は、わかりやすく金色である。
ただし月曜日も金髪で、火曜日は黒、水曜日は青、木曜日は茶髪、土曜日は黒という法則性になっていた。
日曜日は、白いドミノマスク(目の部分だけのマスク)をつけている。
公開講座であり、受講生は主に近くの学校の中高生で、何人かの成人が混じっているといった感じだった。
その中に、制服姿のプルムもいた。
近年の基礎研究医不足が問題視されている中、少しでも基礎研究医の数を増やすのが目的の講座である。専門的な話より、心構え的な面が強い内容だった。
またテレビによく出る教授にありがちな、科学的正確性よりは面白さとわかりやすさを優先した話をしている。
「もちろん、殺されて死なない生き物はいません。この場合の不老不死は外的要因以外では死なない……つまりは、殺されない限り死なない生き物ということです。これを『生物学的不老不死』と言います」
そう言って教授がモニターをレーザーポインターで示した。
そこには円形の図がある。
「地球上で最初に生まれた生物には、計画的な死というプログラムなどありませんでした。ご存じかも知れませんが、アポトーシスというやつですね。そもそも、なんで『死』なんていう『生』として真逆の概念を、自分自身に仕込んで置かなきゃならんのかって話ですね」
教授が右手の掌を上に向け、親指だけ立てて挙げる。左手は右腕の肘あたりに構えるキメポーズをした。
そして、さらに話を続けた。
〇
教授の語った内容は、こんな感じである。
最初の生物は、このような環状のDNAを持ちます。
わっかですね、わっか。気持ち良すぎる形ですね。
『リング』になってるDNAなんです。
身近なところだと、大腸菌とかかな。
このようなリングのDNAを持つ生き物は、不老不死です。
分裂しても、自身が2つに増えるだけ。
老いることもなく、永遠に生きます。
いや、こう言っておいてなんですが、最近は大腸菌にも寿命があるかもって話もあるんですが……そこらへんは気にしないでください。
基本的にリングのDNAを持つ生き物は、生物学的には不老不死ですから。
ですが、酵母菌のような生き物だとDNAの形が違うのです。
皆さんと同じような、『らせん』の二重遺伝子です。
リングとらせん……って言っても、最近の若い子には通じないかな?
とにかく、らせん状DNAの生物には、寿命があります。
細胞分裂のたびの、染色体の端っこにあるテロメアが短くなり、どんどん老化して最後は死ぬのです。わっかじゃなくて、『線』だから端っこがあるんですね。
ですが、このらせん状のDNAを持つ生き物は、寿命と引き換えにわっか生物の大腸菌などにはないあるものを得ました。
他の同種と、DNAを組み合わせることが出来るのです。
そのおかげで、自分のクローンしか生み出せないわっかよりらせんの方が、はるかに多種多様な遺伝子が生まれるようになったのです。
そう!
生物は、自らの『死』と引き換えに『多様性』を得たのです!
不老不死という、多くの権力者が望んだものを捨て、多様性を選んだのです。
そして死も、新たに生まれた仲間のために、自分の場所を譲り渡すためのものと言えるでしょう。いつまでも昔の者がいても、仕方ないですからね。
〇
「…………」
そう言ったあと、教授は周囲の受講生を見回す。
そして自分の言葉に感銘を受けてそうな、近くの男子高校生に尋ねた。
「ねぇ、そこの君。この話を聞いて、死についてどう思ったかい?」
「え、ええっと……それは」
急に語り掛けられ、真面目そうな男子高校生が困惑する。
だが、理性的な顔つきにそぐわず、すぐにハキハキと答えた。
「死は嫌なものですが、多様性を保つため、また有限の資源を子々孫々に譲り渡すための、仕方ないものと感じました」
「仕方ない? つまりは運命的なものだと」
「え……ええ、私たち人間の運命だと思います」
教授に一歩踏み込んだ質問をされ、高校生が自分の答えに不安を感じる。
だが教授は、数秒沈黙したあとにニッコリ微笑んだ。
「素晴らしい。君は10代にして、不死を求めた長き旅の末それを諦め、死を運命と受け入れた古代の英雄ギルガメッシュと同じ心境に達したわけだ」
そう教授に褒められ、男子高校生がまんざらでもない顔をする。
ギルガメッシュ──古代メソポタミアの伝説上の英雄で、親友エンキドゥの死をきっかけに、肉体的な死を克服するための旅に出るが、結局は不死は得られず死を運命と受け入れた。源氏装備は小数点以下の確率ではなく盗める。
「しかし、その『運命』と戦うのが、我々基礎研究医なんだよ」
「えっ?」
教授の言葉に、高校生がきょとんとする。
「人間とは生物の中で唯一、運命に立ち向かう意思がある存在なんです」
教授が男子高校生だけではなく、受講生全体に見回す。
「死は神が決定した運命などではなく、あくまで技術的問題。すなわち技術の進歩で、なんとかなるかも知れない話なのです。もちろん、古代の英雄ギルガメッシュですら、その戦いに負けて諦めてしまう困難な道。ですが……」
再び教授が、先ほど声をかけた男子高校生に視線を移す。
「私たちと一緒に、英雄ギルガメッシュを超えてみませんか?」
その言葉に、影響を受けやすい10代の男子が頷いてしまう。金髪アフロというふざけた格好なのに、やたらカッコよく見えてしまった。
〇
「教授やめても、宗教家になれそうね」
その様子を見ながら、プルムがそう呟きながら考えた。
そういえば、死を科学的に克服しようとする『ギルガメッシュ・プロジェクト』なんてものがあったわね。不死を諦めた奴の名前つけてるのも変な感じだけど。
航空機の名前に『イカロス』って名付けるくらい、縁起悪い気がする。
まぁそれで死を克服する薬が生まれたら、それはまさに『英雄の薬』ね。
そんなことを考えるプルムの隣に、すっと誰かが腰かける。
地雷系ファッションの中学生のような姿で、かなり痩身の女性だった。
「先生は相変わらずだなぁ」
そうプルムの隣に座った亜麻仁が呟いた。
「数日ぶりですね、亜麻仁さん。お父様のご様子は?」
正面を見たまま、プルムが尋ねた。
「おかげ様で、どんどん良くなってるよ。家事も出来るようになったし」
亜麻仁もプルムと目を合わせず、正面を向いたまま答えた。
お互い、相手にギリギリ聞こえる小さい声だ。
あくまでたまたま隣の席になった、無関係な人間を装っているらしい。
「出来れば目を見て言いたかったけど……本当にありがとうね、プルムちゃん」
亜麻仁がそう言って、数日前の夜を思い出した。
〇
「えっ、なんでパパがここにいるの?」
ホテルのスイートルームで、亜麻仁が思わず声を出す。
リビングの左側にあったもう1つのベッドルームへ、プルムに案内された。すると、そこには父親がベッドの上で横たわっていたのだ。
「勝手ですが、お父様をここにご招待させていただきました。眠ってもらってるだけなので、命や身体に別状がないので、ご安心ください」
そうプルムが伝える。
そして、イシュメイル語で勇者に話しかけた。
「勇者さん、この方の脳の再生をお願いします」
「お任せください! マリーナ姫様!」
明朗快闊に勇者が応え、すぐさま亜麻仁の父親に手を添える。
そして、『超人』のスキルを一時的に共有させた。
その様子を、亜麻仁が不安そうに見つめる。
通常の細胞が再生するのは、散々目視も経験もしたのだが、脳細胞はどうなるかわからないからだ。
もし、これでも私が誰かわからなかったら……
そんな不安が亜麻仁の中で膨らんでいく。
「………ふぅ」
勇者が今日初めて、疲労を感じさせる吐息を漏らす。
そしてふらり、と倒れかけたが勇者の意地でなんとか踏ん張った。
彼女にとっても、他人の脳の再生は、他の傷の再生より大変なことらしい。
「…………」
亜麻仁が勇者を労う余裕もなく、じっと黙って見ている中、プルムが亜麻仁の父親に炭酸アンモニウムを嗅がせて、強制的に眠りからさました。
ううーん、と亜麻仁の父親が声をもらし、ゆっくりと目を開けた。
そして、じっと娘である亜麻仁の顔を見つめる。
「誰?」
娘の顔を見て、父親から最初に出た言葉は、それだった。
「そ、そんな……」
亜麻仁が、絶望の声を漏らす。
やっぱり、ダメだった。
一度破壊された脳細胞は、復元したとしても記憶は……
そう思って、膝から崩れ落ちる。
「あれ、その声って亜麻仁か?」
「……え?」
父親が自分の名を呼ぶ声を聞いて、亜麻仁が顔を上げる。
そこには、自分と同じく困惑している父の顔があった。
「不良みたいな恰好とメイクしてるから、わかんなかった。なんで、そんな恰好してるんだよー亜麻仁。ってか、このふたりの外人さんはお友達?」
父親がベッドから立ち上がろうとするが、ふらっと倒れかけた。
その身体をささっと勇者が支え、ベッドの縁に腰をおろさせる。
亜麻仁の父は、「どうもすみません」とお礼と、「いつも亜麻仁がお世話になっております」と言った。
「パパ!」
「うわわっ」
いきなり娘に抱き着かれて、身体が上手く動かせない父親が押し倒される。
しかし、自分の胸で娘が泣いているのを感じると、優しくその頭を撫でた。
「良かったです!」
勇者が、その様子を見ながら笑顔で涙をこぼしていた。
「少し前、似たような症状の少女を治療した時はダメでした! なので、少し不安だったのです! 自分を500年前から生きていると思い込んでる少女です!」
「そんなことが……」
勇者の言葉に、プルムが少し考える。
流石の勇者ちゃんでも、精神性のものだったら治せないのかな?
つまりそれは、勇者ちゃんが狂を発したら、治しようも止めようもなくなるのかも知れない。
早急に催眠アプリを開発する必要があるわね。
勇者ちゃんが誰かに催眠で操られる前に、こっちが操らなきゃ。
操作系は早い者勝ちだし。って何考えてるのかしら、私……
勇者が治すことが出来ななかった少女より、勇者自身の危険性を考えてしまったことにプルムが軽めの自己嫌悪を感じつつ、亜麻仁に声をかけた。
「お父様はひとまず一定の認識を取り戻しましたが、身体操作の不具合や、記憶の一部欠落はあるかも知れません。なによりアミロイドβはたぶん残ったままです」
「……うん」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、亜麻仁がプルムを見て同意する。
脳を委縮させた毒素がそのままなら、再び脳が委縮する可能性は高い。
根本的な解決ではなく、一時的な問題の先送りだった。
「なので、これからも定期的にお父様の脳の再生をする必要があります。それに加えて、今後の安定した生活を保障する金額をお支払いしますので、この私と専属契約をして頂けないでしょうか、亜麻仁さん」
「うん、私からもぜひお願いするよプルムちゃん!」
はっきりとした声で、亜麻仁がそう答えた。
浮ついた気持ちでも、疲れで脳が働いてない状態でもない。
彼女は今、明確な意思でプルムと契約を結んだ。
〇
そして現在、文京区某所の多目的ホールにて。
「ユウちゃんの細胞のサンプルはいくつかもらったけど、こっちは特に進展なし。あの驚異的な再生能力の秘密は未解明だよ」
そう亜麻仁がプルムに伝えた。
プルムと専属契約した亜麻仁の仕事はふたつ。
ひとつつは、勇者のスキルを解明し、それを一般化すること。
そして、もうひとつは────
「解析を頼まれていた物質の成分はわかったよ」
そう言って、亜麻仁が机の下からプルムに手を伸ばして、何かを手渡した。
小さなチャック付きのビニール袋に入った白い粉だ。
数日前、プルムから成分分析を依頼されたものだった。
プルムからのこのような依頼に、可能な限り協力する。
それが亜麻仁の、もうひとつの仕事であった。
「ジアセチルモルヒネ……って言えば、プルムちゃんならわかるよね?」
そう亜麻仁が、さらに小さい声で呟いた。
証拠が残る電子上のやり取りをせず、直接口頭で情報を伝えているように、かなり後ろ暗い話らしい。
「アスピリンに並ぶ、バイエル社のメジャー商品ですね」
そうプルムも小さな声で呟いた。
「……奇しくも講義で名前が出たギルガメッシュと同じ『半神』だね」
「……ええ、こっちはギリシアですけどね」
亜麻仁と教養に由来する言葉のやり取りをし、プルムが粉をしまった。
この粉は、今のイシュメイル──特にプルムのリード王国に蔓延しつつある薬であった。影でじわり、じわりと、浸食するように広まっている。
1898年、ドイツの製薬会社バイエルはこの物質に、ある名前をつけた。
ギリシア語で『半神』を意味する『ἥρως(へーロース)』に由来する名だ。
へーロースは響きからわかるように英語のヒーロー、つまり『英雄』の元になった言葉である。
半神、英雄に由来する名を与えられたこの薬は、本来は阿片中毒に苦しむ人たちに、依存性がない万能薬として与えられたものだ。
しかし、実態はまるで違った。
その英雄の薬の名前は────
「ヘロイン……」
そうプルムが、新たな敵の名を呼んだ。
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