第33話 再現性
「女の子の身体を、麻酔無しで切り刻めだなんて……」
プルムからの依頼に、亜麻仁が顔を引きつらせる。
「そんなこと、医学研究者の端くれとして、絶対出来ないよ!」
普段は気弱な亜麻仁が、きっぱりの拒絶した。
「まぁまぁ、亜麻仁さん。百聞は一見に如かずとも言いますし、まずは『スキル』をその身体で体験してくださいまし」
「スキル……?」
プルムの言葉に亜麻仁が首を傾げる。
そんな亜麻仁にプルムに何か指示された勇者が近づき、真正面に立った。
「……え?」
勇者が、亜麻仁の内出血による痣と擦り傷、切り傷だらけの右頬を撫でた。
「いたっ……くない?」
傷を触られたはずなのに、予想と違う感覚に亜麻仁が首を傾げる。
「鏡をどうぞ。ご自身のスマホのカメラでもいいですよ」
と言って、プルムが亜麻仁に手鏡を差し出した。
それを受け取り、亜麻仁が自分の顔を確認する。
痣や傷が、消えていた。
湿布を剥がしてその下も確認するが、やはり痣も傷もない。
手鏡に仕掛けがしてる可能性も考慮して、自身のスマホのインカメラで顔を確認したが、そちらでも痣は見えなかった。
奇妙なのは、傷が治っただけではなく皮下に溜まった血も消えていた。
「興味……出てきました?」
「…………(こくん)」
プルムの言葉に、亜麻仁が強い好奇心と猜疑心両方が混じった、研究者らしい瞳を輝かせて頷いた。
〇
「車の中で、ある程度説明してたはずなんですが……」
じーっと亜麻仁の顔を見ながら、プルムが少し不満そうに言った。
ビニールシートで覆われ、凶器や工具、手術器具が並ぶベッドに腰かけている。
「あ、はは……浮ついてたからか、ほとんど覚えてなくて」
亜麻仁が申し訳なさそうに、苦笑しながら答えた。
プルムが溜息交じりに「まぁ、いいでしょう」と呟き、手のひらを上に向けて指をそろえ、勇者を指し示した。
「この子……名前はええっと、ユウちゃんとでもしておきましょうか。『超人』のスキルがあり、怪力でどんな傷でもあっという間に再生してしまいます」
プルムの話す内容は、通常なら荒唐無稽に感じる。だが、つい先ほど自分の傷をあっという間に治してもらった亜麻仁は疑いはすれど、拒絶するほどではない。
プルムが、亜麻仁の知らぬ言葉で勇者に何か指示する。
すると、勇者が服を脱いで下着姿になった。
グレーのスポブラと同色のショーツだ。
脂肪の下にうっすら筋肉の凹凸の影があり、アスリートのような身体である。
「亜麻仁さん、ユウちゃんの身体を好きに触って調べていいですよ」
「え、ええ……ッ?」
顔を真っ赤にしがらな、亜麻仁が反応する。
「えっ? そ、その触っていいって……ど、どこまで?」
「お好きにどうぞ。女の子同士なんだし、遠慮しないで」
「そ、そう言われたならぁ……さ、触っちゃうよ?」
亜麻仁がおっかなびっくり、勇者の二の腕に触れる。
柔らかい。だが、脂肪の柔らかさだけではない。
上腕三頭筋が確かにあるのだが、猫科動物の筋肉のように柔らかなのだ。
亜麻仁の指が簡単に沈むほどの、柔肉である。
「んっ……」
勇者が微かに声を漏らす。亜麻仁がビビりながら触れる動きが、絶妙なソフトタッチになっているせいでムズムズしたらしい。
「ひゃああっ! ご、ごめん!」
亜麻仁が慌てて手を放す。
そして数秒固まり、勇者とプルムの顔を見たのち「まだ触ってよさそう」と思ったら、再びビビりつつも勇者の身体を撫で始めた。
(こいつ、動きが童貞くせぇなぁ……)
と、その様子を見ていたプルムが内心そう思った。
しばらく亜麻仁が勇者の身体をさわさわしたのち、プルムが尋ねた。
「どうでした、亜麻仁さん?」
「えっ? あっ、柔らかくてすべすべしてて、気持ちよかった……」
「いや、そうじゃなくて、何か仕掛けはないことは確認出来ました?」
「えっ? …………ああ、うん! 完全に確認出来たよ!」
その気はなかったが、あながち嘘でもない言葉を亜麻仁が言った。確かに、生きた人間の身体であり、変な仕掛けがあるような感触はなかったからだ。
「それじゃあ、実際に身体が再生するところをご覧になって頂きます」
日本語でそう言ったあと、プルムがイシュメイル語で勇者に命じる。
次の瞬間、床にぽとりと女の手首が落ちた。
勇者が右手に持っていたナイフで、自分の左手首を切り落としたのだ。
躊躇いも迷いもない、斬撃である。
「うっわ……わぁ」
亜麻仁が思わず声を漏らす。
解剖はしたことがあるし、臨床実習で間近にもっとグロい傷口を見たことはあったが、いきなり自分の手を切り落とす女を見たのは初めてである。
「……落ちた手や、傷口を確認してもいいんですよ」
プルムが必死に冷静さを保ち、いつも通りの声を努力して絞り出した。
勇者には「ちょっとナイフで手を切ってみて」と命じただけである。
プルム本人的には、皮膚にちょっとした傷をつける程度を想定した命令だったのだが、勇者があっさり自分の手を切断したので、心臓がバクバク鳴っていた。
命令を下す時は、もっと明確なものにしなきゃ──とプルムが内心誓った。
兄姉と違って戦場経験がないからか、目の前の勇者の行為に正直言って内心ビビってるプルムと違って、亜麻仁は基礎研究医らしく意外と冷静だった。
最初に声は上げたものの、今は勇者の左手首を拾い上げ観察している。
一般人からしたら、あまり凝視したくないであろう勇者の左腕の傷も凝視して調べていた。
「出血自体はかなり少ないけど、作り物の手じゃないみたい」
そう言って勇者に手首を返すと、勇者はそれを傷口に合わせた。
するとあっという間に腕が繋がり、指が元通り動く。
「もう一度、腕を切だ……あっ、痛くないのユウちゃん?」
再確認の前に、亜麻仁が勇者を慮る。
育ちが良く、幸せな家庭に育った人間らしさと、研究者としての知的好奇心は、今回は前者が勝利を収めたらしい。
プルムが勇者と何度かイシュメイル語で言葉を交わし、答えた。
「多少は痛いですが、問題ないそうです。そもそもユウちゃんは私たちとは痛覚が違うので。でもまぁ、痛みに対して汗もかいてないので、交感神経が急激に亢進された様子もありません。本当に、ちょっと痛いかなくらいの感覚なのでしょう」
「……だったら、ちょっと『焼いて』みてもいい?」
「本人に確認するので、少しお待ちください」
ほう、とプルムが亜麻仁の目を見て、何かを感じた。
研究者としての好奇心もあるが、それ以上の感情が亜麻仁から伝わる。
「勇者さん、腕を少し焼いても構いませんか?」
「はい! 問題ありません、マリーナ姫様!」
相変わらず、一切の曇りのない笑顔で勇者が快闊に応じる。
「大丈夫だそうです」
とプルムが伝えた時には、もう亜麻仁はバーナーを用意していた。
そして先ほど切断した左手とは逆、右手の小指側を火で炙った。
(う……)
人間の皮膚や肉が焼ける匂いに、プルムが内心気持ち悪さを感じる。
もちろん、王族たるものそんな表情は一切表面に出さないよう、努力した。
勇者はやせ我慢ではなく、本当に痛みとしては大したことがない(常人で言うなら、三歳児に同じ場所をつねられた程度)ので、のほほんとしていた。
亜麻仁は勇者の右手の一部が、十分炭化するほど念入りに火で焼いている。
それをプルムは、亜麻仁本来の残虐性や異常性とは受け取らなかった。
身内や仲間のためなら、ある程度残酷になれるのが人間だと知っていたからだ。
今の亜麻仁が平気で人の手を焼いているのは、研究者としての面もあるが、それ以上に愛する人のことを想っての部分が強い。
「…………損壊した細胞も治るんだね」
炭化した右手の一部を、一瞬で治してしまった勇者を見て亜麻仁が呟いた。
そんな様子を見て、プルムは亜麻仁が次に何を要求するか予想がつく。
「あの、プルムちゃん……ユウちゃんの」
「残念ながら、ユウちゃんの脳を破壊して、再生を確認するのはダメですよ」
「……うっ」
こちらの思考を先読みされた亜麻仁が、気まずそうな声を漏らす。
一度プルムに止められたことで、さっきまでの自分が平気で女の子の手を焼いてたこと、脳を破壊しようとしたことに、急に常識的倫理が働いたようであった。
「再生する可能性は高いですが、もし再生しなかった場合のリスクが高すぎますから。それに、仮に再生しても記憶の欠落や、人格の変貌などあったら大変ですし」
「そう……だよね……」
「ああ、でも中枢神経の脊椎であれば、ユウちゃんは問題なく再生するのは確認済みです。亜麻仁さんご自身でも、ご確認します?」
そう言って、プルムがハンマーやドリルに視線をやった。
「あ、今はそこまではいいよ」
研究者や認知症の親を持つ娘ではなく、ただの育ちの良いお嬢さんとしての亜麻仁がそう答えた。人間の持ちうるペルソナは、状況と心構えで簡単に変貌する。
プルムはそんな亜麻仁を見て、同情にも近い気持ちになる。
そりゃまぁ、自分の父親の脳が再生する可能性を確認したいわよね。
そう思った。
その想いが強かったからこそ、麻酔なしで女の子の手を焼くことだって出来たわけで。ただ、今ちょっと冷静になったみたいだから、次は常識的倫理観に由来する罪悪感の軽減のためと、公平感を求める心理で……ええっと……
自分の身体で、実験検証するフェイズに入るかな?
「メスはナンバー10と11、どっちを使います? リドカインもありますよ」
「……ッ」
プルムの言葉に少し驚いた顔をした亜麻仁が、数秒してから軽く笑った。
「10の方で。局所麻酔はいらないよ」
そう言ってプルムから、メスを受け取った。そして、自分の両腕前腕を軽く消毒したあと、メスで軽く左手の手首を皮膚を切りながらプルムに尋ねた。
「よくわかったね、プルムちゃん」
「自分でもそうするので亜麻仁さん」
「ふふ……頭いいんだね」
亜麻仁が軽く笑ってから、右手首にも同じ傷をつける。
そして……
「勇者さん、私の右手を治してください」
とイシュメイル語で亜麻仁が勇者に伝えた。
「えっ!?」
と、勇者が驚いた顔をして、プルムに視線をやった。
「勇者さん、言われた通りにしてください」
とプルムが動揺を抑えながら、冷静な顔で言った。
自分の右手の傷を治す勇者を見ながら、亜麻仁がほっとした顔をする。
「ああ、合ってたみたいだねプルムちゃん」
「この短時間で、私たちの言葉を覚えたんですか亜麻仁さん?」
「何度か使われた言葉だけだけどね」
完全に傷が治った右手と、傷が残る左手を見比べながら、亜麻仁が答えた。
「文法が第3文型なのはすぐわかったし、主語を省略しないゲルマン語派みたいだから簡単だったよ。これが、ロマンス諸語みたいな感じだったら、流石にまだわからなかったかな? うーん、でもやっぱりどの国の言葉かわからないや」
そう亜麻仁がこともなげに言った。
「さすがはオランダ語を一週間で覚えた方ですね」
「なんで知ってるの? ああ、那々子ちゃんから聞いたのかな」
プルムの言葉に、亜麻仁が懐かしそうな顔をする。
彼女は一週間勉強しただけでオランダ語検定のCNaVTのB1に合格、つまりオランダ語を日常会話が可能なレベルまで習得した。
ライデン大学での学会(大脳を除去された猫がルームランナーを疾走する姿が衝撃的すぎて、他はあまり覚えていない)ついでに、オランダ観光するためだ。
渡航費以外の旅費を稼ぐため、小学生時代の藤海の家庭教師をしていた。
プルムが亜麻仁のことを知ったのは、その藤海が情報源である。
(文法ある程度理解したから、あとは単語をとにかく量詰め込むだけで、日常会話程度ならイシュメイル語を話せそうね)
左手も治してもらった亜麻仁を見ながら、プルムがそう考える。
亜麻仁にとって、大量の情報の暗記は得意分野だ。片手間であっても、習得はそれほど難しくないだろう。
そのあとも、亜麻仁は何度も念入りに自分の身体の様々な箇所に傷を作った。
そして、勇者の『超人』のスキルの共有で傷が治るのを確認する。
「科学的にありえない! みたいには思わないんですね」
そうプルムが呟いた。
「再現性があるなら、魔法だろうが特殊能力だろうが、それは科学だよ」
と亜麻仁が答えた。
「まぁ、ひと昔前の全身麻酔とか当時は原理わかってないけど、再現性があるから使われてましたしね。意外と理屈は二の次なんですよね、科学って」
「生研の友達から聞いたことあるけど、DVDーRAMは発売後にデータが記録される原理がわかったそうだしね。理屈がわかってなくても、再現性があるなら製品化されて実用化されるなんて、わりとよくあることだよ。医学や工学は特にね」
そんな会話を、プルムと亜麻仁が交わした。
「実在するならば、魔法は科学と対立するものじゃなくて、魔法なんてのは科学の一分野でしかないよ。そもそも『科学』ってのは、思考方法と知識の蓄積手段なんだから。もちろん、インチキやトリックじゃない前提だし、そこは念入りにチェックしないといけないけどね。今みたいに」
「まぁ、漫画とかで出てくる『科学』って、自認が科学なだけのカルト宗教ですからねぇ。既存知識を絶対視して、現実に起こった事象を認めない」
「アインシュタインもその愚に落ちていたから、あまり批判出来ないけどね」
〇
観測され再現性があるのであれば、存在が確率で決まることや、多次元の存在すらある程度は認めるのが科学である。そもそも科学自体が自らを不完全なものと認識し、古い知識を改め新たな認識を得ることを常としている。
フィクションなどの魔法がある世界で、十分な再現性と一般化可能性がある魔法を見てなお「非科学的だー」と喚くような莫迦は、科学が得た過去の知識に固執する(むしろこれが最も非科学的行為なのだが)カルト宗教の信者にすぎない。
科学は知識を常にアップデートできる。
何故なら科学は、自らを不完全なものと認識しているからだ。
だが、一部のフィクションに出てくる『自認』科学者の連中は出来ない。
不完全が大前提である科学を、完全なものだと思い込んでるからだ。
既存知識が完全で、世界の全てを説明出来るものと思い込めるのは、宗教以外の何物でもない。カルト信者が科学を名乗るのは、現代ではよくあることだが。
なお先ほど書いた『多次元』の話であるが、最近の科学ではそれはちょっと怪しくなりかけてきた。これも科学である。常に新たな知見、認識となり変化する。
さらに言えば、既存科学の大前提をひっくり返そうとするものに、インチキやデータ捏造や詐欺師の関与や、馬鹿の単なる思い込みがあまりに多いため、科学者たちが懐疑的になるもの仕方ないことである。
〇
「ユウちゃんの『超人』のスキルの存在……信じてもらえましたか?」
そうプルムが亜麻仁に尋ねた。
「ユウちゃんと私の身体を再生出来る可能性が高そうってことだけは、個人的見解のレベルでは認めてもいいかも、プルムちゃん。個人の特質の域は出ないけど」
「いいですね。それでこそ研究者です、亜麻仁さん」
プルムが嬉しそうな声で言った。
ここまで再現性を確認しておいて「非科学的だー」という馬鹿でも困るし、たったこれだけで「うおースゲー! 信じる!」というような馬鹿でも困るからだ。
あくまで勇者と亜麻仁の個人の特質、に留めたのも高評価だった。
亜麻仁はこのふたりが再生するところしか確認していない。たまたまこのふたりが特殊な体質である可能性は大いにある。サンプル数としてはあまりに少ない。
目の前のふたりの人間が花粉症だったから、「全人類は花粉症だ」と断言されても困るのだ。
「一般化可能性を高めるために、私の身体も少し傷つけてみます?」
そうプルムが自分を指さして言った。
もちろん、サンプル数を増やす意味もある。それに勇者や亜麻仁だけが自らを傷つけ確認しているのに、自分だけ無傷なのはなんだか申し訳ない気分もあった。
「……いいの、プルムちゃん?」
と亜麻仁がおずおずと尋ねた。
「痛みを伝える侵害受容器が少ない箇所であれば、構いませんよ」
「それじゃあ、ここで」
と亜麻仁が言ったと同時だった。
「うっ……ええ?」
思わずプルムが声を漏らす。
バチン
と、手術用のハサミで左の耳たぶに7ミリほどの切れ目を入れられた。
「勇者さん、ここを治して」
と亜麻仁がイシュメイル語で勇者に頼む。
「え……ええ……?」
プルムは目を見開いて固まったままだった。
痛みより、ノータイムでその行動をした亜麻仁に対する衝撃が大きい。
いや、侵害受容器が少ない箇所なら良いって、許可出したけど……
そうプルムが思う。
たしかに耳たぶはそうだけど……
だからと言って、いきなり耳たぶをハサミで切る、フツー?
いや、明確な指示を出さなかった私が、私だけが悪いんだけどさぁ。
プルムが「やっぱり治るんだね」と満足そうな顔をしている亜麻仁を見て、ひょっとしたら自分はヤベー女に声をかけたのかと思い始めた。
面白かったらモチベと励みになりますので
ブクマや★評価してくださるとうれしいです。




