第27話 真実
奇妙な光景であった。
小さな宝箱が、ひとりでに動いているのだ。
窓から差し込む朝日に輝く王城の床と、箱の底部がこすれ合う音もない。
おそらく、わずかに浮いているのだろう。
その宝箱が、先ほどからずっとある青年の後ろをついてきている。
「本日未明、王都の南地区で起こった放火の詳細がわかりました」
宝箱から、少女の声が響いてきた。
声の感じからして、10歳かそこらの子供だろうが、やはりおかしい。
宝箱の大きさは、蓋をのぞいて30リットル水槽程度。幅45センチ、奥行きは30センチで高さ20センチほどしかなく、いかに小さな少女とはいえ入りそうにない。少女の全身をミキサーで粉々にすれば、平均体重より多少軽いのであれば綺麗に収まるだろうが、そういった禍々しいものでもなさそうだ。
「魔王軍の工作員によるものではなく、裏社会の抗争でしたお義兄様」
「裏社会の?」
宝箱に義兄と呼ばれた、20代半ばの男が振り返った。
銀の髪と、アメジストの瞳を持つ美青年である。
優し気ではあるが、惰弱さは感じられなかった。
魔王軍のものよりは地味な黒い第一種軍装の襟章には、元帥の階級章が輝いており、さらに右胸にはリード王国の紋章が金駒刺繍で入れられていた。
リード王国第一王子のルアム・リードだ。
「計画的に複数個所から火付けして、地区一つ焼き払ったのが、たかがヤクザ者の抗争なのかい、アリア?」
ルアム王子が立ち止まり、宝箱の方へ振り返ってそんな名を読んだ。
「敵対組織の暗殺者を殺すために、偽の依頼で呼び出して、その地区ごと焼き払ったそうです。犯人はすでに捕らえていますが、2名ほど現場から逃走。現在も捜査中です。ともに負傷しているみたいですから、遠くまではいけないでしょう」
「殺し屋1人に、ずいぶん大がかりなものだ……」
「なんか、めっちゃ凄腕の女暗殺者だったそうですよ、お義兄様。男何人がかりでも勝てないから、犠牲覚悟で町ごと燃やしたって。ええっと人相書きが……」
宝箱がそう言うと、蓋が開く。
そして、ひょこりと紫苑色の頭頂部が中から出てきた。
そのまま少女の目が、鼻が、首がどんどん出てくる。
「あれ?」
が、上に挙げた両の腕が現れたところで、動きが止まる。
少女の何かが、内側で引っ掛かっているようだった。
「ぐぬぬぬぬ……うわっ?」
無理やり出ようとしたためか、宝箱が倒れた。
そして、まるで吐き出されるかのように長い髪の少女の身体が出てくる。
白いネグリジェ姿で、頭頂部は薄紫の紫苑色なのだが、髪の先端にいくにつれ淡いピンク色になっている。地毛であり、人間にはありえない髪色であった。
「大丈夫かい、アリア」
ルアム王子が優しく、宝箱から出てきた少女に手を貸す。
「ありがとう、お義兄様……」
アリアが少し恥ずかしそうにしながら、そう言った。
身長は130センチほどしかないが、幼さに見合わぬほど胸が豊満であった。
どうやらこれが、宝箱のふちに引っ掛かっていたらしい。
アリア・ミミック────名前の通りミミックの魔族であった。
ミミックとは宝箱などに擬態し、冒険者を襲うモンスターである。
現在11歳の少女で、10年前の赤ん坊の頃、魔王国とリード王国最後のポトラッチ────贈与競争の際、返礼品の奴隷として差し出されリード王国に来た。
ちなみにその時リード王国が渡したものは、中古のゲームボーイアドバンスである。電池も定期的に送られていた。
だがその直後、ポトラッチも奴隷制も廃止されたので、リード王家に相続権を持たない猶子として育まれている。奴隷だった時は赤ん坊で記憶がなく、猶子とはいえ王家の一員として、何不自由なく愛されて育った。なんなら、王位を継ぐ責任がある4人の実子たちより、多少甘やかされて育った感すらあった。
「はい、これが測量局からの情報です、お義兄様」
そう言って、アリアが書類の束をルアム王子に手渡す。
「例の女暗殺者は……ええっと」
ルアム王子が、書類の中から今一番必要な情報を検索した。
「あっ、このページですお義兄様。この美人さんです」
「ああ、ありがとう。ふむふむ……赤い髪か。じゃあ、違うかな? いや、髪を染めている可能性も……」
「?」
王子の言葉に、アリアがきょとんとする。
その時であった。
「…………ひっ」
廊下の曲がり角の先から、誰かが歩いてくる足音が響く。
その音を聞いた瞬間、アリアは怯えて、宝箱の中に飛び込んだ。
出る時は苦労したが、戻る時は一瞬である。
アリアが宝箱に入って蓋を閉めると、廊下の向こうから男が1人やってきた。
寝不足の隈が目立つ、背の低いしょぼくれた中年のように見える。
この国の陸軍大臣なのだが、「奴隷の方がマシだ」と自他ともに言うほど過酷な労働環境のせいで精気がない。もう20日は高い固定資産税ばかりかかる上屋敷に戻ることさえ出来ず、王城の執務室か軍本部で寝泊まりしていた。
大臣は「第一王子殿下、アリアお嬢様、おはようございます」と礼儀正しく挨拶をし、早朝からの仕事に向かう。アリアの顔は知らないが、宝箱は知っていた。
「大丈夫だ。もう誰もいないよ、アリア」
と王子が優しい声で、宝箱に声をかけた。
その優しさを、哀れな陸軍大臣に少し分けてやれと言いたいところだが、彼自身がその陸軍大臣よりも誰よりも仕事をしているので、誰も何も言えない。
だが王子から優しい声をかけられても、アリアは宝箱から出てこようとしない。
ミミックの習性ゆえか、アリアは他人に姿を見られることを嫌がる。恐怖を感じていると言ってもいいだろう。そのため、宝箱から出てくることは、ほぼない。
リード王城に勤務する従者や給仕、官僚、法服貴族たちの間でもアリアの顔を見たことがある者は、片手で数えられるほどだ。
なんなら、アリアの実在さえ怪しく思われており、「王子は宝箱に女の子の名前をつけておしゃべりしているヤベー奴なのでは?」という噂まで立っていた。
「やっぱり、外の世界は怖いです。お義兄様……出たくないです……」
宝箱ごとガタガタ震えながら、アリアが呟いた。
そんな姿を見て、王子が仕方ないなぁという顔をする。
「それじゃあ、人の少ない場所を通って、誰もいない月見櫓に向かおう」
一国の王子が魔族の箱入り娘のために、気を遣う。
アリアが蓋を少しだけ開け、合間から王子を見上げ「こくん」と頷いた。
人目を嫌うミミックが、ここまで人間に懐くのは珍しい。この幸運な自覚なき元奴隷の少女が、どれほどリード王家から愛され育ったかを示すようであった。
〇
王城本丸から、月見櫓に向かう人気のない渡り廊下を王子とミミックが進む。
よく手入れされた庭が、渡り廊下から見えた。
中庭ではあるが、小学校のグランドほどの広さがある。
王子が残雪残る庭を見つめた。昔はよくこの渡り廊下から実妹のマリーナが庭に降りて、蝶を虫取り網で取ろうと追っていたのを思い出す。
今はインドア派だが、幼少の頃のプルムは結構なわんぱく少女であった。
「雪も解け始め、春が近くなってきたなぁ」
庭の情景を見ながら、王子が呟く。
「この庭の桜が咲く前には、魔王国への逆侵攻を開始する。昨年、攻め込んできた魔王軍は押し返せたが、無敗の狼姫とはケリをつけられなかったからね」
「お義兄様……また戦ですか。それも今度は、遠くの恐ろしい魔族の島へ」
義理の兄である王子の身を、宝箱の中からアリアが案じる。
本当の故郷である魔王領の島に関しては、それこそ物心がつく前の話なので故郷という意識も、魔族に対する帰属意識もないため、興味が薄い。
「心配しなくていいよアリア。今年の雪が降る前には帰ってくる…………む?」
王子が何かに気付き、アリアの入っている宝箱を自分の後ろにやる。
昔、プルムことマリーナが木登りしていた槐の影に、何かがいた。
座す影と、臥す影の2つ。
太郎と、全身を包帯に覆われた母であった。
「少年、何か私に用かな?」
王子が、不法侵入者にそう優しく尋ねた。
相手が子供であったことと、礼儀正しく正座していたからである。
もちろん、太郎にも周囲にも警戒は怠らない。
アリアは宝箱の中に引っ込み、ガタガタと震えて王子にくっついている。
「母を……助けてください……」
そう太郎が言った。「その婦人は君の母君か」と、自身の母を亡くしている王子が尋ねると、太郎が無言でうなずく。
「病院には?」
「医者では……無理だと……」
そう眼帯の男から言われたことを、太郎が言った。実際は闇医者の話なのだが、どのみちこの国の一般的な医療レベルや、治癒魔法では難しいだろう。
「お城の……御典医なら……そう本に……書いてあったので……」
「典医と言えど神じゃないよ。それに……」
王子が申し訳なさそうな顔をする。
「君一人を特別扱いは出来ない。民は法の下、平等に扱わねば……いや、待てよ」
少し考えてから、王子がアリアに視線をやる。
「なぁ、アリア。私は、今朝の火事に関して、王都の全医療従事者は被災者の治療に協力するように言ったよね?」
「えっ……? あっ……そうです、お義兄様! そういえば言ってました」
「うん、なら城の典医が君の母君を治療しても、問題ないわけだ」
理解の早い義妹に、王子が笑顔を見せる。
そして朝露にズボンの裾が濡れるのも構わず、庭に下りた。
「ならば、手遅れになる前に、早々に君の母君を典医の元へ連れて行こう」
その時だった。
侵入者に気付いた衛兵が駆けつけてくる。
六尺棒を持っており、その先端は金属の鋲をいくつも打ち込んであった。
「王子! アリアお嬢様! 危険ですので、お下がりくださいッ!」
「落ち着け、彼らは違……」
王子が止めようとする。
その前に、4人の縦に並んだ衛兵が駆けつけ次第、順に太郎に飛び掛かった。
そして、次の瞬間4人全員が吹っ飛んだ。
「……む」
武芸百般を修めた王子の目が、かろうじて何が起こったかを捉える。
小さな少年、太郎の仕業だ。しかも素手によるものである。
最初の衛兵の、横薙ぎの一撃の「途中」で、太郎がその裏に回り込んだ。
そして、その膝を後ろから軽く蹴った。
膝かっくんのように体勢を崩した衛兵は、そのまま太郎に肩を引っ張られて、ぐるんと反対方向を向かせられる。
そして、転倒しながらの横薙ぎの一撃は、真後ろの味方に当たることになった。
2人目の衛兵は、頬を六尺棒で殴られ意識が飛ぶ。
これで1人。
と、同時にいつの間にか飛び上がってた太郎に、一人目の衛兵が顔面を踏みつぶされるように蹴られて、後方への転倒が加速する。
柔らかい土とはいえ、その後頭部を強打して意識を失った。
2人。
目の前で突然仲間2人が倒れるのを目にした3人目が、足元に大きな石のようなものを感じる。いつの間にか、脛こすりか、飼い主によく懐いた猫のように、足元で丸まっている太郎だ。
前に出ようとしていた衛兵は、その太郎につまずいて大きく前に転んだ。
その衛兵の喉の前に、まだ地面に落ちていない2人目の六尺棒があった。
空中で六尺棒と激突し、甲状軟骨────喉仏を強打する。
彼が一番、不幸な衛兵であった。
即死することもある位置への強打だが、幸いにして一時的な窒息に留まったのだが、彼だけ意識を失うことなく、呼吸困難に悶絶することとなった。
3人。
4人目が、股間が爆発するような感覚を覚える。
直後に、吐き気を供う激痛。
3人目を転ばせるため、地に伏せていた太郎がそのまま低い位置から4人目の衛兵に接近し、前腕を棒のごとく振り上げて股間を叩いていた。
金的の激痛に、衛兵が思わず前のめりになる。
その動きより早く、太郎がいつの間にか衛兵の懐に潜り込んでいた。
背の低い太郎の元まで衛兵が痛みで頭を下げ、身体全体で覆いかぶさるよにしている動きを利用する。それで簡単に、子供が大人を投げられた。
背負い投げ。
太郎自身は腰を跳ね上げる以外はほとんど力を使わず、痛みに反応して屈曲反射した男の動きの流れを少し変えただけだ。
完全に投げ切って、背中からは落とすことはしない。
投げ切らず、衛兵を頭部から落とす。それも土の上にではない。3人目の衛兵が落とした六尺棒の上にだ。
4人。
これで、衛兵全員が無力化された。王城の護衛を任せられる精鋭であるのに。
だが彼らを鍛錬不足、油断と責めることは出来ない。
あまりに理不尽な動きなのだ。
相手が1ターン動く前に、いや1ターン動いてる最中に3ターン分も、4ターン分も好き放題にアクションを行っている。
途中途中で、相手の動きや反応を利用しているのが、時を止めて一方的に攻撃するよりも、なお厄介かつ悪質で理不尽だった。
太郎だけ、古い映画のフィルムか、アニメのコマ送り通りにしか動けぬ相手に、好きな位置で、好きなように介入してくるような、別の時間軸からの攻撃だ。
太郎のスキル『神速』とは、ただ速いだけではない。
彼だけが神の時間の中を、速く生きることが出来るのだ。
「神速……そうか、君は渡来家の血の者か」
王子が太郎の動きを見て、そう呟く。
その瞬間、冬も明けきらぬ朝の寒さが、さらに冷たいものとなった。
「今日未明に、焼かれた暗殺者というのは、そこに横たわる母君かな? よく見れば、髪に赤い染料の痕跡が見受けられる。いかに神速とはいえど、渡来家であると知られてはならぬ以上、そのような危険な裏の仕事しかなかったのだろう」
王子がじっと、太郎の母親の身体を観察しながら、そう言った。
「少年よ、君の名は?」
「……太郎」
「なるほど日本の名だけは、この500年ものあいだ伝えてきたのだな」
ふむふむ、と視線をそらし一人納得したあと、王子が再び太郎を見た。
「悪いが、太郎くん。君と母君を殺すよ」
「…………ッ?」
そう宣言した王子には、先ほどの優しさは一切ない。
悪意もない。
ただ冷酷な使命感だけが、その瞳の中にあった。
「太郎くんは何も悪くない。だが、このリード王国、ひいてはイシュメイルの平穏のために、君を殺さねばならないのだ。世界の全てが、君の死を望んでいる」
王子のその言葉を聞いた時、太郎の脳裏に聞きなれた言葉が再生された。
『あなたは、一生ここから出てはなりません』
『外は恐ろしい場所です。太郎、貴方はここでずっと、平和に暮らしていればいいのです。母は、貴方のためを思って言っているのです』
「…………お母……さん」
母の言葉は、紛れもない事実だったのだ。
本当に、太郎のために、彼を地下牢の中で守り続けていたのだ。
少年が憧れた外の世界は、少年を殺そうとする残酷で恐ろしい場所だった。
太郎が応急処置のため、先ほど服を一度脱がした母の身体を思い出す。
火傷だけではない──古いものから、最近のものまで、いくつもの傷がその身体に残っている。暗殺という闇の稼業で、必死に太郎の食い扶持を稼いでいたのだ。
「抵抗しないのであれば、せめて苦しませずに殺そう」
王子の言葉には、紛れもなく優しさが含まれていた。
そう、この王子は優しいのだ。
先ほどまでも、王子は太郎母子を救おうとしてくれていた。
その優しい王子さえ、渡来の末裔には殺害を決断しなければならなかった。
500年前から、イシュメイルに生きる民はそう決定づけられている。
王族は特にだ。
「苦しみを長引かせぬよう、まずは母君を……む?」
太郎が、王子と母を繋ぐ線上に立ちはだかる。
「抵抗するか。残念だが、渡来の者は死なねばならないんだよ、太郎くん。500年前の君の祖先、聖剣王の罪であり、因縁であり、運命なのだ」
「知った……ことじゃない……」
そう太郎が呟いた。
500年前の因縁だか何だか知らないが、殺されるわけにはいかない。本当に自分を愛していて、守ってくれていたと知った母を、殺されるわけにいかない。
「良き眼だ、聖剣王の末裔よ。ならば、勇者王の末裔がお相手しよう」
そう言って、リード王国第一王子ルアムが、ゆらりと剣を抜いた。
面白かったらモチベと励みになりますので
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