第2話 幻獣の薬
屈強な外国人に、幼馴染の彼女を寝取られる。
三か月前。そんな味がしなくなるまで噛んだガムのようなベタな展開が、自分に起こるとは思わなかった。
そして、それはとても苦い味がした。
〇
「結菜……嘘だろ……」
そう若い男が呟いた。
東京は新大久保駅近くの安アパート。ワンルームの中央に、鎮座ましましている白い木製の机の上で、スマホの画面が光っていた。
彼女、いや元彼女からメッセージアプリで、別れの言葉と、今つきあってる相手との仲睦まじい写真が送られてきた。
ショックなのは、もう1年以上前から結菜が、相手の外国人と付き合ってた事実が書かれてたことだ。
この1年、確かによそよそしいものを感じていたが、それでも二人で遊びに行ったり、しっかりヤることはヤっていた。あの時の楽しい思い出の裏で、結菜が外人の男とこっちを嘲笑っていたのかと思うと、気が狂いそうになる。
写真はカナダからのものだった。
男がストーカー化することを警戒して、相手の外国人留学生が国元に戻る際に、一緒についていったらしい。写真の白人男性の白い歯が、眩く輝いている。
「それより今日の飯、どうすんだよ……」
男を脳の破壊から救ったのは、空腹感というダイレクトな生命の危機だった。
いつも食事を作ってくれる結菜は、三日前から帰ってきていない。
その間に家に残ってた食糧は、あらかた食べつくした。現金も預金も、SUICAの残高もほぼない。
そもそも、男は働いていなかった。
金が入る見込みも、職場から前借することも出来ない。
「えっと生活保護って……新宿区役所本庁舎?ってトコで申請すればいいのかな」
スマホで区役所の位置だけ調べ、生活保護の申請に関してはあまり詳しく調べずに、男が部屋を出た。
公僕なんだから、向こうがいろいろなんとかしてくれるはず。軽挙妄動かつ、なんならそれを自分らしさと勘違いし、改善する気のない男はそう思っていた。
〇
「若くて健康なんだから働けって……なんで説教されなきゃいけないんだよ」
男がぶつぶつと文句を言いながら、新宿区役所から出た。
「くそ、腹減った……」
新大久保から歌舞伎町まで歩いたので、空腹がさらに辛いものになる。網膜に飛び込む、さまざまな飯屋の看板も、空腹の加速に一役買ってた。
残り少ない糖分を消費して、男が普段あまり動かしていない錆びついた脳に、エンジンをかけた。そして、休んだ方がマシな考えをする。
何年か前、トー横で炊き出ししてた奴が児童買春で逮捕された的な、ネットニュースを見た気がする。と、いうことは今も炊き出しやってるかも……
そんな安易な考えで、東宝ビル前の広場まで行く。
当然、そんな都合よく炊き出しは行われていない。
代わりに外国人観光客で、広場は溢れていた。
「結菜……ッ?」
男が広場に元カノの姿を見て、思わず声を漏らす。
が、よく見ればそれは別人であった。
その女性は、すらりと背が高い中世的な茶髪のイケメン外国人と、何やら楽しそうにしゃべっている。
相手はまるで、異世界の王子様のような、浮世離れした眉目秀麗な顔立ちだ。
くそ、見せつけやがって……
男が、逆恨みとしか言いようがない感情を、その茶髪の外国人に向ける。
その時、ふと気付いた。
その茶髪の外国人は、足元にボストンバッグを置いているが、元カノ似の女との会話に夢中だ。女の方も、視線は背の高い外国人の顔に向けている。
「………………」
男がそっと、会話で盛り上がってる二人の傍らに、歩みを寄せる。
そして、そこで靴紐を結ぶ仕草をするためにしゃがみこみ、立ち上がる際に、さも自分の持ち物であるかのように、ボストンバッグを手に取った。
慌てずに自然体で、ゆっくり歩く。
そして大久保公園方面に向かい、バッグの元の持ち主から死角になる位置まで進むと、一気に駆け出した。
〇
「やった、やった、ざまぁみろ!!」
アパートの部屋に戻ってから、腹の底から男がザマミロ&スカッとサワヤカが抑えきれない声を出した。壁が薄いので、隣の部屋のフィリピンパブ嬢を起こさないよう、ボリュームに配慮をした上でだ。
現金、金目のもの……出来れば換金性の高いやつ!
あといっそ、なにか食べ物でもいい!!
そう思いながら、男がボストンバックのチャックを開く。
すると、そこには……
「……え?」
「キュウ」
奇妙な鳴き声の、豆しばくらいのサイズの生き物が入っていた。
いや、奇妙なのは、鳴き声だけではない。
その生き物は、緑色のふわふわした体毛をしていた。
なんだ、この生き物は?
男が謎生物のつぶらな瞳を見つめながら、考える。
前に動画サイトでサムネだけ見たけど、地球に緑色の哺乳類はいないって動画があったはず……たぶん。ちゃんと、見ておけばよかった。
いや、そんなことより、この生き物の額……
赤い宝石のようなものが、ついているぞ。
「カーバンクルってやつか?」
男が、そう呟いた。
ソシャゲのファンタジー系のゲームを、そこそこ課金(彼女の金で)する程度にはプレイしていたため、男には幻想生物の知識がそこそこあった。
──────カーバンクル
幻想生物とも、UMAとも言える存在だ。ラテン語で『燃える石炭』という意味の、carbunculusに由来する。
古くは南米での目的情報があり、猫や犬のような見た目で、額に赤い宝石があるとされていた。
改めてボストンバッグを見る。
前面と後面を確認すると、メッシュ状の空気穴が開いていた。
元からこのバッグは、ペットを運ぶためのものだったらしい。
空腹のあまり、気付かなかった。
「いや、スゴいっちゃスゴいんだろうけど……」
栄養的にも精神的にも余裕があれば、この貴重な生き物に、喜んだり、興味を持つことも出来ただろう。
しかし、今は正直「面倒なことになった」という気持ちが大きかった。
今更、盗んだ相手に返すことは、出来ない。
かといって、こいつを売るとしても、どこに売ればいい?
普通のペットショップが、買ってくれるか?
フリマアプリって、生き物禁止だったよな……
なんか裏で流そうにも、そういう裏社会とのコネないし。
あっ、動画サイトにアップしてみようか!
『カーバンクルとの生活』的なチャンネル開設すれば、バズるかも?
馬鹿か、俺は……元の持ち主にバレんだろ!
いや、とにかくそんなことより……
「腹減った……」
がっかり感がどんどんと空腹感に変換され、累積されていく。
いっそ、このカーバンクルを、捌いて食べるか?
やったことないけど、ネットで狩猟動画とか見れば、出来る気がする。
SNSと動画サイトに絶大の信頼を寄せている男が考え、ボストンバッグから出て机の上に飛び乗ったカーバンクルを見つめる。
「キュウ?」
男の視線に、無警戒だが不思議そうにカーバンクルが鳴いた。
体とほぼ同じ大きさのふわふわのしっぽを、ゆっくり左右に揺らしている。
「………………ぐっ」
お、俺には出来ない!!
こんな可愛い生き物を殺して食うなんて、俺には出来ない!!
そんなことを男が考えていると、カーバンクルに変化があった。
一瞬小さく震えたあと、コトンと、その額の宝石が落ちたのだ。
「だ、大丈夫か?」
何かわからんが、体の一部が欠落するなんて、病気じゃあないのか?
そう思って男が、カーバンクルの顔を覗き込んだが、弱っている様子はない。
さらに、もともと宝石があった場所から、新たな小さな宝石が生え始めているのが見えた。
「シカの角の生え変わりみたいなもんか?」
カスではあるが、極悪人ではない男がほっとする。
そして白いテーブルの上で、より強く赫く宝石を拾い上げた。
これ……食えないかな?
そんなことを、男が考える。
自分でも異常なことを思っているのは、わかっていた。
しかし、この赫々とした宝石を見つめていると、正気という己の精神が吸い込まれていくような気がしてきた。
「…………」
男が、ゆっくりと宝石を口元に寄せる。
そして、恐る恐るぺろっと舐めてみた。
「…………ッ」
その瞬間、世界が輝いて見えた。
視界に移る何もかもが、まるで目の粗いモザイクをかけたように映る。
四角だ────
すべてが、大きな四角い輝きになった。
テーブルは白いただの四角となり、窓からの夕陽が飛び込む床は、濃さの違うオレンジの四角と四角に。
そして、それぞれの四角いモザイクが、鮮やかにキラキラと光っているのだ。
輝きに目が眩む。
自分の手が、体がどこにあるかわからない。
だが、テーブルのキラキラだと思う白い光が、時折違う色になって輝く。
たぶん朦朧と動かした手と服の色が、テーブルの色と混じって光っているのだ。
ああ、世界はこんなカンタンで、まばゆいものだったんだ。
このかがやきのまえには、おんなも、たべものも、じんせいもくだらない。
なやみも、くるしみも、すべてひかりのなかにきえていく。
男に見えている光のモザイクが、さらに荒くなる。
視界を16分割にしていた輝きが、8分割に、4分割に、2分割に、そして……
このひかりがひとつになったさきに、きっとあるはず。
しんりのむこうがわが。
ちかくのとびらが。
〇
「あっ? え? ……夜?」
男が意識を取り戻した時には、部屋は真っ暗だった。
電気をつけ、異様に乾いた喉を潤すために水をコップ4杯分たっぷり飲む。
そして、疲労で鉛のようになってる身体を引きずって、スマホを探すと、なぜか冷蔵庫の中に置いてあった。
時計がないので、冷やしスマホで時間を確認すると深夜3時で、実に半日も経過している。
その時、部屋に「コトン」という前に聞いた音が、再び響いた。
カーバンクルの宝石が、また生え変わって床に落ちた音だ。
〇〇
そうだ。あの輝きで、俺の人生は変わったんだ。
港区の高級マンションで、男は思った。
カーバンクルの宝石、それを砕いて『新種の麻薬』として売った。
それで何もかも手に入れたんだ。
今着ているブルネロのジャケットも、パテックフィリップの時計も、ありとあらゆる女も、ぱちんこCR聖戦士ダンバイン初代の実機も、このマンションもだ。
もう二度と、奪われたくない。何も、失いたくない。
すべてをかけて、守るべきものだ。
「おっ、かすかに甘いけど……砂糖というより遊離アミノ酸の甘さかしら」
レッド・キャンディを舐めながら、プルムが味の感想を呟いた。
「ってか見た目と違ってクリーミーで、かすかに磯の香っぽいものもあって……ってウニの味じゃないこれ」
プルムが一人納得したように、うんうんと頷く。
男はその様子を、じっと見守っていた。
「醤油合いそ~。ねぇねぇ、この家って醤油ある? チューブのでいいから、ワサビもあれば嬉し……ん?」
突然、プルムの動きとしょうもない軽口が止まった。
何度か小さく震えたあと、うつろな目をして虚空を見つめている。
効いてきた。
男が、そう思った。
何を考えているかわからない女だが、レッド・キャンディを舐めたのは失敗だったな。半日は、意識がトんでしまう。
そして、ここからがレッド・キャンディの神髄だ。
「……スカートをめくってみろ」
そう、男が呟くと
「…………ちっ」
プルムが、小さく舌打ちした。
えっ? 効いていない?
男が一瞬、そう不安に思ったが
「は…はいプルム…ス…スカートをめくります…」
プルムが虚ろな目をしたまま、自らのスカートをめくりあげた。
よし、効いているな。
一度舌打ちしたから、効いてないかと焦ったぜ……
プルムの様子を見て、男が満足そうに頷く。
先ほどまで腰が抜けていたが、落ち着いてきて足腰がしっかりし始めた。
これが、レッド・キャンディのもう一つの効果。
レッド・キャンディでラリってる相手は、俺の言うことは何でも聞いてしまうのだ。
だからこそ、数か月で一気にここまでのし上がれた。
ただ薬を売ってるだけじゃ、裏社会とのコネクションなんて、すぐに出来ない。
それどころか、その裏社会に、ケジメをつけられていたろう。
最初はチンピラから、次はそいつと関わりがある半グレのリーダー、そして暴力団幹部────今はその反社と繋がりがある悪徳政治家や、大企業のお偉いさんだって操れてる。
「…………っていうか、色気のないパンツだな」
めくられたスカートの中身を見て、男がぼやいた。
プルムは女性であったが、グレーの男性用ボクサーパンツを履いていた。
なんか、解釈違いだなぁ。
そう男が思う。
もっとふりふりのレースがついた、お嬢様らしい下着履いてると思ったのに……
そういえば履き心地いいから、元カノも部屋ではトランクスとか履いてたな。
その元カノから、聞いたことがある。
メンズの下着を普段使いしている女はたまにいる、って。
というか、こんな色気のない下着ってことは、最初からパパ活する気なんてなかったってことか。
あからさまに男はガッカリしたが、すぐに切り替える。
「お前は……何者だ?」
男が、一番気になっていた質問をした。
恐怖の正体は『未知』だ。
今感じている恐怖を克服するため、性的なことより何よりも、未知の解明を優先する。
「私は、超絶かわいい美少女で、超絶頭がいい天才で、天から二物どころか三十三間堂千一体物くらい与えられ、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は花の呼吸壱の型百合重ね、その微笑みは万物を明るく照らし、その美声は野を花で見たし、私を敬愛する人々で海岸は埋め尽くされ、満たされた人々の心の暖かさで温暖化が進み、極地の氷が溶けたけど海抜上昇は僅か10メートル……」
「長い長い長い!!」
くそっ……な、なんて自己愛の強い女なんだ……
確かに、見た目だけなら可愛いけど、自己肯定感高すぎだろ。
「ええっと……主観を交えず、自分のことを簡略に説明しろ」
男が質問の内容を、修正した。
「…………」
わずかな沈黙のあと、プルムがゆっくりと口を開く。
その薄紅色の唇を震わせて出た言葉は、信じられないものだった。
「私は、この世界の人間ではありません」




