17 川を下る
アイル達は急峻な谷沿いの崖を駆けた。オルガ川は渓流をやめ幅広の浅い川になっていた。高山地帯特有の生命感の薄い川の上流域だった。空には遥か高く巻雲がたなびき空気は涼しかった。それは一見なんの変哲もない8月の終わりだった。背後に迫る死の危険がなければ。
日が落ち谷は急激に暗くなった。アイル達は横道にそれ森の中の岩場で寄り添って眠った。
日が昇る前にまた彼らは出発した。段々と川辺の緑が濃くなってきた。谷を下るにつれオルガ川はみずみずしい生命感にあふれてきた。2匹のトンボが水面を漂っていた。川は段々と深くなり美しいエメラルドグリーンになった。
やがて避難民の列の殿の兵が見えてきた。甲冑にの背中に数多の傷を持つ屈強な北部連隊の兵士だった。殿には見慣れない白馬にのった兵士もいた。彼の耳は金の長髪から飛び出していた。彼はエルフだった。
エルフと人間の避難民はどこかで合流したらしかった。大概のエルフは女も子供も弓を背負っていた。
アイルは難民達の先頭へ走った。村の守備兵長であるゴードンに駆け寄り事の顛末を話した。そして村長の妻であるヤエに村長の死を伝えた。
アイルは振り返りルイを探した。彼は妹のロキシーと話し込んでいた。先頭から眺めた限り村の女衆は全員無事のようだった。
彼は前を向き歩いた。夏の日が昇り気温が高くなってきた。
これから我々はどうなるのだろうか。
アイルは拾われ子だった。彼に親兄弟はいなかった。物心ついたときにはゲイルの家で暮らしていた。彼は親を偽らなかった。どのみち二人は似ていなかった。彼の奥さんはとうの昔になくなっていた。アイルはゲイルから狩人としての素養を受け継いだ。彼は物静かで目端が利いた。そして腕のいい一流の狩人だった。彼は村に居場所を見出した。
彼らはヤゴーと三人でよく釣りに出かけた。ヤゴーは豪胆で悪く言えばずぼらな猟師だった。隠密行動はからきしだったが腕っぷしがあり大胆に魔物を屠った。ヤゴーとゲイルは互いを補間する良き友だった。
ヤゴーは死んだ。川の水面を見ていると3人で行った釣りの思い出が蘇ってきた。今更悲しみがこみ上げてきた。彼は人知れず一筋の涙を流した。彼は表面上は泰然自若として振る舞っていたが心の奥では村に依存していた。
ふと目線に気づき顔を上げるとエルフの女がアイルを見つめていた。彼女は長く美しい赤みがかった黄金色の髪をしていた。彼女は堂々とアイルを観察していた。アイルは彼女を見返した。彼女は目をそらさなかった。
エルフの森に異変が起こったのは三日前のことだった。鹿や猪が姿を消した。リスや山猫のような小動物が続いていなくなった。森はがらんどうとなった。エルフ以外の動物は消えてしまった。
エルフたちは森の奥へ使いを出した。彼は帰ってこなかった。
そしてトロルの群れが現れた。それらは硬い皮膚の上に更に甲冑を纏っていた。そして石斧ではなく鉄斧を振り回した。それらはエルフを斬殺した。そして森の木々をなぎ倒し火を放った。エルフの森は灰となった。
彼らは山を捨て逃げた。人里へ降りてさまよった。そして避難民の列とかちあった。彼らは殿を務めるオーエンという兵隊長に言われるがままこの列に加わった。だが先の不安があった。
エルフは俗世から離れて住んでいた。彼らは人知れぬ山間に住み税も払わず兵役も果たさなかった。人間に彼らを守る義理はなかった。この先ブリスコー砦にたどり着いたとて彼らが庇護される道理はなかった。一縷の望みと思考停止が彼らの歩を進めた。
川の流れがゆるくなった。今オルガ川はより大きなアナトマ川と合流するところだった。
その合流地点に船の帆が立ち上がっているのが見えた。
「帆船…?」殿を共に務めるエルフの長ロンドがつぶやいた。無論川でも帆船は使う。しかしこれほどの上流まで帆船で上ってくることなどあるだろうか。避難民を運ぶためにロードランが救援を出したのだろうか。しかし人間の砦が襲われたのもここ3日間の出来事だったはずだ。彼らは船を注視した。船の甲板には人の姿はまったく見えなかった。
「あの船に心当たりは?」ロンドが訊いた。
「ない」オーエンが短く答えた
やがて彼らは船を追い越した。川幅は広くなりオルガの清流はアナトマ川に呑まれた。
帆船が音もなく動き出した。ロンドは弓を構えた。彼らは次に起こることを待った。
船倉の扉が空いた。緑色の手が這い出た。それはオークの腕だった。
ロンドは弓を引き絞り放った。そして叫んだ。「みな、走れ!」
そして戦闘が始まった。




