振り子時計
工都アルカナムの議事堂は、石ではなく、鉄と硝子でできている。
天井を支える梁は、剥き出しの鋼。高い窓からは、煤煙に濁った朝の光が差し込む。聖林の都が生木の緑なら、ここは鉄の灰色だった。議場の中央には巨大な振り子時計が据えられ、その音だけが、紛糾する議会の底で休まず時を刻んでいた。
議席は半円の階段状に組まれている。下段に実務派の議員が、上段に資本を握る産業ギルドの代表たちが座る。発言者は中央の壇に立ち、振り子時計を背に語る。誰の演説も、あの振り子の音から逃れられない。共和国は、神も王も戴かぬ国である。議会の決議だけが、この国の意志だった。
帝国宣戦の報は、この国にも二日で届いていた。
議場は朝から紛糾していた。
「——即時、王国と同盟を結ぶべきです」
中堅議員カイル・オルブライトが壇上で声を張った。
「帝国は、三国を一つに帰すと宣言した。我ら共和国も、王国も、等しくその刃の前にある。今こそ、王国と手を取り、二正面の戦を帝国に強いるべきだ。時を、空費している暇はない」
カイルは、もとは軍人だった。第二世代のフェラム・ナイトを駆った、共和国でも指折りの操手——かつての、エースである。今は議席に座る身だが、その立ち姿にはなお、戦場の気配が残っていた。
壇上の議員の腰には、魔導銃が一挺吊られていた。アルカ・ピストル。護身のための、共和国製の銃である。議場に銃を帯びて立つことを、誰も咎めなかった。この国では、力は隠すものではない。
カイルの演説に、頷く者は多かった。
だが、同じだけの者が、動かなかった。
その動かぬ側から、まず財務委員の老議員が立った。
「同盟には、金がかかる。兵站を二国で分け合えば、我らの取り分は、減る。帝国の刃が、まず向かうのは王国だ。聖林が削られているあいだ、我らには、備えの時がある。慌てて水へ飛び込む者から、溺れていく」
冷たい理屈だった。だが、筋は通っていた。議場の上段から、いくつかの頷きが返った。同盟をためらう者は、臆病なのではない。彼らもまた、彼らなりの算盤を弾いていた。
カイルはその老議員を見た。何も言い返さなかった。ただ、唇の端がわずかに引き結ばれた。
その動かぬ側の上段から、ひとりの男がゆっくりと立ち上がった。
産業ギルド盟主、ヴィクトル・ゴルド。
軍人ではない。一兵も率いたことのない男である。だが、共和国の兵器工房の過半はこの男の資本の下にあった。戦が起これば、最も潤うのもこの男だった。
三代前、ゴルドの家は街道筋の鋳物師にすぎなかった。鍋を打ち、農具を打っていた一族である。それを兵器の工房へと変え、機鋼共和国の鉄の半ばを握るまでにしたのが、この男だった。剣を取ったことは、一度もない。だが、剣を作る者の頂に、算盤一つで上り詰めた。戦場を知らぬ、というその一事を、ゴルドは生涯、弱みと思ったことがなかった。
「議員。戦争は、商機でもある」
ゴルドの声は、低く、滑らかだった。
「帝国と王国を、存分に消耗させればよい。我らは、力を蓄えて待ち、最後に——和平を仲介する。三国の上に立つのは、剣を振った者ではない。算盤を、最後まで弾き続けた者だ」
議場が、ざわめいた。その理に頷く議員も、少なくなかった。
カイルは壇を降りかけた足を止めた。振り返り、ゴルドを見た。
二人の視線が、議場の中央で交わった。かつて戦場で機を駆り、僚機の死を幾度も見送った男と、戦場に一度も立たぬまま、その機を売り続けた男。同じ国の、同じ議会に、並んで一票を持つ。共和国とは、そういう国だった。剣を取る者も、算盤を弾く者も、等しく壇に立てる。その公平さが、この国の強さであり——時に、その意志決定を致命的に遅らせた。
カイルの脳裏に、束の間、戦場がよぎった。機を駆っていた頃、僚機が一機、また一機と、炎に包まれていった、あの空。算盤の弾ける音は、この議場には響く。だが、あの空にはついぞ届かなかった。議場の誰も、おそらくゴルドさえも、悪人ではない。それぞれが、それぞれの正しさでこの国の行く末を案じている。慎重も、強硬も、私利すらも、まじりけのない一つの理ではあった。だからこそ、この紛糾は誰にも、始末に負えなかった。
決議は、その日、出なかった。即時同盟派と、静観派。議会は二つに割れ、採決は先送りとなった。振り子時計だけが、変わらぬ拍子で時を刻み続けた。
議場を出る間際、カイルは誰にともなく、低く付け加えた。
「——我々が『利益』を計算しているあいだに、民の命が消えてゆく……」
足を、止めぬまま。
「それを、忘れるな」
その声は、誰の耳にも、はっきりとは届かなかった。
ただ、腰の魔導銃だけが、歩みに合わせて鈍く、揺れていた。




