何を守るか
翌朝、アルセスは再び女王の前に召された。
聖林の社ではない。王城の謁見の間である。生木の社が王家の私の場であるなら、謁見の間は王国の公の場だった。高い梁を磨かれた白木が支え、床には歴代の王の紋を織り込んだ敷物が、長く延びている。大神官会議の主だった神官たちが、左右に列をなして控えていた。昨日の割れた評定の、その続きの場であった。対話派の白髭の老神官も、防衛派の隻眼の老神官も、今朝は口を噤んでいた。
女王が一夜、沈思した末に何を告げるか——それを、誰もが待っていた。
女王アウローラは、玉座からアルセスを見下ろした。
「アルセス・ヴァン・セフィーラ」
「はっ!」
「お前を、北部防衛線の指揮官に任ずる。中央回廊の北辺を守る、王国の盾だ。帝国の鉄は、まずそこを、叩きにくる」
アルセスは片膝を突き、頭を垂れた。
予期していた沙汰ではあった。中央回廊方面軍に属するアルセスにとって、北部はもとより己の持ち場である。だが、女王の口から直々に、衆人の前で下されると、その重みはまた違った。これは軍務の沙汰であると同時に、王国がアルセスにその盾を託すという公の宣言でもあった。
アウローラは、しばしアルセスを見つめた。昨日、エレオノーラを見つめたのと同じ目だった。何百年もの時を見てきた、底の知れぬ目である。
そして、静かに、告げた。
「アルセス。お前の剣で、何を守るかを——お前自身で決めろ」
列の神官たちが、わずかにざわめいた。出征の将に下す言葉としては、あまりに異質だった。守れ、勝て、ではなく——何を守るかを、自分で決めろ、と。
アルセスは、顔を上げた。
女王の言葉は、命令ではなかった。むしろ、問いに近かった。
アルセスは、その意をすぐには掴めなかった。
王国の騎士が守るものは、王国である。それ以外に、何があるというのか。
だが、女王の目はその当たり前の答えを求めてはいなかった。何百年も国を見てきた者が、二十数年しか生きていない騎士に、あえて問うた。その不釣り合いの中に容易には掴めぬ重さがあった。
だが、女王はそれ以上、語らなかった。問いだけを若い騎士の胸に残し、再び、沈黙の人に戻った。
「——御意」
アルセスは、深く、敬礼した。
何を守るか。その答えはまだ、自分の中になかった。それでも、女王がなぜその問いを、よりにもよってこの出征の朝に下したのか——その重さだけは、確かに受け取った。長く生きる者が、短く生きる者に、託すもの。それは、答えではなく、問いの形をしていた。
◇
その日のうちに、アルセスは北部へ発った。
シルヴァーンのコクピットに身を収める。月光銀の装甲が、朝の光を弾いた。霊装騎がゆっくりと、地を離れた。
眼下に、霊脈の森が広がっていく。聖都セフィラの緑が、見る間に遠ざかる。生まれ育った都が、掌に乗るほど小さくなっていく。
アルセスは、その森を見下ろした。
コクピットの中で、風精霊がなお、囁いていた。細く、震える声で。昨日、社で聞いたあのざわめきと同じ怯えだった。
高度を上げても、その声は遠ざからなかった。むしろ、空の上からのほうが、地の底の異変ははっきりと感じ取れた。森全体が息を潜めて、何かに耐えているようだった。
「精霊たちが、怯えている」
アルセスは、独り、呟いた。
「だが、これは何だ?——戦争への怯え?……では、ない」
森の底のどこか深くから、何かが滲み上がってくる気がした。レイラインの乱れ。山の身じろぎ。荷を積まぬ商隊。ばらばらの破片が、まだ像を結ばぬまま、胸の奥で、低く、疼いた。
一つ一つは、小さな違和にすぎない。だが、それらが同じ一つの根から伸びているのだとしたら。アルセスには、その根が見えなかった。見えぬまま、戦だけが始まろうとしていた。
シルヴァーンは南へ、機首を向けた。
北部防衛線。中央回廊に最も近い、王国の盾。そこで自分を待つのは、帝国の鉄であり、そして、それよりもっと底深い、何かだった。
眼下の森は朝の光の中で、静かに、緑に、輝いている。
何も知らぬげに。




