陣を叩け
翌朝、第七機甲師団はアルカナムを発った。
機鋼の縦列が、煤煙の都を出ていく。魔導騎士、三十機。装軌の輸送車。弾丸と、プネウマリアの充填筒、機体の予備部品を積んだ、長い輜重の列。共和国の軍は、帝国の鬨や王国の精霊を持たない。代わりに、鉄と、銃と、緻密な兵站で、戦う。
縦列が、アルカナム郊外の城門を抜けていく。
城門の外には、見送りの人影がまばらに立っていた。出征する兵の、母であり、妻であり、子であった。誰も声を上げない。共和国の都に、戦勝を祈る歌はない。あるのは、無言の見送りと機鋼の軋む音だけである。煤煙の空の下を、鉄の列が粛々と進んでいった。
城壁の内では、昼夜を問わず工房の槌が鳴り続けている。新しい銃を、新しい機を、絶えず戦場へ送り出すために。都の富は戦で膨らみ、その富でまた、新たな戦の道具が作られる。ゴルドのような男が、最も潤う仕組みだった。城門を出ていく兵たちは、その巨大な歯車の最も先端で、すり減っていく刃である。算盤を弾く者は、ここには来ない。
門の脇で、護衛の歩兵が隊列を見送っていた。その一人が肩に、長い筒を担いでいる。プネウマリア・ライフル。魔導の力で弾を撃ち出す、共和国製の小銃である。銃身には、細い魔導陣が彫り込まれていた。
その隣の歩兵は、腰に三枚の護身呪符を束ねて吊していた。呪符術で組まれた、簡易の守り。流れ弾や破片から身を守る、兵の常備である。
帝国が鬨で機を昂らせ、王国が精霊と交感するなら——共和国の兵は、銃を担ぎ、呪符を吊して、戦場に立つ。それが、この国の戦い方だった。
門の内側で、年嵩の兵站官が、初陣の新兵たちを前に並べていた。配給の銃と呪符を手渡しながら、低く説いている。
新兵たちは、まだ幼かった。銃の重さに肩を強張らせている。呪符の束を御守りのように握りしめる者もいた。算盤の弾かれる議事堂から遠く離れたこの場所に、議会の計算の最初の代償が並んでいた。
フィオナのコクピットの外部集音に、その声が拾われた。
「いいか。ライフルを持ったからといって、何でも撃ち抜けると思うな」
新兵たちが神妙に頷く。
兵站官は、片腕の袖を軽くまくって見せた。古い火傷の痕が、肘まで走っている。プネウマリアの暴発を生き延びた腕だった。新兵たちの目が、その痕に吸い寄せられる。
「銃も、呪符も、万能じゃない。過信した奴から死んでいく。生きて帰りたきゃ、まず、それを覚えろ」
「敵の要人を、狙っても、無駄だ。位の高い将は、対弾障壁を張っている。クリュペウス・フラグミナ——弾を、空中で無効化する結界だ。プネウマリアで撃ち出す弾も、あれの前では、止まる」
新兵の一人が、おずおずと問うた。
「では……どうやって、倒すんで?」
「結界を破るのは、弾じゃない」
兵站官は地面に、短い線を引いた。
「結界そのものを、生み出している魔導陣を、叩くんだ。術者か、術具か。陣が消えれば、障壁も、消える。要人を狙う前に、まず、陣を、探せ。陣を、叩け。それが、戦場の、順序だ」
新兵たちが、銃を握り直した。
兵站官は、引いた線を靴の先で消した。
「——もっとも。陣を叩くより、生きて帰るほうが、よほど難しいがな」
最後の一言は、半ば独り言だった。新兵たちには、その意味がまだ分からない。だが、いずれ分かる。分かった頃には、何人かは、もういない。
フィオナはコクピットの中で、その問答を聞いていた。
銃があり、結界がある。矛があり、盾がある。どちらも際限なく研がれてきた。だから、この大陸では、一発の弾で要人が斃れることは、ない。暗殺で戦は終わらない。終わらせるには——軍と軍が正面からぶつかるしか、ないのだ。
それは、技術者の組んだ矛と盾が、人を容赦なく正面の殺し合いへ追い込む仕組みでもあった。
クリュペウス・フラグミナの結界式も、それを破る陣の理屈も、もとを辿れば工房で生まれたものだ。矛を鋭くすれば、盾を厚くする。盾を厚くすれば、また矛を鋭くする。その果てに、暗殺も、奇襲も、意味を失った。残ったのは、軍と軍が正面からすり潰し合う戦場だけ。誰かを守るために研がれた技術が、より多くの死を約束する。
フィオナは外部集音を切った。
縦列は、城門を抜け、中央回廊へと続く街道に出た。
◇
一機のフェラム・ナイトが半日戦うのに、どれだけのプネウマリアを要するか。装填手は何発の弾を運ばねばならぬか。整備兵はどの継ぎ目にどれだけの予備部品を積むべきか。そのすべてが、帳簿に書き込まれていた。共和国の戦は、戦が始まる前に机の上で半ば決している。算盤の弾き損ないは、そのまま前線の兵の死に繋がった。フィオナはその帳簿の最も上の段に名を連ねる一人だった。
行軍は、機械のように、正確だった。
煤煙の都が後ろへ遠ざかる。硝子と鉄の影が低くなり、やがて灰色の平野が開けた。中央回廊——三国の境を貫く、大地の喉首。そこへ向かって、鉄の縦列は整然と轍を刻んでいった。
道の傍らには、すでに避難民の姿がちらほらと見え始めていた。荷車を引き、子の手を引き、戦火の予感から西へ逃れていく人々。鉄の縦列とは、逆の方向へ。民は戦場から、兵は戦場へ。同じ街道を、二つの流れが、すれ違っていった。
その正確な行軍の途上に、伝令が報をもたらした。
帝国軍の進軍速度は、予想を超えていた。鉄冠城を発った帝国の縦隊は、共和国の参謀本部が見積もった速度をすでに上回って、中央回廊へ迫っていた。
報を受けた上層部の空気が、変わった。
あれほど王国との同盟をためらっていた静観派が、ようやく態度を傾け始めた。帝国の鉄が、見積もりより速い。ならば、悠長に「漁夫の利」を待つ余裕は、ない。帝国に対抗するため、王国と一時の同盟を——その声が、議会から軍へと伝わってきた。
遅い、とフィオナは思った。
カイルが議場で訴えた時に、決めていれば。失われた一日は、戻らない。算盤を弾きすぎる者は、弾いているあいだに、好機を逸する。
それでも、フィオナは議会をまるごと責める気にはなれなかった。慎重もまた、一つの責任の取り方である。軽々に同盟へ飛び込み、国を消耗の渦へ沈めることもできたのだ。誰もが、それぞれの場所で、それぞれの算盤を弾いている。ただ、その算盤の目は——いつも、戦況から幾日か遅れて届くのだった。
皮肉なものだ、とフィオナは思った。昨日まで、王国はただの隣国だった。国境で、時おり小競り合いをする、それだけの相手。互いの騎士が、互いの機を討ち合ってきた間柄である。それが、帝国の宣戦一つで明日には、肩を並べて戦う盟友になる。国と国の理は、いつも戦場の兵の感情を置き去りにして、動いていく。憎しみも、和解も、上の者の算盤が決めるのだった。
フィオナはヴァイスリッター改のコクピットに身を収めていた。
魔導の駆動が、低く、唸る。自分が組み上げた機体である。どの継ぎ目に、どれだけの応力がかかるか。掌のように、分かる。
足元から、規則正しい振動が伝わってくる。伝導機関の、脈のような律動。生き物ではない。だが、フィオナにはそれが息をしているように感じられる時があった。自分が命を吹き込んだ機。その同じ機が、これから人の命を奪いに行く。
その掌を、フィオナは見た。
油の染みた、技術者の手である。幾百の機体を組んできた手だった。
「——この手で組み上げた機体が、人を、殺す」
声に出して、呟いた。コクピットの中の、誰も聞かぬ独白だった。
「作った物の責任は、作った者が取る。それが、私の信条の、はずだ」
はず——と、自分で、言った。
その語尾の頼りなさに、フィオナ自身が気づいていた。信条は、まだ、揺らいでいない。だが、収奪炉の設計図を見た夜から、その信条の足元に、薄い、ひびのような問いが走っていた。機体の責任は、取れる。では——大地の脈を握る装置の責任は、誰が、取るのか。
機体なら、図面に設計者の名が刻まれる。壊れれば、咎めも誇りも、その名へ返る。だが、あの収奪炉の図面には——名が、なかった。誰の責任でもない形で、それは組み上がろうとしていた。責任の所在のない力ほど、恐ろしいものはない。技術者として、フィオナはそれを知っていた。
フィオナは、掌を、握った。
コクピットの計器が、規定値で安定している。機体は、正しく、動いていた。
縦列は中央回廊へ、鉄の律動を刻みながら進み続けた。
◇
その日の夜、第七機甲師団は中央回廊の手前で野営した。
機体を円陣に並べ、歩哨を立てる。機械油と焼けた鉄の匂いが、夜気に混じっていた。兵たちは、銃を抱えたまま、浅い眠りに就いていく。
昼の行軍の律動が嘘のように静まっている。聞こえるのは、歩哨の足音と、遠い梟の声だけ。三十機のフェラム・ナイトが、闇の中で黒い巨人の影となり、眠る兵を囲んでいた。鉄の囲いの中だけが、かろうじて人の世だった。その外は、ただ夜の平野がどこまでも広がっている。
フィオナは、ヴァイスリッター改の脚の傍に腰を下ろしていた。
黒鉄茶を、一口、含む。苦味が、徹夜続きの頭をわずかに覚ます。
円陣の中で、若い兵たちが、寝息を立てている。昼間、城門で銃を受け取っていた、あの新兵たちも、この中にいるのだろうか。明日、あるいは明後日、この中の何人が、還らぬのか。問うても、答えはない。フィオナにできるのは、ただ、一機でも多くの機を、万全に保つことだけだった。
ふと、夜空を見上げた。
煤煙の都を離れた空は、澄んでいた。星が、近い。
工都では、煤煙に阻まれて星などめったに見えない。鉄と硝子の都に生まれ育った娘にとって、戦場へ向かう道のりが、皮肉にも、初めて見る広い星空だった。
その時——北の山稜の方角に、淡い光が、ひとすじ、走った。
フィオナは、目を凝らした。
狼煙ではない。雷でもない。砲の閃光とも、違う。見たことのない、光だった。
「……あれは、何?」
思わず、声が漏れた。
近くにいた部下が、顔を上げた。
「副師団長? 何か、仰いましたか」
フィオナは、もう一度、北の空を見た。
光は、もう、消えていた。山稜は、夜の闇に沈んでいる。
「……いえ。何でも、ない」
フィオナは、視線を手元の茶に戻した。
だが、胸の奥に、小さな棘のような違和が残った。収奪炉の設計図。そこにない、設計者の名。そして、北の、あの光。ばらばらの破片が、まだ、繋がらない。
考えようとすれば、すぐに明日の段取りが頭を占めた。許容応力。配置線。兵站の手配。目の前の確かな仕事が、また、その違和を押しのけていく。技術屋とは、そういう生き物だった。
黒鉄茶は、もう、すっかり冷めていた。
野営地の火が、夜の中で、低く爆ぜた。




