第8話
その日の朝、少年が外を見ると桜がちらほらと咲いているのが見えた。
身支度を整えてすぐ、村長から呼び出されたので少年は母屋へと向かうが、その道すがらですら老人は見当たらなかった。
以前通された座敷に案内され、ひとり下座側に座っていると、開け放たれた障子に面した廊下で軋む音が聞こえた。どうやら誰かがこちらに向かっているらしい。
ただ、その音の重さからして異母兄弟ではないようだった。
やがて障子の向こうから顔を出したのは、村長であった。
背筋を伸ばした少年の向かいに腰を下ろす。その表情にはやや疲れが見えていた。
「桜が花開いた。本日から山神様の下へ参り、お勤めを果たすように」
「今日から、ですか」
「今日からだ」
「あの……あの、ふたりは」
村長は言っていた。今年は3人いる、と。
だがこの場にいるのは少年ただひとり。
少年の問いに村長は目を伏せ、ゆるゆると首を横に振った。
「やるべきことを放り出した者たちに何ができようか。お前だけが真面目にこなしていた」
どうりで、少年が当番の日は社殿や境内が汚れていたはずだ。
山神から村長に伝えられたのか、それとも村長は異母兄弟たちの行動を知っていたのか。
詳細は分からないが、少なくともあの異母兄弟たちは、山神を敬い世話をするということはできないと判断されたのだろう。
村長は目を開けると、少年を見据える。
「この話が終わったらすぐ、身だしなみを整えて山神様の下へ向かう。前にも話したとおり、お役目は年明けまで。大晦日が過ぎればお役目は終了となる」
「はい」
「何ぞ持っていきたいものはあるか。ひとつふたつは、山神様もお許しになる」
少年は、今まで過ごしていた離れの中を思い浮かべる。
あまり物を与えられず過ごしてきたから、特に何もない ―― そこまで考えて、少年は「あ」と声をあげた。
「押し花」
「押し花?」
「押し花を、作っていたんです。とてもきれいな花だったから……山神さまにも上手にできたとお見せしたいので、持っていてもいいですか」
「……そのぐらいなら良いだろう。どこにあるのだ」
「ねる部屋の、机の上に。紙ではさんであって、その上に石を乗せてあります」
「持ってこさせよう」
村長が開いていた障子へと視線を向けて、軽く手を振る。
つられて少年がそちらを見れば、ひとりの女性が軽く頭を下げてその場から立ち去るところであった。いつの間にかそこに立っていたらしい。
少年は村長へと視線を戻す。
村長は、少年を見つめていた。続けて何かを話すつもりでもなく、ただじっと。
(押し花が来るまで待ってた方がいいかと思ってたけど、もう行けってことかな。でも、それだったらちゃんと言ってくれる気がする)
なんだろう、と少年が僅かに首を傾げた。
だが、見つめ合ったままというのもなんとなく居心地が悪い。
少年は早く女性が戻ってこないかと、視線を廊下へと向けた。見えるのは廊下の壁でしかない。
しばらくして、ぽつりと村長が呟いた。
「弥兵衛という男が、昔いた」
少年の視線が自然と村長へと向けられた。
村長は目線を下げており、どうやら自身の膝上に置いた手元を見ているようだった。
「山神様の社殿を建てる前の話だ。戦でお前と同じ方の腕を失った男で、お前が名を持たないのもこの男が原因だ」
突然の話に少年は困惑する。
なぜ、急に弥兵衛の話をしているのか。
少年の様子に気づいた村長は、一拍置いて「ああ」と苦笑いを浮かべた。
「話すべきだと思ってな。前の代まで話していたかも知らん。だが、奇しくもお前は弥兵衛の縁者だ。知っておくべきことだろう。聞きなさい」
「……はい」
あの弥兵衛の縁者なのか。
驚きつつも、少年は居住まいを正して改めて村長に向き直った。




