第3話
様々な花々が咲き乱れる丘が視界に映ったとき、ああ、この夢かと少年は思った。
体の自由は利かない。ただ、じっと事の成り行きを見守るだけの夢。
ただ、今宵の夢で少年は気づいた。この丘に見覚えがあることに。
それはここ数週間、2日おきに登り続けている裏手の山で、ここは実際には丘ではなく山頂。
そして、夢の中に出てくる被衣の女性が座っている位置が、山頂にある社殿の位置だということに。
気づくのが遅かったのは、現実の山頂は花が一輪も咲いていなかったし、社殿が建っていて風景が違っていたからだ。
夢と現実が同じなのは、彼女のもとへ続く参道のような道筋だけ。現実とは違い、道は細いが確実に彼女がいる場所につながっていた。
被衣の女性が振り返る。相変わらず、目元は見えない。
ただ口元が笑みを浮かべたので、おそらく彼女は喜んでいるのだろう。
しかしこの日は、一瞬で彼女の口元の笑みが消え去った。
いつもはずっと座ってるのに慌てたように立ち上がり、こちらに駆け寄ってくる。
彼女は、少年が見ている男よりも身長が低い。だから自然と男の ―― 少年の目線が下がった。
懐まで来た彼女が触る手元、男の胸元辺りと右腕の二の腕辺りが血まみれになっていた。
右腕の長さは、少年が見慣れたものになっている。
少年は男の感情を読むことができない。
だから男が彼女の右肩を掴もうとして、自分の左手が血まみれになっていることに気づいて触れず、手を彷徨わせているのを見て「男も慌てている」としか分からなかった。
なぜ、この男は血まみれなのか。
その状態でもなぜ、この場に現れたのか。
少年は全く分からなかった。
(ああ、でも)
ふと、少年は思う。
(ここで会う約束を守ろうと、していたのかな)
何があっても、彼女との約束を守ると。
男の視界に、被衣の小袖の下から見上げてきた彼女の目元が見えそうになって ――。
少年は、目が覚めた。
その日、当番だった少年は、付き人となった老人とともに神饌である白ご飯、塩、水、干し柿を持って山道を歩き、山頂へと向かっていた。老人との間に会話はない。
もうじき春である。
刺すように冷たかった風はだいぶ柔らかさを取り戻し、山の植物たちは徐々に芽を膨らませ始めていた。
春になれば祠の周囲にも花が咲くだろうか。
そんなことを考えながら祠に続いている階段を上がりきって、少年は気づいた。自然と足が止まる。
少年が現在立っている位置に鳥居がある。
その鳥居をくぐった先に古びた木造の建物がある。小屋といっても差し支えない大きさのものであったが、それが社殿だ。
その社殿に入る引き戸が大きく開け放たれている。
そして、その社殿最奥にある棚に祀られていた御神体の鏡が、その位置からなくなっていることに。
その異常さに老人も遅れて気づいたのだろう。
「なんたることだ」と声を震わせた。
少年と老人はその場から駆け出し、口々に「失礼します」と言いながら草履を脱いで社殿に上がった。
ふたりの視界に入ったのは御神体が床に落ちていること。周囲に供え物が散乱していること。
老人がボソボソと何やら呟いてから、御神体を持ち上げる。
幸いにも鏡面にひびはなく、覗き込んだ老人も少年もホッとした。
御神体は山神の依代である。
村長いわく、大きな地震や大雨などのときはこの鏡を通して山神が警告を出してくれるのだという。
鏡になにかあったら村長や村人たちからどのような叱責を受けるか、と少年は身震いした。
「こりゃあ、獣が入ったかもな」
老人が御神体を棚にあった位置に戻して、呟く。
周囲を見れば、泥でできた小さな足跡がいくつもある。足跡からして狐狸の類だろう。
盗人がいたとしても、一番高値がつくであろう絹糸でできた織物を放置しておくわけがない。織物は三宝に乗せられたまま、汚れひとつなくある。
手ずから持ってきた神饌が入った籠を下ろし、少年と老人はひとまず清掃することにした。
ついで、他に獣の侵入口がないかどうか確認する。
この社殿は定期的に建て替え ―― 遷宮が行われているので、よほどのことがない限り穴などはなく、少年と老人も見つけることができなかった。
「誰かが正面を開けっ放しにしたのが原因じゃな」
「誰かって……」
少年の問いに、老人は答えなかった。
少年が来たときには獣に荒らされていた。床についていた足跡の泥は、まだ湿っていた。
状況からして、前日の異母兄が閉め忘れたと推測するのが当然だ。
だが異母兄には少年とは比べ物にならないほど多くの付き人がいる。彼ら全員が閉め忘れたことに気づかなかっただなんて、あるのだろうか。
そこまで考えて、少年はため息を吐いた。
この事態は村長に報告しなければならない。だが異母兄弟は必ず「少年の自作自演だ」と言うだろう。
村長は比較的公平に見てくれる人ではあるが、どうなることか。




