第4話
案の定、異母兄弟は「絶対にこいつがやったことだ」と村長に訴えた。
ならば付き人たちの証言はどうかというと、一様に口を揃えて「我々が見たときは閉じていた」という。
老人は少年の付き人なので、当然少年の「山頂に着いた時点で開いていた」という証言はしてくれたが、相手方の方が人数が多い。
今から確認に行かせようにも、すでに少年たちが掃除をして元に戻してしまっているので実際どうなっていたかだなんて確認しようがない。
その上でどちらを信ずるべきかなど、火を見るより明らかであった。
「座敷牢へ」
異母兄弟たちをじっと見たあとに告げられたその一言で、少年は座敷牢へと連れて行かれた。
異母兄弟たちはニヤニヤとしていたが、村長から「あれの抜けた分はお前たちがやるように」と言われて苦虫を噛み潰したような表情に変わっていた。
名に牢を冠するものではあるが、実態は「自由に外への出入りを禁じる」というものだけで、内装は少年が暮らしているあばら小屋よりも上質な離れといったものであった。
室内は板間ではなく畳であるし、未だ朝夕は寒暖差があるからか火鉢も入れられた。
厠も離れ内にあるし、体を清めるための行水をする専用の場所まで用意されていた。
ただ、あばら小屋と違って連子窓に取り付けられている、連子子と呼ばれる角材は頑強で太いものになっていて、戸口はすべて外から施錠されているようであった。
引き戸であるのに、両方動かないのはそういうことなのであろう。
水垢離だけは毎日やるように言われているため、老人、そしてもうひとり使用人とで一緒に禊を行う泉へと向かうときが唯一外出できる時間だ。
ここ数日はその往復だけで、あとはずっと離れに少年は閉じ込められている。
ふと、泉から帰る道中で桜の蕾がふっくらと膨らんでもうじき花開くところまできているのが少年の目に入った。
「もう、春ですね」
ぽつりと呟いた少年の言葉に老人と使用人は沈黙を保った。
そう。もう、花が開く時期だ。
その日の夜。
少年はいつもと違う夢を見た。
花咲く丘に向かっていたのはいつもと同じだった。
しかし、ふと気づいて足を止め、自分の左手を見る。そう。自分で動けたのだ。
左手はいつも見慣れている、年相応の手のひらだった。夢で見ていたごつごつとした大人の手ではない。
着物も、寝るときに着ていた寝間着のままだった。
少年は顔を上げる。
そこには変わらず、被衣の女性がこちらに背を向けて座っている。
少年は少し考え、意を決して足を進めた。
彼女につながる小道にはみ出ていた花をさくりと裸足で踏み潰すと、花の香りが少年の鼻をくすぐる。
足音で気づいたのか、女性はこちらをゆっくりと振り返った。
そこで少年は二の足を踏んだ。
(僕は、あのひとじゃない。あのひとじゃないのに、このひとに近づいていいんだろうか)
少年を被衣の下からじっと見ていたであろう彼女は、ゆっくりと被衣の下から手を出して、手招く。
「怖いことなんかやらん。おいで」
はじめて聞いた、柔らかい女性の声だった。
少年はふらりと足を踏み出して、女性のもとへと歩いていく。
彼女が軽く叩いた地面の位置に少年は腰を下ろす。そこは他とは違い芝生になっており、いつもであれば夢の男が座る位置だった。
「今生でははじめまして、人の子」
「……山神さまですか?」
「人の子たちからはそう呼ばれているなぁ」
相変わらず、女性 ―― 山神の目元は被衣に隠れて見えない。口元だけがゆるりと弧を描いていた。
「お前さんが来ないから、呼んでしまった」
「いまは、ばつを受けていて……外に出れないんです」
「ばつ? ああ、罰……でもどちらかというと、お前さんの身を守っているんじゃないか」
「僕を?」
「私への供物を運んできている者たちから」
少年の異母兄弟のことだろう。
でもなぜ、座敷牢に入れられることで守っていることになるのだろうか、少年には分からなかった。
少年の表情を見た山神は、そっと手を伸ばして少年の左手をとった。
持ち上げたその細い手の甲には、雑用を押し付けられたときなどにできた細かい傷跡が残っている。
その手の傷を優しく撫でながら、彼女は呟いた。
「今代の長は気づいているよ。大丈夫」
「……気づいているのに、どうして?」
「神事が優先だからさ。《ななつまでは神のうち》って言葉を知っているかい? まだお前さんたちは我々神の子だから、人の領分でどうこうできないのさ、あれは」
それは少年も聞いたことがあることわざだった。
昔から7歳を越えて生き抜ける子どもは少ない。みな、病だったり、不作による飢餓だったり、山菜採りの最中に獣に襲われて助からなかったり。
8歳の年になれば、子どもが死ぬ確率がぐんと下がるのだ。
異母兄弟たちと少年は同い年である。
つまり、彼らが少年に何をしようが、よほどのことがない限り大人たちは手出しできないということなのだろう、と少年は理解した。
ふと、少年は思い出したように目を見開くと、山神を見つめた。
「山神さま」
「うん?」
「山神さまは、おけがはありませんでしたか。ご神体が、ゆかに落ちていたから……」
山神はポカンと口を開け、それから声をあげて笑った。
女性にしては豪快で、でも少年は嫌な感じはしなかった。むしろ清々しいぐらいだ。
「あれは私そのものじゃないから、大丈夫さね。お前さんたちが暮らす現し世と繋がるための、いわば道だ。割れても新しいものをこさえてもらえれば変わらず通える」
ほ、と少年は安堵した。
御神体の鏡にひびはなさそうだったが、あの鏡が山神そのものであれば、落ちたとき相当痛かっただろうと思っていたからだ。
あれが彼女自身ではないのであれば、彼女は痛みを感じていない。
少年があからさまに安堵の表情を浮かべていたので、山神は人差し指を伸ばし、少年の柔らかな頬をつついた。
「心配性だねぇ」
「だって……」
「でも、ありがとう。お前さんみたいに心配してくれるのは、あんまりいないからねぇ」
しみじみとそう呟いた山神に、少年は目を瞬かせた。
村長や大人たちは御神体に何かあれば慌てふためくだろう。彼らも心配するのではないだろうか。
少年の疑問を知ってか知らずか、山神はふと笑った。
「さて、そろそろ時間さね。今度はお前さんが来てくれるだろう? 待ってるよ」
丘に咲いていた花々が、突然の風に煽られて花弁を散らす。
その花弁が少年の視界を塞いだ。左手を伸ばし、「山神さま」と叫んだ少年の声に応答する言葉はなく。
次の瞬間、少年の視界は木目の天井に切り替わっていた。
ゆっくりと体を起こす。
連子窓を塞ぐ雨戸の隙間から、朝日の光がこぼれていた。
ふと、少年は左手を握りしめたままであることに気づいて、手をゆっくりと開く。
そこには、あの丘にあった名も知らぬ花びらがひとひら残っていた。




